道州制ウイークリー

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(277)2021年11月6日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑯

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 この国は過疎の「地方国」と過密の「東京国」の二つに分断され、双方ともハッピーでない暮らしの状況にある。とりわけ、都市圏から外れた地方の抱える問題は次の3点に集約されよう。

 一つは、地方経済の縮小、企業倒産の増加だ。人口減に伴う労働力減、コロナ禍、後継者不在で倒産する会社が増えている。この現象は街の中心部のシャッター通りに限らず、国道沿線、郊外住宅地、農村部にまで広がっている。こうした地方経済の疲弊、衰退は過去最高の水準になっており、日本経済にとって一番の痛手となる。

 二つ目は、担い手不足など地方医療体制の崩壊の危機だ。医師、看護師、保健師、助産師など医療従事者が足りない。資格を有しながら過重労働を避け働こうとしない傾向や都市部へ流れる医師、看護師などが目立つ。

 三つめは、耕作地放棄、空き家の増加による無居住地が増大していることだ。地方から都会へ若年人口が流失し無居住化が進む。それ以上に高齢化に伴い耕作を諦め農地が荒れ放題、売却も再建能力もなく相続人すら不明の空き家が増大、20年後、人の済まない無居住地域が自治体の2割にも達するという見方すらある。隣接自治体がこの地域を見る「管理自治体」といった制度の砲声かが迫られよう。

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(278)2021年11月13日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑰

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 新しい革袋には新しい酒を、と言われるように、日本の国の人口を入れる「中身」が小さくなっていく時代に、入れ物である統治の仕組みが大きい風呂敷のままでは使い勝手が悪いし、カネもかかる。大きなパラダイム転換の舵をどう切るか、それが政治家を含め私たち国民に課せられた課題だ。膨らみすぎた「統治の仕組み」を賢くたたんでいく道しかないのではないか。国の機構は一府十二省と多くの地方分部局、県も47都道府県と多数の出先機関、20政令市と175行政区、一般市町村1716と多くの出張所という具合に、幾重にも行政の仕組みが重なっている。だがよく見ると、実際は同じような仕事をしているところが多い。この仕組みを次代に合うように簡素で効率的なものにつくり直したらどうか。

 明治期の「廃藩置県」が拡大期の政治革命だったとすれば、これから令和期の人口縮小型に備えた政治革命は「廃県置州」ではないだろうか。日本を10程度の広域圏からなる州とし、それぞれが内政の拠点として独自の政策を行う。それを可能とするよう、規制緩和も地方分権も大胆に行う必要がある。それがいま課せられた政治の基本的な役割ではないか。それが実現すると日本各地に活力が湧き出て潜在能力が顕在化してくる。結果として壮大な無駄は省かれる。大都市は三密状態から解放された快適な空間となり、地方への分散も進む。 「いまこそ脱東京」を実現しよう。

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(279)2021年11月20日

◆地方自治を変え国を一新①

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 旧態依然としたこの国の統治機構は、まったくと言っていいほど変わっていない。相変わらず永田町の政治家と霞が関の役人が様々な権ほk限を独占し、差配している。今の日本は単発エンジン(中央政府)で飛んでいるジェット機のようなものである。そのエンジンは巨大だがすでに老朽化して、飛行速度(経済)は徐々に下がりつつあり、どれほど燃料(予算)を補給しても浮揚しない。

 この危機を回避するためには単発エンジンに頼らず、小回りの利く新たなエンジンをいくつも付けて、その総合力で窮地を脱する方法を取るしかない。――それがつまり、「平成維新」が当初から提唱していた「道州制」であり、新たな地方自治の実現である。政府と霞が関がすべてを支配する中央集権体制を変えなくてはいけない。

 そこで、統治機構の大改革を実現するための憲法改正を提案したい。その核心は「憲法第8章 地方自治」の改正である。今の日本が抱えている難問の多くは、旧態依然とした統治システムに原因の一端がある。この状況をひっくり返すには、「第8章」を俎上に載せなければならない。戦後70年を過ぎた日本が直面している停滞や閉塞は、小手先の景気対策や思い付きの金融政策で解決できるものではない。

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(280)2021年11月27日

◆地方自治を変え国を一新②

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

そもそも、なぜ日本の地方は再生しないのか? 地方に対する意思も体力も構想もないからだ。その根本的な原因は、江戸時代以降連綿と続いている非常に強固な中央集権の統治機構にあると考える。ドイツ、イタリアやアメリカは州に様々な権限があり、州ごとに世界に直接アクセスしている。ところが日本は、中央政府が多くの権限を独占しているため、地方は特色ある政策を実行することができない。そして、この強い呪縛の基になっているのが「憲法第8章」である。

 憲法第8章は「地方自治」という章でありながら、条文はあまりにも短く、「地方自治体」というものについて何も定義されていない。「地方自治体」は、ここでは「地方公共団体」としか呼ばれていない。都道府県や市町村は、自治の権限を持つ地方自治体ではなく、地方における行政サービスを行うことを国から認められた団体でしかないのである。さらに、第94条には、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定することができる、と書いてある。これは、法律の範囲内でしか条例を制定できない、ということだ。 

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