月別アーカイブ: 1月, 2022

道州制ウイークリー

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(281)2021年12月4日

◆地方自治を変え国を一新③

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 「地方自治」と「地方分権」は似て非なるものである。分権というのは、会社に喩えれば、社長が 最終的な意思決定の権限をすべて握っていて、一部の実務的な権限だけを分け与えることだ。自治の大前提は「(経済的)自立」である。自立なき自治はないのである。  

 憲法第8章の定めにより、日本の地方は単に「国から業務を委託された出先機関」でしかない存在となっている。日本の地方に「自治はないのである。そんな江戸時代以来の中央集権を21世紀なっても続けているからこれほどまでに地方が衰退し、いつまでたってもこの国は変われないのだ。そんな憲法こそ書き換えなくてはなならない。日本の統治機構をどう変えるべきか、これからの国と地方の関係はどうあるべきか、について世界の潮流を見据えた新しいグランドデザインというものがない。

自治の基本は「産業=雇用の創出」だ。地方自治の根本は大きく二つある。一つは「自立」だ。自立なき自治はない。もう一つは、生活圏としての「コミュニティ」だ。これは地方が自立するための人材を生み育て、磨いていく場所である。地方が自立するためには産業を興さねばならない。産業が唯一、富を生み、雇用を創出するからだ。政府は富を生まない、分配するだけである。地方が自立するために最も重要な「自治権」は産業政策についての権限なのである。ところが今の日本は産業政策はすべて国の許認可が必要でわずかな目こぼし特区を除き、地方に権限はない。これでは産業を興すことはできない。

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(282)2021年12月11日

◆地方自治を変え国を一新④

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

地方が自立するためのもう一つの基礎は「人材」だ。しかし今は、それも国が縛っている。例えば学校教育は、文部科学省が免許を与えた教師が、文科省が認可した教科書を使い、文科省の指導要領に従って教えている。そういう全国一律の教育はもうやめて、付加価値が高い産業を興すための人材を育成する権限を地方に与えるべきである。その場合、産業政策をつくって産業を興すのは道州の役割なので、それに必要な人材を育てる高等教育(大学、大学院、短期大学、高等専門学校)は道州が担うことになる。

地方自治の根本の一つは自立であり、自立のために最も重要なのは雇用を創出する産業である。産業によって求められる人材は違うわけだが、地方自治のもう一つの根本は、そうした人材を生み育て、磨いていく場所、つまり生活圏としての「コミュニティ」だ。それに必要な人材を育てる大学などの高等教育は道州が担うことになるが、個人が生まれ育って価値観を形成し、健全な社会人に成長するまでの18年間の教育はコミュニティが行うべきである、

 

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(283)2021年12月18日

◆地方自治を変え国を一新④

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

日本型の中央集権国家は、その発展性と競争力において頭打ちの状態となっているどころか、国力弱体化の一途をたどっている。それは未だ出口の見えない袋小路にあるといえるだろう。原因は、戦後の高度成長期に中央集権的計画経済で成功を収めたことで、次へのフェーズへ移行する準備を怠ってきたことにある。中央集権を体現する政治家や役人たちが、成熟期にふさわしい先を読んだ手を打ってこなかったから、旧態依然とした法律や制度が経済構造の変革や新たな産業を呼び込むネックになっているのだ。彼らは地方が創生しない原因が統治機構にある、ということに気付いていないのである。

日本が参考にすべき国として筆頭に挙げたいのは、ドイツだ。ドイツは国土面積、人口が日本と同程度の中規模成熟国家である。1人当たりGDPで見ても、似たようなポジションにいる。工業を主要産業とし、経済に占める製造業の割合が高いことも日本と同様だ。戦後ドイツは多くの点で日本と似ていたにもかかわらず、弱体化するに日本を尻目に、国家クオリティを維持している。クオリティ・オブ・ライフ、クオリティ・オブ。コミュニティ、クオリティ・オブ・インダストリー・・あらゆる点で高いクオリティを保っている。ドイツに学ぶことは多い。ブランド化などで成長を続ける大企業や、ニッチな分野に特化し世界市場を席巻する中小企業など、ドイツ企業は多くの業種において世界をリードする競争力を持っている。それは、政府の統治機構の違いや構造改革への取り組みと無関係でない。

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(284)2021年12月25日

◆地方自治を変え国を一新⑤

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

ドイツ企業の強さは、ドイツの国と経済に支えられている。一つ目は、国家の統治構造である。連邦国家であるドイツは、13の州と3つの都市州(ベルリン、ハンブルグ、ブレーメン)を合わせた16の州で構成されている。これらドイツの州は、日本の都道府県のような権限を持たない「地方公共団体」ではなく、強力な自治権を持つ「地方政府」である。ドイツ連邦共和国基本法(憲法)にも「国家的機能の行使および国家的任務の遂行は、この基本法が定めない限り州が行う」と規定されている。

各州は州議会や州憲法、州内閣を有し、立法・行政・司法の三権のみならず、徴税権も持っている。連邦政府は国籍や外交、国防に関することを決定するものであり、企業誘致をはじめとする産業政策も、基本的に州に関わることは国とは関係なく、州の権限で行っている。

ドイツの州は国家を超えてヨーロッパ全体、さらには世界中のマーケットを相手にしている。そのために州ごとに独自の産業や企業が発達し、高い競争力を有するに至った。

日本もドイツも第二次世界大戦前は同じような独裁的中央集権国家だった。アメリカの進駐軍はドイツの統治機構をバラバラにし、アメリカ型の連邦国家を基本法で担保した。ナチスを再興させないよう、徹底的に中央集権を忌避し、地方自治の憲法をつくったのである。

 

道州制ウイークリー

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(277)2021年11月6日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑯

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 この国は過疎の「地方国」と過密の「東京国」の二つに分断され、双方ともハッピーでない暮らしの状況にある。とりわけ、都市圏から外れた地方の抱える問題は次の3点に集約されよう。

 一つは、地方経済の縮小、企業倒産の増加だ。人口減に伴う労働力減、コロナ禍、後継者不在で倒産する会社が増えている。この現象は街の中心部のシャッター通りに限らず、国道沿線、郊外住宅地、農村部にまで広がっている。こうした地方経済の疲弊、衰退は過去最高の水準になっており、日本経済にとって一番の痛手となる。

 二つ目は、担い手不足など地方医療体制の崩壊の危機だ。医師、看護師、保健師、助産師など医療従事者が足りない。資格を有しながら過重労働を避け働こうとしない傾向や都市部へ流れる医師、看護師などが目立つ。

 三つめは、耕作地放棄、空き家の増加による無居住地が増大していることだ。地方から都会へ若年人口が流失し無居住化が進む。それ以上に高齢化に伴い耕作を諦め農地が荒れ放題、売却も再建能力もなく相続人すら不明の空き家が増大、20年後、人の済まない無居住地域が自治体の2割にも達するという見方すらある。隣接自治体がこの地域を見る「管理自治体」といった制度の砲声かが迫られよう。

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(278)2021年11月13日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑰

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 新しい革袋には新しい酒を、と言われるように、日本の国の人口を入れる「中身」が小さくなっていく時代に、入れ物である統治の仕組みが大きい風呂敷のままでは使い勝手が悪いし、カネもかかる。大きなパラダイム転換の舵をどう切るか、それが政治家を含め私たち国民に課せられた課題だ。膨らみすぎた「統治の仕組み」を賢くたたんでいく道しかないのではないか。国の機構は一府十二省と多くの地方分部局、県も47都道府県と多数の出先機関、20政令市と175行政区、一般市町村1716と多くの出張所という具合に、幾重にも行政の仕組みが重なっている。だがよく見ると、実際は同じような仕事をしているところが多い。この仕組みを次代に合うように簡素で効率的なものにつくり直したらどうか。

 明治期の「廃藩置県」が拡大期の政治革命だったとすれば、これから令和期の人口縮小型に備えた政治革命は「廃県置州」ではないだろうか。日本を10程度の広域圏からなる州とし、それぞれが内政の拠点として独自の政策を行う。それを可能とするよう、規制緩和も地方分権も大胆に行う必要がある。それがいま課せられた政治の基本的な役割ではないか。それが実現すると日本各地に活力が湧き出て潜在能力が顕在化してくる。結果として壮大な無駄は省かれる。大都市は三密状態から解放された快適な空間となり、地方への分散も進む。 「いまこそ脱東京」を実現しよう。

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(279)2021年11月20日

◆地方自治を変え国を一新①

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 旧態依然としたこの国の統治機構は、まったくと言っていいほど変わっていない。相変わらず永田町の政治家と霞が関の役人が様々な権ほk限を独占し、差配している。今の日本は単発エンジン(中央政府)で飛んでいるジェット機のようなものである。そのエンジンは巨大だがすでに老朽化して、飛行速度(経済)は徐々に下がりつつあり、どれほど燃料(予算)を補給しても浮揚しない。

 この危機を回避するためには単発エンジンに頼らず、小回りの利く新たなエンジンをいくつも付けて、その総合力で窮地を脱する方法を取るしかない。――それがつまり、「平成維新」が当初から提唱していた「道州制」であり、新たな地方自治の実現である。政府と霞が関がすべてを支配する中央集権体制を変えなくてはいけない。

 そこで、統治機構の大改革を実現するための憲法改正を提案したい。その核心は「憲法第8章 地方自治」の改正である。今の日本が抱えている難問の多くは、旧態依然とした統治システムに原因の一端がある。この状況をひっくり返すには、「第8章」を俎上に載せなければならない。戦後70年を過ぎた日本が直面している停滞や閉塞は、小手先の景気対策や思い付きの金融政策で解決できるものではない。

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(280)2021年11月27日

◆地方自治を変え国を一新②

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

そもそも、なぜ日本の地方は再生しないのか? 地方に対する意思も体力も構想もないからだ。その根本的な原因は、江戸時代以降連綿と続いている非常に強固な中央集権の統治機構にあると考える。ドイツ、イタリアやアメリカは州に様々な権限があり、州ごとに世界に直接アクセスしている。ところが日本は、中央政府が多くの権限を独占しているため、地方は特色ある政策を実行することができない。そして、この強い呪縛の基になっているのが「憲法第8章」である。

 憲法第8章は「地方自治」という章でありながら、条文はあまりにも短く、「地方自治体」というものについて何も定義されていない。「地方自治体」は、ここでは「地方公共団体」としか呼ばれていない。都道府県や市町村は、自治の権限を持つ地方自治体ではなく、地方における行政サービスを行うことを国から認められた団体でしかないのである。さらに、第94条には、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定することができる、と書いてある。これは、法律の範囲内でしか条例を制定できない、ということだ。 

道州制ウイークリー(273)~(276)

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(273)2021年10月9日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑫

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

州の性格付けとしては、憲法改正をせず、府県に代えて、都道府県の統合と国の出先機関を包括し、国から行政権限を委譲することで、権限の大きな広域自治体としての「州」を内政の拠点ととする地方主権型州制度が望ましい。

 国の役割と州の役割については、国の各省庁の地方出先機関の大半と都道府県の事務の一部を移管する方法で、国の本省から権限移譲される事務として、国道・一級河川の管理、保安林の指定、大気汚染防止対策、地域産業政策、自動車登録検査、職業紹介、危険物規制なども加えなければならない。

 事務権限の委譲もさることながら、より重要なことは州への立法権の移譲である。立法権の移譲は政策・制度の企画立案権の移譲といってもよい。その方法として、国庫補助負担金とこれに付随する補助要綱・補助金要領等をできる限り廃止する。法令を大綱化・大枠化し細目は州または市町村の条例に委ねることが大事である。

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(274)2021年10月16日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑬

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 州制度設計上の論点として、地域間格差是正の方式をどうするかについては、税源配分は国税、州税、市町村税と仕事量に応じて集める仕組みを大原則とする。ただ、州間格差を是正する方式として共有税(ないし共同財源)をつくる。これは現行の地方交付税の役割に似たものだが、それぞれの州の持ち合い財源という性格のもので、国が配るという仕組みを意味しない。

 それぞれの州には「州都」ができる。日本を州制度に代えると「州都一極集中」が起こると反対する人がいる。国全体が「東京一極集中」でまさにモノセンリックなのに対して、10州程度の州ごとの中心都市ができることの方が、大きくは多数の都市が一定の機能、能力を持ち、それがネットワークで結ばれるポリセントリックだ。すでにある政令市、中核市、特別区など100近い都市制度適用地域がそれぞれ中心性をもっており、仮にそのどこが州都に定めたから直ちに州都一極集中になるとは考えにくい。日本が人口規模も拡大し新たな都市がどんどんできていく高度成長期ならともかく、その逆の動きにある。これからはむしろ既存の大都市を州都とし、その機能を活かしながらそれと各州の中小都市をうまくネットワーク化する方がよいのではないか。州制度になると、役所が遠くなるという批判がある。物理的に遠くなる可能性は否定できないが、州になったからと言って、行政サービスに関し州役所が遠くなるということはあるまい。必要なサービスは州の出先機関を通じて行われることになる。

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(275)2021年10月23日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑭

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

州制度の実現可能な移行シナリオについて、堺屋太一氏は独自のシナリオを提示している。(『団塊の後――三度目の日本』)

まず、直ちに都道府県を廃止して州制度に移行するのではなく、3~5年は各都道府県を従来通りに存続させ、議会も存続させながら移行する考え方だ。当面、「州」ごとに、「知事会」を結成し、州で行うべき広域行政はその「知事会」で共通条例の制定や州重点産業、州共通事業を決め、予算・金融財政上の調整を行う。「州議会」には常設の事務局を置き、国と所属府県の職員の一部を移籍させる。知事会の会長は当面、所属知事の互選とするが、一定期間(たとえば5年)を過ぎたら、各州の有権者が直接選挙で「州知事」を選ぶようにする。

 また都道府県議会についても当分の間、従来通り残す。ただ、早期(例えば3年以内)に住民の直接選挙で「州議員」を選び、州議会を設けるようにする。それまでの間は、各府県議会が概ね人口10万人に1人程度の「臨時州議員」を選出し、臨時州議会において州の予算や決算、州条例、主要なプロジェクトなどの業務を行うようにする。これらのルールをあらかじめ法律(州制度移行基本法)で決めておく。まずバーチャルで大くくりの広域州をつくり州政府の体制を固める。5年経ったら全面的に州制度への移行を完了するシナリオである。

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(276)2021年10月30日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑮

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

日本では自治体の7割近くが人口5万人以下の自治体が占めている。居住人口は2割にとどまるが、面積では圧倒的に広範囲を占める。こうした人口比のねじれ現象が、我が国の地域づくりを考える際の難しさである。かつて州構想を進めると小規模市町村には不利だと反対運動があった。しかしそれは大きな誤解ではなかろうか。こま切れの府県制度の下では、確かにこまごまと支援は行われているが、地域全体の稼ぐ力が出ない。州構想の実現で稼ぐ力を強め、その果実が多くの市町村に行き渡る仕組み、それが州構想であって決して小規模市町村を切り捨てる話ではない。

 我が国では地方創生、地方の活性化が叫ばれて久しい。しかし、なかなかか過疎化が止まらず限界集落が増え続ける実態がある。安倍政権での地方創生は集権的な地方創生の考えが強く、補助金、交付金の割り増しで国が地方を引っ張り上げるかのような施策が並んだ。そうではなく、地方の内発力をどう高めるか、分権型の地方創生でなければならない。国の地方創生本部はあの手この手で地方を引っ張り上げようと躍起だが、地域の内発的な力を引き出す発想に乏しい集権型地方創生ではうまくいくまい。肝心の自治体にも地方創生は「自ら稼げるまちを創り上げること」だという発想への切り替えまでいっていない。