カテゴリーアーカイブ: 国のかたち改革

ウイークリー「国のかたち改革」(20)~(21)

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(20)2023年5月20日

<国・地域の再生に向けて③>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*国民に身近な政府システムの実現

 近年における民主主義の成熟化は、従来にも増して政治・行政プロセスの透明性確保や説明責任の履行を求めている。しかしながら、現在の政治システムのように、中央政府・国会レベルに地域的課題も含めた政策意思決定権が一局集中している状況では、国民の目の届かないところで、地域住民の声の届かない状況で地域的影響の大きい政策形成が行われる一方、逆に真に地方が必要とする政策決定がなされないといった不満・懸念が高まっている。国の出先機関である地方支分部局についても、中央政府の組織であるがゆえに、地方自治体のようにきめ細かい住民とのコミュニケーションが確保されておらず、一般国民からは遠い存在となっている。こうした状況をもたらしている基本的な要因のひとつは、明治政府以来現在まで続く中央一極集中体制にあると考えられる。

 わが国において、国民がよく見える形で政策の形成・実施を担保していこうとすれば、従来の中央政府・国会をさらにスリム化して基本的な国策マターに特化支え、地域マターについては、それぞれ適正な管轄区域をもった広域的地方自治体に委譲し、思い切った地方分権国家体制に移行する以外に方法はない。こうして移管された従来の国の事務が、広域自治体によって民主的に決定される仕組みに組み入れられ、国・自治体及び自治体相互間の権限の重複関係を整理することで、複雑な行政関係が簡素化され、また従来の国の仕事の多くの部分が国民に近いところで処理されるため透明性も高まるものと考えられる。地方自治体も、国の地方機関という意味合いが強い「地方公共団体」という存在から、真に「地方政府」と呼ぶに値する権能と政治・社会的意義を初めて獲得することになるだろう。

このような分権型地方政府システムの究極の形は、連邦制であるが、わが国の現状及び国民意識から判断すると、その時期ではない。イタリアなどが志向している「限りなく連邦制に近い分権型地方政府システム」というイメージが、本研究において想定している到達点のイメージである。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(21)2023年5月27日

<国・地域の再生に向けて④>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*究極の単一国家型地方分権システム

 単一国家体制を維持しながらも、極力、補完性の原理に基づき中央政府の権能を選択的に重点化し、中間政府(メゾ・ガバメント)及び基礎的自治体に分権した状況を想定してわが国の地方政府システムをデザインしていくと、近年、急ピッチで分権化を進めている、イタリア・フランス型の地方政府システムの考え方に近似していくことがわかる。EU諸国は多少のバラツキはみられるものの、総じて中間政府の創設・強化や基礎的自治体等の整備など自治権の強化に努め、同時に国家としてのパフォーマンス強化も実現してきた。

 その典型例が、イタリア及びフランス、スペインであろう。EUにおいても、3層制を採用するこれら3国は、地方分権制度という意味では連邦制に次ぐ位置づけを与えており、いわば、限りなく連邦制に近い単一国家型地方政府システムを採用した国といえるかもしれない。 

 イタリア・フランス型というタイプが、現時点では単一国家形態の中で、地域の主体性を反映し、国民・市民の政府に対する民主的統制を担保するための最も現実的な政治システムと考えられ、わが国の地方政府システム改革案の参考とすべき原型としても相応しい姿ではないだろうか。

 

ウイークリー国のかたち改革(18)~(19)

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(18)2023年5月6日

<国・地域の再生に向けて>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

◆国・地方の活力再生を可能とする最適マネジメント・システムの構築

 各分野における急速なグローバル化が進展する中で、国際社会は流動的、不安定の度を深めている。今後の中央政府の役割は、従来にもまして、国家安全保障・外交・通商等の各分野における国際関係に重点を置くことが求められている。特に中央政府については、徹底的なリエンジニアリング(再設計)を行い、そのタスクを重点化して、国際関係とともに、こうした国内的基本問題に「選択と集中」の視点から取り組み、早急に適切な解決策を国民に提示しうるスリムで効率的な体制づくりを実現する必要がある。そのためにも、地域的な課題への対応やルーティン的な事務事業の執行については、より適正な管理主体、すなわち地方政府、エージェンシー、民間団体などに移管すべきであろう。

*長期人口減少時代を乗り切る社会システムとしての分散・分権体制

 わが国では、少子化の進行により、人口が長期にわたり現象することが予測されている。多くのと際においては、中心市街地の空洞化、地域経済の長期的衰退と相まって、地域全体の活力恢復が内政上の大きな課題となっている。

その解決策の一つが、思い切った分散・分権システムの導入である。経済・社会の長期的衰退傾向からの国・地域の再生が緊急の政策課題となっているわが国であるが、依然として経済・産業活性化の政策形成は、中央政府の縦割り的体制の中で、全国的ニューを送り出し、それを地域が多少のバリエーションをつけて実施するという集権構造の修正システムにより行われている。近年、構造改革特区のように地方の地域的主体性が反映される政策プログラムも用意されるようには改善されてきたが、この制度では必要とされる法制度の改変そのものは行われず、また、自治体制に主体的な制度改善権も与えられていない。財源についても、税・財政制度に関する自主財政権は依然として弱い状態に置かれている。

あらゆる分野の東京への一極集中を是正するため、その第一歩は、首都東京に集中した政治・行政権能の分散・分権である。自立的地方政府システムの導入により、各地方ブロックが、その地域特性を生かした地域経営を展開し、地域間競争を現出させることにより、東京への集中傾向に歯止めをかけることにつながるのではないだろうか。

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(19)2023年5月13日

<国・地域の再生に向けて②>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*活力ある経済活動の支援システムとしての広域地方政府システム

第二次大戦後のわが国は、中央政府の強力なリーダーシップの下で,産学官及び国・地方の緊密な連携プレーにより、国全体が一丸となって敗戦直後の困難な時代を乗り切り、先進諸国へのキャッチアップを果たすことができた。しかしながら、バブル経済崩壊以降、護送船団的な戦後体制の限界が露呈し、もはや現在の国際的大競争時代には不適合であることが明らかとなった。

この間の欧米の動向をみると、グローバリゼーションと高度情報化が進展する中で、政治・経済・社会のイノベーションが促進され、政治システムについても、EU諸国にみられるように、集権型の国家主義が後退し、分権・分散型の政治システムへの転換、すなわち地方分権国家への衣替えが急ピッチで進んだ。そうした体制の中で、各地域ごとに、地方政府、地域経済、市民セクターが連携しあい、積極的な地域経済活動を展開し、国民経済全体の活力向上に貢献している事例が多い。イタリアなどが国が専管していた産業・経済政策の権限の多くを、州に委譲した背景には、地域経済の経済競争力の話があった。国の単位では利害が複雑に絡み、一つのまとまった戦う主体となりえず、府県では小さいという理屈である。

一方、経済界が従来から指摘してきたように、現行の広域自治体である都道府県では経済・産業活動や広域インフラ整備の基礎単位として狭すぎるという実態がある。国の地域政策が、地方ブロックごとの国の地方支分部局単位に実施されていることを考慮すれば,概ね、国の出先機関単位の空間的広がりを対象として、中央政府の画一的視点ではなく、地域の観点から経済・社会の活性化のための政策企画および実施が可能な地方政府が存在し、地域の活力向上のための総合的な政策を公民連携の仕組みの中で展開することができれば、EU諸国なみに強力な地域経済の創出が可能となろう。

 

 

ウィークリー国のかたち改革

よりよき社会へ国のかたち改革《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(9)2023年3月4日

地域政策再構築の視点①>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 東京や三大都市圏に集中が進むことは、経済的には集積のメリットを高めるのも事実であるが。しかし、極度の集中は、日本の各地域の固有性を弱め、多様性を失わせることで、日本全体をシステムとしてみた場合、むしろ脆弱性を高めてしまうのではないか。連邦国家であるアメリカやドイツだけでなく、同じ単一型国家であるイタリアも、企業や人口は各地域に分散し、それぞれ地域に固有の文化が息づきながら、それぞれ企業の成長とも密接に結びつく好循環をつくり出している。この多様性が、彼らの創造力の源ではないだろうか。

グローバル化の波に洗われてますます変化が激しくなっていく時代に、このような地域の多様性を維持、発展させていくことが、日本というシステムの強靭性につながる。なぜなら、多様性の中から出てくる個性が、相互に接触することで創造性が生まれていくからだ。この多様性を失い、同じ価値観に染まって同調性が高まり、同一決定されて同一の方向に一斉に走っていくようになれば、日本の将来は危ういといえよう。今後、東京を中心とする首都圏や、三大都市圏ですべてが決定されるようになると、そこに住む人々はどうして同じものを見、話しを聞くために、同一の価値観に染まりやすく、多様性を失いがちである。しかし、放っておくと、グローバル化の圧力で首都圏や三大都市圏への集中・集積はいっそう進む。したがって、ある程度の分散性を維持するための積極的な政策が今後求められるのではないだろうか。

グロ^バル化に抗することは難しくても、それにうまく順応しながら、あるいはそれを巧みに利用しつつ、地域の固有性を発揮するような基盤を今後、地域政策を通じて育成していくいことが重要になると思われる。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(10)2023年3月11日

地域政策再構築の視点②>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 日本ではこれまで、全国総合開発計画にみられるように、地域の経済発展を促すために公共投資を行って産業基盤を整備し、工場を誘致するという開発手法を全国的に採用してきた。しかし、公共投資による開発手法は、多くの批判を受けてきた。最も初期の批判は、高度成長期における公共投資の重点が、道路や港湾などの「生産関連資本」に傾き、下水道や廃棄物処理などの「生活関連資本」が後回しにされることで都市問題が激化したことである。

また、拠点開発方式は、地域に持続的な発展をさせることにつながらないのではないかとの批判も行われた。なぜなら、コンビナートにやってきた企業は当初の期待とは異なって、地元企業と産業的なつながりはほとんど持たなかったのである。地域を発展させるうえで地元の企業や産業ではなく、外部からやってきた企業や政府の公共投資に頼る開発方式を「外来型開発」と呼ぶ。それは必ずしもその地域の産業発展に結びつかず、所得も域外に流失するために所得上昇に結びつかない。反対に、公害問題など負の影響がもたらされる可能性が大きい。これと対置される開発概念が「内発的発展」である。これは、その地域の産業が相互に連関をもって有機的に結びつき、さらにそのことが所得の域内循環を生み出し、そこから上がる税収がその地域の自治体に入るような好循環が生み出される状況を指す。このような「内発的発展」の在り方は、「地域の持続可能な発展」の在り方を考える上での出発点となっている。

 小泉内閣によって公共投資が本格的に削減されるまで高水準で継続された背景には、いくつかの要因がある。第一の要因は、景気対策としての活用である。不況になれば公共投資を増やすことで景気を反転させるケインズ主義的な財政政策が採用されてきた。欧米がそこから脱却していったのと対照的で、巨大な国家債務が残された。第二の要因は、地域の側が公共投資を求めたためである。公共投資でインフラを整備しさえすれば企業の誘致が可能ななり、それによ型モデルに対する信奉は依然として根強い。

 

よりよき社会へ国のかたち改革《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(11)2023年3月18日

地域政策再構築の視点③>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 客観的にみて、公共投資に頼る地域発展の将来は決して明るいものではない。というのは、経済のグローバル化と産業構造の転換が進んだ現代では、公共投資の経済効果がかつてとは比較にならないほど低下してしまったからである。

第一に、公共投資の「乗数効果」(公共投資が波及効果を生み、投資額の何倍もの経済効果をもつこと)は長期的に低下傾向にあることが知られており、もはや公共投資に大きな経済効果は期待できない。

第二に、経済のグローバル化が進展したことで、産業連関が国境を越えた結びつきを持つようになった。したがって、仮に日本で公共投資を拡大したとしてもその波及効果は必ずしも日本にとどまらず、海外に漏出することになる、このことも、公共投資の乗数効果を低下させている一因だと思われる。

第三に、産業構造が転換し、日本の産業の中心がかつての重化学工業から情報通信産業やサービス産業に移っていくにつれて、コンビナートや工業団地のように、ハード面の生産基盤を公共投資で整備することは、必ずしも日本のリーディング産業にとっての基盤整備にはつながらなくなっている。したがって、従来通りの公共投資を続けることは、かえって衰退産業を温存し、日本がグローバル時代に適応した産業構造を形成していくことを妨げる恐れすらある。

 公共投資の雇用効果ということになると、地域の建設業よりも環境、医療・福祉、教育といった政策領域に投下した方が、その雇用効果は大きいことが定量的に示されている。仮に雇用の維持が公共投資の根拠だとしても、同じその貴重な資金を環境、医療・福祉、教育に振り向けて行く方が、いっそう大きな雇用が生み出される。

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(12)2023年3月25日

地域政策再構築の視点④>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 公共事業による発展モデルからの転換の必要性は明らかである。これまでの国土政策の地域政策における最大の問題は、それらが中央集権的な手法に依存していたために、地域が自ら発展する能力を阻害してしまった点にある。全国総合開発計画(全総)以来、発展のグランドデザインは中央政府によって描かれ、それを牽引するリーディング産業もいわば上から指定された形で決定されていた。この開発計画に沿って全国で地域指定を行い、それらの地域に対して補助金等の政策優遇を与える医という手法は、五全総(1998年)に至るまで共通していた。

従って自治体は、開発計画が策定されると、それに沿う形で地域発展計画を策定し、地域指定を受けることで政策優遇を受けようとした。このような手法は、日本全体を一定の方向に引っ張っていくときには有効かもしれないが、一定の所得水準を実現し、地域の個性が尊重されなければならない時代には、むしろその弊害のほうが大きくなる。しかも、このように手法が一貫してトップダウンで決定されるため、地域が自らの頭を使って、その地域にとって最適な発展方法は何かを考える意欲を失わせてしまう。各地域で金太郎飴のように同じような内容の計画策定が行われた点にもよく表れている。

先進国の産業構造転換が進むにつれて、1980年代以降、経済発展の在り方も変わりつつある。発展の軸になるのは、もはや公共投資による鉄やコンクリートを使ったハードな基盤整備でなく、知識、デザイン、創造性などへの「非物質的なもの」へと移っている。日本の政策担当者はこれまで、高度成長期と同じ発展観に基づいて同じ開発方式を踏襲し、失敗を繰りかえしてきた。

 

ウィークリー「国のかたち改革」(1)~(4)

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(1)2023年1月7日

◆「多極分散」ではなく「多極集中」で商圏を維持する

(河合雅司著『未来の年表・業界大変化』から)

過疎地が広がり続ける人口減少社会の国土の在り方について、集住を進めるのか、分散して住む現状を維持するのか。結論から言えば、「多極分散」ではなく「多極集中」であるべきだ。人口減少社会において拡散居住が広がると、生活に密着したビジネスなどが極めて非効率になり、労働生産性が著しく低下するからである。人々がばらばらに住むことで商圏人口が著しく縮小したならば、企業や店舗は経営が成り立たなくなり、撤退や廃業が進む。民間サービスが届かなくなれば、さらに人口流失が早まり、ますます企業や店舗の撤退、廃業が加速するという悪循環になる。

「多極分散」では行政サービスや公的サービスもコストパフォーマンスが悪くなり、国家財政や地方財政が悪化する。やがて増税や社会保険料の引き上げにつながり、国民の可処分所得が低下する。国交省の資料によれば全国の居住地域の51%で2050年までに人口が半減し、18.7%では無人となる。社会インフラや行政サービスを維持するには、ある程度の人口密度が必要なのである。企業や行政機関の経営の安定と地域住民の生活水準の向上とは表裏の関係にあるが、人口減少社会においてそれを両立させるにはある程度集住を図って、何とか商圏人口を維持するしかない。縮小していく日本においては「多極分散」は命取りである。

「多極集中」を進めていったら展望はどう開けるのか。具体的には全国各地に「極」となる都市をたくさん作ろうという考え方である。現行の地方自治体とは関係なく、周辺地域の人口を集約して商圏を築き、「極」となる都市の中心街として歩行者中心のコミュニティと賑わいをつくるイメージである。ドイツなどヨーロッパ諸国には、こうしたイメージとかなり近い形の都市が存在している。人口規模でいうと、周辺自治体も含め10万人程度が想定される。国交省の資料によれば、人口10万人であれば大半の業種が存続可能となるためだ。国内マーケットが縮小する中で、企業や行政機関は経営モデルを変更せざるを得ないが、「戦略的に縮む」ことによる成長を達成するためには個々の組織の変化だけではなく、社会の在り方にも根本から変えることが求められる。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(2)2023年1月14日

どのような経済社会、地域にするのか①>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

「失われた30年」は、人々の暮らしを直撃し、大都市への集中が進む一方で、地域は衰退するという、地域間格差が拡大していった。この危機から脱するには、再生エネルギーを軸にした産業構造の転換が必要であり、目指すべきは、分散革命ニューディールによる地域分散ネットワーク型の社会であることを示しています。

 日本の経済成長がストップし、長期停滞から抜け出せずにいる最大の原因は、バブル崩壊後の産業構造にあります。その背景には。無責任体制から生み出された「失われた30年」の間に研究開発のための投資額が減少し、アメリカや中国から大きく引き離されてしまったということがあります。産業の競争力がどんどん低下していったのです。

 1991年の日米半導体協定の後、先端産業について政府が本格的な産業政策を展開することはタブー化し、「規制緩和」を掲げる「市場原理主義」が採用されるようになった。しかし、規制を撤廃し、価格メカニズムに任せれば新しい産業が生まれていくなどというのは、根拠のないイデオロギーです。90年代にバブルが崩壊し、金融危機に見舞われたスウェーデンやフィンランドでは、巨額の公的資金を投入して不良債権を一気に処理しています。さらに、先端産業化を進めるための国家戦略を立てて、イノベーションに対する研究開発投資と教育投資を増加させ、知的集約産業への移行が図られた結果、フィンランドにはノキアができ、スウェーデンにもエリクソンなどのIT企業が生まれ、デンマークには世界的な風力発電メーカーであるヴェスタス社が誕生します。ここで重要なのは、これらの国が産業政策を立てて、新しい産業への投資や技術開発を国が支援する政策を打ち出したということです。

 イノベーションが新たに生まれ、産業構造が変化するような時期には、明らかに一定の政府の役割なしに産業はうまれません。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(3)2023年1月21日

どのような経済社会、地域にするのか②>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

◆「地域分散型ネットワーク社会」へ

20世紀は、重化学工業を軸にした大量生産・大量消費の「集中メインフレーム型」の時代でした。それは、市町村や都道府県などの地方自治体を国の出先機関とする中央集権的な行財政システムと適合してもいました。この集中メインフレーム型のシステムは、人口が増加傾向にあり、内需も拡大し続け、輸出額も増加していくような社会でないと、集中メインフレーム型のシステムはうまく機能しません。しかし、すでに日本企業の国際競争力は衰えており、少子高齢化も進み、実質賃金が停滞もしくは低下し続けていますから、とてもこのシステムが持たないのは明らかです。 

目指すべきは、「集中型メインフレーム型」ではなく、「地域分散ネットワーク型」の社会なのです。クラウド・コンピューターやIOT、ICTの発達によって、それぞれは小規模で分散していても、瞬時にニーズを把握し、きめ細かく供給することが可能です。しかもそれを効率的に行うことができるのです。各国でこうした動きが始まっています。これが21世紀の新たな産業革命なのです。

医療や福祉、介護の世界は、今後どうあるべきでしょうか。高齢化が進む現在、単身世帯が増加しています。これに対応して、医療や福祉、介護の分野も、地域分散ネットワーク型に変革していく必要があります。具体的には、中核病院、診療所、介護施設、訪問介護・看護・介護などをネットワークで結びつけ、地域医療・介護のシステムを構築するのです。

このように地域分散ネットワーク型へと転換することは、中央集権的な意思決定システムから、分権・自治型の合意形成システムへの転換を伴うものでもあります。重要なのは、中央集権的な「上から下へ」のガバナンスではなく、それぞれの地域を基本とし、地域では対応できないものを上位の行政機関に委ねる「補完性の原理」に立脚するということです。その上で、地域同士でネットワーク形成し、中央政府からの独立性を確保するのです。地域住民が主権者であることを前提とした民主主義の実践といえるでしょう。

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(4)2023年1月28日

どのような経済社会、地域にするのか③>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

 地域分散ネットワーク型への転換は、実は食と農の分野でも進んでいます。大規模専業農家をモデルとする農業基本法以来の経営モデルは、これまで一度として主流になったこともないし、これからもありえないと思われます。農業でも兼業が現実的で、かつ小規模分散ネットワークの仕組みが必要となっています。それを象徴するのが、農産物直配所へのPOSシステムの導入です。販売所で農産品が売れるたびに、バーコードでその情報が読み取られ、どこで何が売れたのかガ瞬時に分かるようになります。大量仕入れ、大量販売でなく、きめ細かな販売が可能になるのです。それに加えて、ネットワーク化を進めることで、より付加価値の高い農産品を各地で提供することができるようになります。

 現在、農産物直配所は全国に1万数千か所(季節営業店も含めると2万余)あり、年間総売上高は約1兆324億円にも上ります(2018年)。ここにPOSシステムを導入し、ITCの活用によりネットワーク化を進めて相互に結びつくようになれば、さらなる発展が期待できるのです。そのポイントとなるのが「営農ソーラー」です。ドイツやデンマークでは、地域エネルギーの担い手の中心は農家です。「農産物もエネルギーも、太陽と土地から生まれる」という基本原理から考えても、農業と再生可能エネルギーはとても相性がよい組み合わせです。農業を営むのに加え、再生可能エネルギー発電事業にも取り組むという、「エネルギー兼業農家」となることで収入も安定します。

 「6次産業化」+「エネルギー兼業農家」という農家経営モデルは、地域経済のあり方も大きく変える可能性を秘めています。これまでは地域経済の活性化を図るために、外部から工場を誘致し、兼業農家のために雇用を作り出すということをしていました。しかし、その場合、収益の大半は地域外へ流失してしまっていました。「6次産業化」+「エネルギー兼業農家」というモデルは、地域の資源を多角的に活用し、雇用を創出し、収益をもたらし、それが地域を循環するという、自律的な経済圏を生み出します。