カテゴリーアーカイブ: 道州制ウイークリー

12州制ウイークリー(333)~(337)

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(333)2022年12月3日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑧

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

「地方は国の下請け」といわれる理由

◆地方の仕事は国がつくった計画を実施するだけ

2000年4月に「地方分権一括違法」が施行されたことで、国と自治体の仕事の関係は新たなものになったが、現実的にはそれほど大きな変化はない。一括法依然の長期間にわたって維持されてきた国と自治体の関係は以下の通りだ。

一括法依然の自治体の仕事は、「機関委任事務」「団体委任事務」「行政事務」「固有事務」の4つに分類されていた。

「機関委任事務」は、国から自治体の長に委任された事務のことで、計画は完全に国によって立てられ、自治体はその実施だけを行うというもの。「団体委任事務」とは、国の事務のうち、ある一部を国からの委任を受けて自治体が実施する事務で、計画については国と自治体双方で行い、実施は自治体が行う。「行政事務」は、公権力を背景とする規制的な事務のこと。行政事務を計画するのは国と自治体双方だが、規制の基準などは国が決め、計画を実施するのは自治体となっている。「固有事務」とは、自治体の運営に関する事務や地域住民の生活・福祉などを向上させるための各種事務のことで、計画も実施もともに自治体が行う。

◆国の制度が自治体の活動を縛っている

これまで自治体が自分の裁量でできる仕事は「固有事務」だけで、その他の仕事は、国の関与があった。これら4つの仕事以外にも、国が自治体の独自の活動を縛る制度として「必置規制」というものがある。これは、国が自治体に対して設置しなければならない行政機関や施設、特別の資格を持つ職などを法令によって定め、その設置を義務付けるものである。この必置規制も、一括法によって一部緩和されたが、例えば、児童相談所や病害虫防除所、検定所、あるいは食品衛生監視員、児童福祉司、建築主事などを設置することが義務付けらてきた。自治体によっては、必要も余裕もないものを置くことにもなるわけで、この「必置規制」も長年にわたって自治体の自主的な組織運営を規制していた。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(334)2022年12月10日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑨

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

財政を自前でまかなえない自治体

◆地方は使うお金を自由に集められない

 国と自治体の財政を量的に比較すると、日本の自治体の歳出規模は非常に大きい。例えば令和元年度においては、国の歳出が73兆4200億円(全体の42.6%)で、地方が98兆8467億円(同57.4%)となっている。これはイギリスやフランスはもちろん、アメリカやドイツといった連邦制の国に比べても、日本は圧倒的に自治体の方が多い。歳出の量、執行の側面だけで見ると、日本はかなり「分権的」な国といえるのかもしれない。

もう一つの特徴は、自治体の歳出規模が大きいのにもかかわらず、自前の税収の割合は他国と比べて非常に少ないこと。つまり、自治体の仕事は多く、そのために使うおカネも多いが、自治体が自前で集めるおカネは少ない。そのギャップは、国からの財政移転で埋められている。これは地域的なサービスの供給が自己負担の原則からかけ離れていることを意味している。

なぜそうなっているかといえば、自治体には歳入に関する自治が制約されているからだ。自治体は、自分たちの歳入の規模と内容を自己決定できないのである。

◆自前で集められるのは地方税だけ

自治体の歳入項目は多岐にわたるが、主要なものは、「地方税」、国からの補助金と捉えられる。「地方交付税」と「国庫支出金」、そして借金である「地方債」である。この4項目によって、8割から9割の歳入がまかなわれている。

この4項目を自主財源と国への依存財源に分けると、地方税だけが自主財源で、残りはいずれも依存財源だ。それだけでも自治体は国に対して大きく依存していることがわかる。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(335)2022年12月17日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑩

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

国が地方税を決めている

◆地方税の種類も税率も自由に決められない

地方税は自主財源だから、本来、税目(税金の種類)や税率はそれぞれの自治体が自由に決めるべきなのだが、現実は、国会で決められた地方税法によって細部まで定められており、自治体による自主裁量権はほとんどない。税目については、法定普通税が定められており、自治体はこれを義務として課税しなければならない。つまり、自治体が独自に税金を集めようというときには、国の許可が必要で、自治体が自由に税目を設定することはできなかった。

税率については、国が標準税率を設定している。自治体がそれ以上の税率を設定する(増税)のは問題ないが、税率を低く設定すると、地方債の発行が制限されたり、地方交付税・補助金の算定で不利益を受けたりするなど、「ペナルティ」が制度的に課される仕組みになっている。

◆国が地方税に関与する理由は税源の「偏在」と「重複」

国が地方税に関して自治体を制約する背景として、「税源の偏在」と「税源の重複」が指摘されている。

「税源の偏在」は、地域によって税収に大きな格差が生じていることで、例えば地方税の一人当たりの税収額をみると、東京と沖縄では3倍以上の開きがある。

「税源の重複」には、税源の分離という原則があるが、日本では所得、消費、資産、流通といったように、いくつかに分類できる税源に対して、それぞれ国、都道府県、市町村が重複して課税している。

このように税源に偏在と重複があることで、自治体の課税自主権を拡大すれば、地域によって受益と負担に大きな差が生じ、「均衡の原則」が破られる。それを理由に、国は自治体への制約を行ってきた。

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(336)2022年12月24日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑪

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

財源不足の自治体に配られる「地方交付税」

地方交付税は、広い意味での補助金であり、国と自治体及び自治体間の「財政調整」、そして自治体に対する「財源保障」という二つの機能を担っている。

◆国が集めたおカネを「財源難」の自治体に分配するシステム

地方交付税の基本的な仕組みは国が国税としておカネを集め、各自治体の財源不足額に応じて交付するというもの。この地方交付税の制度に関して問題点は、まず一つに、国が地方交付税に充てられる額と、地方が必要な額が合致しない点がある。地方交付税の財源には国税の一定割合があてられるために、全体の交付税額は国の予算で決定される。一方で、1800ほどある自治体それぞれで不足している額を合計すると、国の予算と一致する場合がほとんどない。そこで、調整が必要になる。

景気の明暗により、交付税額は変動する。昭和50年代以降、法定交付税率は30数%だったが、財政が厳しい時には、実質的には40数%が交付された。国が借金をして地方交付税の穴埋めを行ったのだが、これが財政を逼迫させる原因の一つになった。

◆金額は国が一方的に決定し、自治体の意思は反映されない

それぞれの自治体で必要な額をどう決めるかについては、三つの問題がある。一つ目に、実際に足りない額を支給するか、客観的な方法で不足額を計算するかという問題がある。実際の不足分を支給するようにすれば、自治体は税を集めるのを怠ったり、ムダ遣いをするようになる。二つ目は、人口や面積など一つのモノサシを使うのか、各自治体の条件を踏まえて額を算定するのかという問題。気象条件の違いなどを加味すると、余分の費用が加えられることや、政治家や官僚の介入の余地が大きくなる。三つ目は、意思決定の在り方の問題。自治体に交付される金額は国が一方的に決定し、自治体の意思がほとんど反映されない。自治体は国の言いなりにならざるを得ない。

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(337)2022年12月31日

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑫

「国庫支出金」がムダと利益誘導を招いている

国庫支出金も地方交付税と同様に広い意味での補助金といえる。ただし、国庫支出金は、国と自治体が協力して事務や事業を行うときに使われるおカネで、地方交付税とは性格が異なる。国庫支出金には3種類ある。「国庫負担金」がその約70%、「国庫委託金」が約1%、「国庫補助金」が約30%ある。

「国庫負担金」は,国が自治体の活動の一部を負担するために交付する補助金である。例えば小中学校の先生の給料は自治体が支払っているが、義務教育に関しては国にも責任があるため、3分の1を負担している。「国庫委託金」とは、国が自治体の経費全部を事務の代行経費として自治体に交付するもの。例えば、国会議員選挙や外国人登録などは、本来は国の仕事だが、国の移管が行うにはコスト的にも事務的にも不合理なので、自治体に行ってもらっている。こうした仕事にかかる経費の負担分が国庫委託金である。「国庫補助金」は、国が特定の事業や事務の奨励や財政維持に交付するもので、廃棄物処理施設施設の整備、福祉事業の促進、道路整備などに対するものなどとなっている。

国庫支出金に関しては5つの基本的な問題がある。1点目は、責任の所在が不明確であること。2点目は、交付を通じて国が関与することで、自治体の自主的な運営を阻害すること。国庫支出金は交付に際して、使い方が細かく条件づけられているからである。3点目は、交付に当たっての細かな条件や煩雑な交付手続きなどが、行政の簡素化、効率化を妨げていること。100万円の補助金をもらうのに何度も上京しなければならず、その経費が100万円以上かかってしまうといった指摘がしばしばなされる。4点目はタテ割り行政の弊害を招くこと。国庫支出金は、各省庁から自治体に回ってくるため、国レベルでヨコの調整がほとんど行われない。その結果、同じような施設が重複して出来上がり、ムダが生じることになる。5点目は、どの自治体にどれだけ配分するのかという基準が曖昧なため、「陳情」の対象となってしまう。

道州制ウイークリー

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■道州制ウイークリー(311)2022年7月2日

◆大変革の時代、「現状維持」思考からの脱却必要

(真壁昭夫著『ゲームチェンジ日本』より)

 いま世界経済は「ゲームチェンジ」を迎えていますが、バブル崩壊後のわが国全体には現状維持を重視する心理が強く働いています。経済学で「現状維持バイアス」といいます。これまでの行動様式を改めることができなければ、経済はかなりのスピードで縮小均衡に向かう恐れがあります。その結果、日本が世界第3位の経済大国の座を維持することも難しくなるでしょう。

 オンライン診療や感染症への対応力の向上という問題を考えただけでも、変化を過度に恐れるかのように、日本は過去の発想にしがみつく機関が長引き、それが当たり前になってしまったように思います。重要なことは変化を機敏に察知し、それに対応することです。政府の規制緩和が諸外国に遅れ、その結果として企業が旧来の発想から脱却できなければ,、わが国の経済の実力は低下するでしょう。

1990年初頭のバブル崩壊後、我が国の経済は失われた30年を超える長期の低迷に落ちりました。要因の一つは、世界経済の構造変化への対応が遅れたことです。特に、グローバルな規模でのデジタル化への対応の遅れは見逃せません。わが国では新しい、自由な発想を実現するよりも、雇用を守るために、リスクを取らないことが優先されてしまいました。問題は、日本の産業政策の発想が過去の成功体験から脱却できなかったことです。

いまわが国の社会心理を覆っているのは、「人口の減少によって,労働と資本の投入量が減少する、だから経済の成長は望めない」という考え方です。そこには。「イノベーション」の考え方が抜け落ちています。わが国の政治の意思決定を見ていると、口先では改革が重要であるとはいうものの、いざ規制などの改革を進めるとなると既得権益などの反対にあって抜本的な改革が難しくなるケースが続いてきました。「現状維持バイアス」にとらわれて、従来の発想を続けている限り、成長を目指すことはかなり困難と言わざるを得ません。

 

 

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(312)2022年7月9日

◆現代社会に合わない47都道府県体制

(佐々木信夫著『元気な日本を創る構造改革』より)

戦後言われ続けてきた多極分散型の国土形成も、職住近接の地域づくりも、地方分権の推進もいつの間にか旗が下ろされている状態だ。改革なき政治が続く日本である。この先に何が来るか。

「東京頼み」をだらだら続けるばかりの政府。政府は「東京一極集中」が問題だと口では言うが、やっていることは東京減反どころか、いまだ東京は日本の機関車だと見立て、様々な特区指定や規制緩和のさらなる巣心を図っている。

日本は平成20年の1億2800万人をピークに人口減少期に入り、今は毎年数十万人単位で減っている。現在100万人以下の県は香川、鳥取、和歌山、佐賀、福井、山梨、徳島、島根、高知の9県だが、25年もするとそれに奈良、長崎、岩手、石川、大分、宮崎、青森、富山、山形、秋田の10県が加わる。政令市の指定要件である実質人口70万人にも届かない県の続出は何を意味するか。府県を広域自治体とし市町村を基礎自治体としてきた自治制度が根底から崩れていることを意味する。

明示23年(1890年)、交通機関が馬、船、徒歩の時代につくられた47都道府県体制は広域化、高速化の現代社会に合っていない。行政圏と生活圏(経済圏)が大きくズレてしまっている。

「隣にあるからウチにもつくる」という「フルセット行政」の横並び意識で不要なハコモノやサービスが増え、非効率な行政が続き、日本財政を悪化させている。こうした状況をどう打開するか。広域自治体と言いながら「狭域自治体」化した47都道府県を賢くたたみ、もっと力の発揮ができる少数の広域自治体に創り変えることだ。47都道府県を再編統合し、約10の広域圏からなる「州」とする「廃県置州」で東京一極集中は止まり、創意工夫で各地に元気と活力が湧き出てくる。その結果、ムダは省かれ企業も人口も地方分散が進む。

 

 

 

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■道州制ウイークリー(313)2022年7月16日

◆これが「日本型州構想」①

(佐々木信夫著『元気な日本を創る構造改革』より)

その時代にふさわしい「国のかたち」を設計する。それが政治の役割である。明治維新から150年、時代は大きく変わった。本格的な人口減少時代を迎えた日本をどうするか。「新たな国づくり」を本格的に議論すべき時期ではないのか。いまの統治機構「国→都道府県→市町村」の三層制とそれに連なる膨大な出先機関、外郭団体をそのままにする限り、この先、何度増税を繰り返しても1200兆円を超える財政赤字は消えない。むしろ増えるばかりだ。

バブル崩壊後、日本の国と地方の歳出合計は160兆円を超える動きだが、一方、税収など歳入は100兆円に届かない。こうしたワニの口のように開いたギャップ(赤字)を借金(赤字国債・地方債)で穴埋めする財政運営が続く。歳出の160兆円が私たちへの行政サービスに回るならまだしも、その半分近くは公債費、人件費、管理費など統治機構を維持するための間接経費に消えている。何度増税しても国民に豊かさの実感がないのは、こうした背景による。

この先は「人口が右肩下がり社会」へ向かう。人口減少時代に合う簡素で効率的な統治機構に衣替えする改革が不可欠だ。100万人に達しない県が続出する見通しの中、80~100万人規模の政令市が20近くある。こうした広域自治体と基礎自治体が逆転する現象の続出は、自治制度を根底から揺るがす。130年前にスタートした47の都道府県は、広域化した現代に合っていない。

私たちの日常は、経済も生活も県境に関わりなく広いフィールドで行われている。地方自治のエリアは実際都市と行政都市が一致していることが大原則である。拡大した実際都市(圏)に会う新たな行政都市(圏)の創設、人口の大幅な減少のトレンドを加味した広域自治体の再構築は待ったなしだ。47都道府県体制を解体再編し、広域圏を単位に約10の州をつくり、日常生活に合った広域行政圏の仕組みを創るべきだ。それが道州制である。この改革で財政面だけでも20兆円近いカネが節約できるとされる。消費増税10%分をカットできるということだ。

 

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(314)2022年7月23日

◆これが「日本型州構想」②

(佐々木信夫著『元気な日本を創る構造改革』より)

これまで「幻の改革」構想と揶揄されてきた道州制だが、実は日本はすでに道州制の素地はできている。20政令市、約60の中核市をそれぞれ政令市→特別市、中核市→政令市に格上げし、この都市自治体に多くの府県業務を移管する。その上で内政(厚労,、国交,文科など)に関わる本省業務、ブロック機関の業務、残存する都道府県の仕事を融合するかたちで「州」政府を創設し、内政の拠点とすれば道州制は実現できる。

ただ、手垢にまみれた「道州制」という表現に代え、日本型州構想という表現を使いたい。これまで北海道の「道」を意識し、「道州制」と呼んできたが、北海道州、九州州と「州」で呼称を統一すれば、もはや道州制と呼ぶ必要はない。

よく県がなくなるので反対だという人がいるが、日常に定着している都道府県名は地名として残るし、カウンティ(郡)という州の出先機関としてしばらくは残る。甲子園の47都道府県対抗高校野球も残る。なので生活上何の支障もない。自治体としての府県機能は即廃止というより、新特別市、新政令市区域外の市町村を補完するカウンティ(郡)として残し、これまでの県の下にあった「郡」が半世紀かけて次第に自然消滅したようにカウンティとしての府県を辿ればよいと考える。ソフトランディングの改革の進め方だ。

日本を「州構想」に移行させる狙いは3点にある。第一に、日本を地方分権の進んだ地方主導型の国家体制に変えること。第二に、東京一極集中を抑え、各圏域自立できる活力ある競争条件を整えること。第三に、国地方の統治機構を簡素化し、効率的で賢い統治システムに代えること。州構想移行で、各州は国から移された財源や立法権、行政圏、一部司法権をフルに使い、自立を始める。内政の拠点となる各州は広域政策の主体として、道路・空港・港湾などの広域インフラの整備、科学技術の振興、州立大学などの高等教育、域内経済や産業の振興、海外都市との交易、文化交流、雇用政策、州内の治安、危機管理、環境保全、医療保険など社会保障サービスを担当する。

 

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(315)2022年7月30日

◆これが「日本型州構想」③

(佐々木信夫著『元気な日本を創る構造改革』より)

 「州構想」への移行で国は外交、防衛など国家的な役割、州は広域政策を担い、市町村は基礎行政を担うように変わる。役割分担が明確になり、経営責任の主体もハッキリする。しかも三者は縦ではなく、役割の違う対等な横(水平)の関係に置き換わる。各州は、公選の州知事、州議会を別々に選出する二元代表制の政治機関を持つ地方自治体となり、国の出先機関や47都道府県が統合され、内政の総括権限や財源は各州に移る。国の地方へのかかわりは財源調整と政策のガイドラインを示す役割に限定され、各州が「内政の拠点」になる。

「州構想」への移行は日本各地を元気にする、それが大きなならいだ。各州は国から移った財源や立法権、行政圏、一部司法権をフルに使い、自立を始める。ただ、この州構想に対し、地域間格差が拡大し、勝ち組、負け組がはっきりする、小規模な町村が寂れるといって反対する意見もある。しかし、そうだろうか。現在の47都道府県のままで格差もなく町村も寂れないといえるのか。話は逆ではないだろうか。

広域州にすることで州内の核となる大都市がその州を潤し、町村は広域州の中で財政調整の恩恵を受ける訳で、細切れの47都道府県時よりむしろよくなる。 州制への移行で各州は課税自主権をフルに使い、州の意思で財源を集めることができる。場合によっては、政策減税も可能となる。こうして各州、各市町村は国から干渉されず、自らの意思によって課税し、税率を決定し、徴税できる。人や企業の流れを独自税源で呼び込むこともできる。

 

道州制ウイークリー

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(307)2022年6月4日

◆メガリージョン(大地域圏)の時代① 脱「国民国家」

(大前研一著『経済参謀』より)

「どうしたら日本経済は低迷から抜け出せるのか」といった質問を受ける。――21世紀は「メガリージョン(大都市とその周辺都市で構成される新しい経済活動単位)の時代であり、もはや田中角栄的な「国土の均衡ある発展」は不可能である。にもかかわらず、いまだに政府は「日本」や「日本経済」という次元で考え、国家の均一的な発展を目指している。だから、いくら景気対策や経済政策をやっても効果がないのである。中国のような独裁国家は別として、アメリカにしろEUにしろ、繁栄は「国家」という枠組みの中で創り出せるものではなくなっている。新しい産業が興る完全な規制緩和を行い、世界から富・人材・企業・智恵を呼び込んだメガリージョンだけに繁栄が訪れるのだ。

「日本はどうすればよいのか」という問いに答えるなら、「国家という前提を」捨てよ、と言いたい。国防、外交、金融政策は国家が担うとしても、それ以外の領域は国民国家を卒業し、新たな地域国家像を模索すべきである。そうしなければ、21世紀にトランスフォームして、「繁栄の方程式」を手に入れることはできないのだ。もともと私は日本を11の地域に分けて立法、行政お、司法、徴税の権限を与える「道州制」の導入を提唱してきた。その考えは今も全く変わっていないが、道州レベルではなく1都市、1地域でもメガリージョンが誕生すれば、繁栄の起爆剤になると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(308)2022年6月11日

◆メガリージョン(大地域圏)の時代② 繁栄の方程式

(大前研一著『経済参謀』より)

今、起きているのは経済のボーダーレス化、グローバル化です。モノ、カネ、情報が軽々と国境を飛び越えるようになれば、ビジネスも国境を越えて発想していかなくてはなりません。ネット隆盛の時代に国民国家という国境の中だけの枠組みで考えていたら、企業は死に絶えるしかない――というのが「ボーダレス・ワールド」の基本的な考え方です。ボーダレス化やグローバル化が進んだ今の世界では、「国家」の枠組みにしがみついて「あの国が我々の脅威だ」「移民・難民が仕事を奪う」と叫べば支持者が集まてくる、という状況がいたるところで見られます。「自国ファースト主義」や「ポピュリズム」がはびこっているのが現状です。現実を見れば、「ダイバーシティ(多様性)」が世界をリードしていて、国民国家という時代遅れの枠組みにこだわっていたら、富も人材も不足して、国が落ちぶれ、国民が貧しくなるだけです。

人・モノ・カネ・情報が国境を越えて集まってくる地域「メガリージョン」というものが世界にいくつか見え始めていて、アメリカ、中国、インドでそれぞれ3か所ぐらいに集約されます。繁栄に寄与する人材というものを、歴史的な流れから見てみると、18世紀から20世紀にかけて工業社会が広がり、国民国家というものが形成されました。そこでは、経済単位は国家(国境)となり、中央集権の政府主導ですべてのルールが決まっていました。

自分の国が反映するために富を生み出し、輸出して、また稼ぐ。稼いだカネを国民に分配する。大量生産・大量消費・輸出主導の経済システムの中では、指示通りに迅速・正確な作業をこなす均質な労働力が重宝されてきました。日本はこのルールの下で繫栄し、世界第2の工業大国となりました。

しかし、その次のフェーズではボーダレス・ワールドになって、かつ、インターネットが登場して情報化・ネットワーク化の時代となり、国家に代わって「メガリージョン」という新しい経済単位が生まれつつあります。ここでは、民間・起業家主導でルールが決まります。今後の繁栄の方程式を知るためにも、いま先行しているメガリージョンで何が起きているのかを知ることが重要です。

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(309)2022年6月18日

◆メガリージョン(大地域圏)の時代③ アメリカの経済圏

(大前研一著『経済参謀』より)

アメリカの西海岸の「パシフィック・ノースウエストといわれるバンクーバーからシアトル、ポートランドなどを含む経済圏があります。この地域は、人によっては山脈名に由来する「カスカディア」と呼びます。ここはイノベーション産業がけん引する経済が好調で、ワシントン州とブリティッシュ・コロンビア州がイノベーション産業で相互補完的な連携により、さらなる経済発展を目指さす動きもあります。バンクーバー~ポートランド間で高速鉄道建設計画やバンクーバー~シアトル間で自動運転用高速道路構想もあります。

ベイエリア経済圏で拠点となっているのは、スタンフォード大学です。サンフランシスコからサンノゼまで車で1時間というエリアに世界中から人、カネ、モノが集まっています。代表的な企業は、アップル、グーグル、メタ、テスラなどです。これらの巨大企業に続く会社として次々とユニコーン企業が誕生しています。

GAFAMに続くような急成長をしているIT企業やユニコーン企業の創業者も移民や留学生が起業した例が多くなっています。大学や大学院が人材交流の場になっています。スタンフォード、UCLA,、ハーバード、MITといった大学をキャッチャーとして、そこに世界中から優秀な学生を集めます。アメリカにはスタートアップを助けるいろいろな仕掛けがあります。このホップ・ステップ・ジャンプというプロセスが大事なのです。日本の場合は、まず大学というのが単なるアカデミックな学びの場となっていて、世界から優秀な若者を呼び込みません。世界中から才能がある人材が集まってきて、彼らの欲望や野心を事業化していける場があるかどうかなのです。

 

 

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(310)2022年6月25日

◆メガリージョン(大地域圏)の時代④ 道州制の先駆「九州」

(大前研一著『経済参謀』より)

中国にも3つのメガリージョンがあります。北京・天津・河北を含んだの京・津・冀の地域です。精華大学や北京大学、中国科学院などの研究機関、あるいはネット検索大手のバイドゥやパソコンメーカーのレノボなどの本社があります。次にグレーター上海。上海市と浙江省や江蘇省、安徽省の一部を含む長江デルタ地帯を高速鉄道網で結び、発展しています。アリババ、アントグループの本拠地です。もう一つが深圳を中心とするグレーターベイエリアです。隣の広州、珠海など珠江デルタに広がっています。深圳の人口は1400万人となり、1人当たりGDPは中国の都市としては、圧倒的に1位です。テンセント、ファーウェイ、ドローン最大手のDJIなど急成長を遂げたスタートアップ企業が集積しています。

インドでは、ニューデリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタを高速道路や高速鉄道で結んで、「黄金の四角形」とか「ダイヤの四角形」と呼ばれる壮大なインフラ拡充策が進められています。それらの大都市から離れた南部のベンガロールはインドのシリコンバレーとも呼ばれています。

日本では、東京、名古屋、大阪、福岡の中で元気なのは福岡です。商業の中心地・天神エリアで大規模な再開発プロジェクトが進行中です。しかも九州は、福岡だけが元気なわけではない。九州新幹線と高速道路網の整備により、九州としての一体感が醸成されて相乗効果が生まれてきている。さらに台湾の半導体メーカーTSMC(台湾積体電路製造)が熊本に工場を建設する。もともと九州は三菱電機、ソニー、東芝、NEC、沖電気などが各地に半導体工場を建設し、「シリコンアイランド」として成長したが、韓国への技術流失や製造コストが安い海外への工場移転などで徐々に寂れてきていた。しかTSMCの進出によって「シリコンアイランド」復活の足掛かりができたといえるだろう。九州は、韓国や中国、東南アジアに近いという「地の利」がある。ビジネスにおいても生産拠点としてもメリットが極めて大きい。道州制=クオリティ国家の延長線上にあるメガリージョンの最適モデルである。

道州制ウイークリー(303)~(306)

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(303)2022年5月7日

◆道州制の推進が少子化対策につながる

(村井嘉浩宮城県知事『人口急減と自治体消滅』より)

 地方が人口減少・少子化対策に取り組むには、地域特性を生かした施策の展開や街づくりが重要。国から地方への大幅な権限移譲が必要で、東京一極集中を改善し、東北全体で人を呼び込むには道州制の推進が重要だ。

 人口の減り方は県内でも市町村別、地域間で差があります。東京一極集中といわれますが、宮城も仙台一極集中です。仙台一極集中というのは、仙台都市圏は力があるということで、仙台から離れれば離れるほど問題が深刻になっています。これはまさに日本の縮図です。

 東京一極集中是正のために、知事会などは会社が集積しづらい地域の法人税率を低くして、企業を地方へと誘導した方がいいのではと主張しています。確かに一つの考え方と思います。しかし、東京や大阪や愛知など大都市圏などは猛反対するでしょう。そんなに問題は簡単ではないのではないかと思っています。企業はもっと有利な法人税率の地域が世界中にいくらでもあります。そうした中で本社機能が東京にあるのは、東京に魅力があるからです。それよりも地方が自ら力をつけていくことが重要と思います。東北6県だと1000万人の規模になります。東北が一つになるぐらいの大同団結ができれば、東京に勝てるような地域づくりをすることは十分可能です。

 地方自治体でできることがあるとすれば、道州制の推進です。東北を一つにまとめれば、例えば空港機能は、現在の9つの空港をA空港とB空港に集約して他の空港をなくす、また港もいずれかを選択的に大きくする、大学も集約することでレベルの高い大学をつくることができます。そうすれば、若い人がこぞって田舎に集まってくるでしょう。国が一律に「こうすればうまくいく」と示すのではなく、地方が自分の頭で考えられるように権限を移譲する、地方公共団体のスケールを大きくするということが、長い目で見れば少子化対策につながると思います。県単位でやろうとすると、国が決めたこと以外何もできません。権限と財源がないからです。

 

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(304)2022年5月14日

◆人口の一極集中は権力が一極集中だから

(佐竹敬久秋田県知事『人口急減と自治体消滅』より)

 産業構造の変化をとらえた地方の産業の活性化――国も我々地方自治体も、なかなかそのための解決策を見いだせないでいます。企業誘致活動はしても、企業はなかなか来ない。内発的な産業をどう生かすかが県に求められています。当然、企業誘致もありますが、ある程度、地域の中のいろいろな基盤や可能性を産業化するというのが、大きな流れです。産業は創意工夫で成り立つものではありません。今の産業政策であっても、地方への産業の再配置をする。思い切って企業や大学の地方への再配置までしないと、難しいのではないでしょうか。

 産業政策なしの人口の地方分散はあり得ません。日本の場合、産業の分散と人口分散を相当意識的にやらないと、黙っていたら東京に行ってしまいます。例えば、地方自治体で農地転用許可権限を国から市町村に移譲してほしいと言っていますが、国は岩盤規制の緩和は頑として認めません。これでは市町村の特性を生かせません。思い切って相当なところまで市町村に権限を任せると、市町村の責任でやらざるを得なくなります。権限があると、やる気も出てきます。今、権限はほとんどなく、この範囲でやりなさいとなっているから、やることの精度が低いんです。

 人口が東京一極集中になっているのは、権力の一極集中になっているから、そうなるのです。人口は権力のある所に集まります。結局、分権が必要なんです。自分たちの町だから自分たちで何とかしなければならないと、権力が自分たちの近くにあればそういう発想が出てきます。上から目線でああしろ、こうしろと言ったって、全然動きません。権力の集中の影響がまわりまわって人口減少となっているんです。

 

 

 

 

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(305)2022年5月21日

◆地方の特性生かした取り組み推進

(吉村美栄子山形県知事『人口急減と自治体消滅』より)

人口減少の歯止めには、地方の特性を生かした取り組みの推進が重要だと思っています。山形は3世代同居率が最も高い県です。家族を中心に、子育てや介護など福祉的な機能を内包しています。人口減少の中で経済成長するためには、女性も男性もともに働き、育むことができる社会の構造が必要です。具体的な取り組みとして、「ものづくり産業」で働く女性の異業種間交流を進め、付加価値の高い製品開発や販路開拓につながるような施策を考えています。

人口減少は、国家的な喫緊の課題です。政府を挙げての少子化対策、女性の活躍促進に向けた施策の充実化を図ることが大事です。中央主導で一律にやるのではなく、地方の実情にあわせた独自の取り組みに対し、財政支援を含め、国策で取り組んでいただきたいと思います。

中央一極集中を是正し、地方への人口分散を進めるため、政府は十分なリーダーシップを発揮し、産業の分散、再配置を強く推し進めることが極めて重要です。企業の本社や研究開発機能、デザイン、マーケティングといった事業所関連サービス産業を支援対策に追加するなど、「企業立地促進法」の大幅な拡充をしていただきたいと考えます。また、法人関係税の税率を大都市圏より低くするなど地方へ企業分散を促す制度を求めます。移転こそが企業の最大メリットとなるような制度拡充や創設が必要です。税制度改革の一方で、日本海側の社会資本整備を合わせて進めるべきです。社会資本整備は産業分散の基盤であり、災害時の太平洋側と日本海側の補完性や代替性確保にもつながり、地方創生には 欠かせません。

 

 

 

 

 

 

 よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(306)2022年5月28日

◆東京一極集中に歯止めをかける

(片山善博慶応大学教授『人口急減と自治体消滅』より)

20年以上前に国会等の移転に関する法律、いわゆる首都機能移転法ができて、首都機能の移転、分散という国の方針を決めている。その着眼は、東京一極集中は地方の疲弊を招き、国全体のバランスが取れなくなるという点と、首都直下型地震などが起きた時のリスクがあまりにも高いので、分散させようという機運が一時期盛り上がりました。しかし現在、それがほとんどできていない。この法律をもう一回見直すというか再生させ、実行することを政府がまずやるべきだと思います。

いろんな政策には地方に対する植民地政策のような側面があります。例えば農業では、地方は原材料をつくり、付加価値をつけるのは都会という、あたかもプランテーション農業のようなことをやってきました。第二次産業なんかも全部そうです。本社は東京にあり、地方には工場を移転しよう、支店をつくろうという支店経営でした。何が問題かというと、付加価値の高いもの、そういう分野は全部東京に残し、付加価値のつかない生産性の低い部分だけ地方に移そう。まるで中国や東南アジアに製造拠点を移すのと同じような発想です。

この政策は変えないといけません。地方で付加価値の高い仕事をする。そうすると、試験研究機能とか高等教育機能が必要になります。そうすると、それを支える国立大学や道府県の試験研究機関がありますから、そこにもっと光を当てる、こういうことをやらねばならないと思います。いま、地方の国立大学では、運営交付金を減らされています。そこで何を削るかというと、図書費と研究費ということになる。そうではなくて、そういうところにおカネをつけて、地方で試験研究機能、研究開発機能、高等教育機能とかさらに活気が出るような手を打つことが、ベーシックな部分での一極集中を防ぐことにつながるのではと思います。

 

道州制ウイークリー(298)~(302)

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(298)2022年4月2日

◆集積のメリットを競え

(小峰隆夫法政大学大学院教授『人口急減と自治体消滅』より)

 働く人の割合が下がってくる人口オーナスの悪循環を小さくしていくには、地域における自律的・安定的な雇用機会を増やし、地域から都市部への生産年齢人口の移動を小さくしていくことが必要だ。そのためには、次のような方向で地域づくりのイノベーションが必要だ。

第一は、「誰が担うのか」だ。かつての地域づくりでは、国が地域政策の主役だった。基本的な方針は国が策定する「全国総合開発計画」によって示され、国の政策が次々に立案されていった。しかし、それによって「金太郎あめのように、どこでも同じような」開発が繰り返されるようになり、地域の個性が失われていった。全国一律の開発は批判を浴び、全国開発計画は廃止された。地域の再生は、まず当の地域が積極的に地域資源を生かして活性化を図ることが不可欠だ。そのためには地方が開発の主役になり、自治体、企業、大学、NPO,市民など多様な主体が地域づくりに参画していく必要がある。

第二は、「どんな方向を目指すのか」だ。かつての地域づくりでは「集中」を抑え「分散」を促進するというコンセプトが維持されてきた。今や、集中への動きが経済社会の大きな流れになっており、集中のメリットが発揮されやすい時代になっている。今後はむしろ「集中化」を志向し、各地域が集積のメリットを競い合うような方向へ進むことが必要だ。政策的に無理に集中を抑制し、分散を図ろうとすると集中の利点が発揮できなくなり、地域の活力をそぐことになってしまうだろう。

第三は、どんな手段を使うかだ。かつての地域づくりでは、公共投資の拡大を中心としたハード路線が中心だった。今後は、歴史的な伝統や人間同士の信頼関係などの「ソーシャル・キャピタル」をベースとして地域を成長させていくという考え方や、大学、研究拠点,、起業環境などの知的環境などの知的資源を組み合わせることによって地域の成長力を高めていくという発想を強める必要がある。

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(299)2022年4月9日

◆「国土の均衡ある発展」論は日本の衰退招く

(八田達夫アジア成長研所長『人口急減と自治体消滅』より)

 日本の長期データでも過去40年の経済協力開発機構(OECD)各国のデータでも、経済成長率と人口成長率は基本的に無関係だ。したがって出生率に人為的に介入する理由はない。しかし、自然に伸びるはずの人口を人為的に抑えている制度は正すべきだ。

 生産性の向上には二つの異なった源泉がある。第一は、技術革新である。工業的なものはもちろん、経営上の技術革新もある。第二は、低生産性部門から高生産性部門への資源の移動である。経済成長すると必ず成長部門と衰退部門が生まれる。しかし、衰退部門は往々にして強い政治力を持つため、生産性が高い部門への資源の流入を阻止する制度的障害を設ける。参入規制はその典型だ。参入規制のような資源移動の障害を取り除くことが「構造改革」である。

 戦後における石油の輸入自由化で、1950年代に隆盛を極めていた石炭業界はつぶれ、大量の失業者が出て地元の町は疲弊する。輸入自由化に対して激しい反対運動が起きた。60年代の高度成長は、石炭産業の犠牲がなければ実現しなかっただろう。斜陽産業をしっかり衰退させるメカニズがなければ、経済全体は成長しない。同様のことが地域についても言える。衰退地域から生産性の高い成長地域に資源が自由に移動することによって、国は成長する。「国土は不均衡に発展」するものだ。

 1970年代からは、「国土の均衡ある発展」論に基づく地方へのばらまき政策によって、大都市圏に対する極端な人口抑制政策が行われてきた。年間の三大都市圏への人口流入数は、ピーク時の10分の1まで落ちた。大都市圏への人口流入抑制策は、①公共投資の地方ばらまき。②農業への保護、③地方交付税による地方への過剰な再配分④工場等制限法などである。しかし、首都圏への人口流入を人為的に減らすことは、消滅しつつある市町村とその役場のしばしの延命には役立つが、「国土の均衡ある衰退」をもたらすことになろう。65年から2010年まで、100万人超の大都市の人口が伸びた。増加率は、首都圏よりも札幌、仙台、広島、福岡などの支店都市が高かった。小都市の人口減少対策として、中都市を強化し、多極集中で中都市と大都市が共存することで、日本は成長することができる。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(300)2022年4月16日

◆官民連携による積極投資で地域の魅力高めよ

(川崎一泰東洋大学教授『人口急減と自治体消滅』より)

 地域経済においては、人口減少社会の影響はもう既に各地で顕在化している。過疎化の進行により地域コミュニティの維持が困難になる限界集落の発生、中心市街地の空洞化などにより商業集積の荒廃、住宅地にも空き家が目立つようになるなどの減少がそうである。こうした地域は人口減少により、農地、商店街、住宅地にそれぞれ耕作放棄地、空き店舗、空き家が発生し、集積の経済性、規模の経済性が受けられなくなり、ライフラインの維持管理に非効率が生じ、インフラの維持が困難となり、人口流失が加速するという悪循環に陥っている。

 日本創生会議が示した「消滅可能性都市」の推計は必ずしも過疎地だけの問題ではなく、大都市圏でも消滅可能性都市が発生することを示し、警鐘を鳴らした点に大きな特徴がある。

 これまでは、日本全体では人口も経済も成長してきたことから、人口が減少していく自治体に対して、公共事業や補助金などを通した所得再配分を行うことができた。ところが、日本全体で人口が減少し、経済成長も鈍化する中、従来通りの所得再分配は困難になる。しかし、積極的な投資により地域の魅力を高めることこそが消滅を防ぐ方法だと考える。ただし、公共投資の非効率性は数多く指摘され、市場メカニズムを軽視してきたことから、多くが維持困難な状況に陥っている。したがって、投資主体は民間が中心となる官民連携の形が望ましい。

 アメリカ地方政府で運用されている「増加税収財源措置」(TIF=Tax Incremental Financing)の導入により、投資の選択と集中を図る方法を提案する。TIFは特定地域の再開発プロジェクトの事業費の一部を、その地域内で再開発に伴う資産価値の増加分から生じる財産税増収分を担保とした債権発行で調達し、実際の財産税増収分で償還する仕組みである。この仕組みは政治的力学によりゆがめられてきた公共投資の失敗を投資家のチェックにより選択させるものである。

 

 

 

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■道州制ウイークリー(301)2022年4月23日

◆中央集権システム解体で住民自治再生を①

(穂坂邦夫地方自立政策研究所理事長『人口急減と自治体消滅』より)

 人口減少社会に危機感を持たない国と地方。国の仕送りを受ける地方はひたすら高度成長期の無原則で高い行政サービスを今も取り続けている。この最大の原因は現行における中央集権システムといえる。日本式中央集権システムとは、遠い指揮官による地方の支配構造である。現在の95%以上の地方自治体はジオ分たちで徴収する地方税をはるかに超える国の地方交付税交付金や補助金によって運営されている。これでは、地方の主権者である住民は無関心にならざるを得ない。無関心な住民に選ばれる首長や議員は、国への依存体質に陥いる。

 国の支配によるこのシステムは地方に対して一律的行政運営を求めざるを得ない。個性を失った地方が次々に誕生する。首長はひたすら国の指示待ち姿勢を貫くことになる。このシステムの欠陥は同時に膨大な無駄遣いにもつながる。これまで地方自治体の自由な発想を促進する様々な施策がとられてきたが、いずれも成果を上げることはできなかった。その原因は「集権システムの幹は何一つ手を付けず、小枝だけその都度切り取ってきた」からである。

国は根幹である権限や財源を地方へ移譲することを嫌い、その都度、枝葉末節の政策を取ることで身をかわしてきたからである。国の施策の柱である地方の活性化と再生を目指す地方創生事業も従来の繰り返しと言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(302)2022年4月30日

◆中央集権システム解体で住民自治再生を②

(穂坂邦夫地方自立政策研究所理事長『人口急減と自治体消滅』より)

 地方を再生する第一点は、地方自治体自身の「危機意識」の醸成が不可欠である。自治体自身が危機感を持ち、自己責任を大原則として、ありったけの知恵と工夫を発揮しなくてはならない。

 第二は、地方における雇用機会の拡大である。雇用の機会を拡大すれば、人口の流失を防ぐだけでなく、都市からのUターン組も期待できる。地方への企業誘致にしても、全国一律に行うのではなく、地方の実態に応じて税制の工夫や情報システムの整備を自由に行うことができれば、もっと拡大する。アメリカは大企業が各地に分散している。自由な財源があれば特産物もインターネットを活用した地方の智恵により大都市圏と直結できる。移住政策も現場からの発想によってもっと成果を上げることができる。観光事業も極めて重要である。今のような「個性なき一律的街づくりではない。各地域に様々な文化が根付いている日本を世界の「ラストリゾート」と位置付けることだ。

 約100兆円を消費する地方自治体も開放する。役所の民営化である。特に市町村の業務の75%は民間人で業務を行うことができる。働く場さえあれば地元を離れることはない。国と地方が発想をともに転換し、真剣にその気になりさえすれば地方は再生し、大都市一極集中は是正される。さらに国と地方の役割分担が確立され分権が進むと地方の自己責任が明確になる。中央集権システムによって失われた地方の自立心が回復し、地方交付税交付金や補助金の30兆円の無駄も削減される。

 人口減少社会を乗り越える唯一の方策は本質に切り込んだ中央集権システムの解体である。中央集権を残したままでは、地方を再生し、大都市一極集中を是正することは不可能である。中央集権からの脱却は決して難しいことではない。国と方の役割分担を明確にするとともに、それぞれの行政経費に応じた財政の分配を行う。これからの国は交付金や補助金で地方を縛る付けるのではなく、地方自身に自己責任と危機感を持たせなければならない。これからの国家は、外交、防衛、通貨、金融などに特化し、全力で取り組むことだ。

道州制ウイークリー(294)~(297)

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(294)2022年3月5日

◆脱「地方バラマキ型補助金政策」こそ地方創生政策

(八田達夫・NIRA総研開発機構『地方創生のための構造改革』)

 第二次安倍政権は成長戦略として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」と呼ばれる地方創生政策が行ったが、これは基本的に「地方バラマキ型」の補助金政策であり、成長戦略としては極めて不備であった。成長戦略としての地方創生の基本は、地方が優位性を持つ分野で、そのポテンシャルを最大限に生かせる環境整備をすることである。そのためには、成長を妨げている規制や地方行政の仕組みを改めていく必要がある。

 例えば農業では、株式会社の農地保有を積極的に進めていくことが重要だ。ホームステイは、地方の観光産業を大きく伸ばす方策になりうるが、その振興のための規制緩和は遅々としている。一方、地方が強い優位性を持つ高齢者サービス産業は、地方自治体が国民健康保険の財源負担を強いられているため、自治体は高齢者施設の新設に許可を与えることに躊躇しており、地方における進展が妨げられている。

 地方が優位性を持つ分野でそのポテンシャルを最大限に生かせる環境を整備するこれらの規制改革や行政改革こそ、地方に真の活性化をもたらす。しかし、それは既得権を脅かす改革でもある。このため、政治的・行政的な抵抗は極めて強い。長期的な成長効果が乏しい「まち・ひと・しごと創生総合戦略」のような補助金政策が、近視眼的な政治家たちに受け入れられやすいことと対照的である。

成長戦略としてふさわしいのは、この政治的に難しい規制改革と行政改革である。

 

 

 

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(295)2022年3月12日

◆旧態依然の地方財政制度

(八田達夫・NIRA総研開発機構『地方創生のための構造改革』)

わが国の集権体制は変わりつつある。従前、地方自治体は国(中央政府)が企画・立案、財政調整(財源保障)した政策・事業を執行する、いわば「国の下部組織」に過ぎなかった。しかし、①機関委任事務の廃止を含む地方分権一括法の施行(2000年4月)、②全国の自治体をほぼ半減させた「平成の大合併」、③3兆円規模の税源移譲を実施した三位一体の改革、④補助金の一括交付金等の「地域主権改革」などを経て自治体の主体性や責任は高まりつつある。しかし、地方財政の「制度」は旧態依然の性格を残している。

1=地方財政(地財)計画による財源保障とそれを実現する「地財交付税制度」は、国が決めた政策(地財計画に計上した支出)を確実に自治体に実行させるという集権的分散システムを前提にした補助金である。2=一括交付金が進んだとはいえ、地方の創意工夫が十分に発揮される状況にもない。「地方創生関係交付金」は先進的な自治体の取り組みを支援するとするが、何が先進的かは国の判断によるところが大きい。自治体は自らの創意工夫ではなく、国をおもんばかった計画(地方版総合戦略)を作ることにもなりかねない。3=国の財源保障は(赤字地方債や国が同意した)地方債にも及ぶ。「暗黙裡の信用保証」は地方債の発行コスト(金利)を国債並みに下げてきた。このことは公共施設の更新・運用への民間資金・経営ノウハウの活用を狙いとする公民連携(PPP)民間主導(PI)普及の阻害要因にも挙げられる。低い地方債の金利は(リスクを含む)本来の公共事業・公共施設のコストを不明瞭にしてしまう。加えて、地方自治体が独自に担う政策にも弊害が見受けられる。

 国の財源保障にも自治体の取り組みにも欠けているのは「住民の財政責任」だ。自治体の自助努力によらない格差を埋めるのは、分権体制下での地方交付税の役割である。しかし、現行の交付税はむしろ地方の財政規律の弛緩、依存体質を助長してきた。改革努力の前に交付税をあてにする状況で本当に改革が進むかは疑問だ。

 

 

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■道州制ウイークリー(296)2022年3月19日

◆公共サービスのリストラ必至

(大庫直樹マッキンゼー共同経営者『人口急減と自治体消滅』より)

 自治体とは何か。あけすけに言ってしまえば、地域住民から税金を集め、それを財源にして地域住民に対して公益にかなうサービスを提供する団体である。税金の主たる払い手は誰か。それは生産年齢人口である。都道府県は、その税収の大半が、生産年齢人口が直接、間接的に支払うものである。個人住民税、法人2税、地方消費税、自動車税、軽油引取税などである。

 今、自治体の財源を支えている生産年齢人口の減少が始まった。これから10年。20年の間、生産年齢人口は総人口を上回る減少スピードで減少していくことになる。自治体は、減少する歳入規模に見合った公益サービスを提供できるように、業務を根本から見直さなければならない。自治体は日本という国、自治体のある地域の経済が成長を続けてきたため、事業を絞り込む経験は少ない。しかし、それをしなければいけない状況がすぐ近くまで来ていることを認識しなければいけない。事業を絞り込むことを通じて、自治体サービスの多様性が広がることが示唆される。自治体自身によるオリジナルの「自治」が目覚めるということである。

 公営企業などの事業を、自治体で行うものとそうでないものに切り分けることによって、自治体の新しい事業領域が明確になるはずでもある。日本の画一的な地方自治制度を見直す契機を、人口減少社会への進展が実はもたらすことになるかもしれない。自治体が自らをデザインする時代の到来を予感させる。

 

 

 

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(297)2022年3月26日

◆効率化と住民参加で財源は確保できる

(柏木恵キャノングローバル戦略研主任研究員『人口急減と自治体消滅』より)

 人口減少社会において、自治体が生き残るためには、住民サービスを効率的に提供し続ける仕組みと、そのための財源(歳入)を確実に確保し無駄なく使用する仕組みが重要である。今の日本は、国と地方を合わせた長期債務残高が1000兆円を超え、まったなしの状況である。財源確保を中心に自治体の存続を考える際に、意識すべき観点は、勤労世代が減少するということである。自治体職員数が減少するだけでなく、税金や料金を納付する勤労世代も同じく減少していくので、自治体同士の連携だけでなく、企業や住民も巻き込んだ形で、効率的で簡素な財政にする必要がある。これから先、自治体が人口減少を乗り越えるには、官民の協働化に加え、自治体内、自治体間の一元化・共同化をこれまで以上にあらゆる自治体業務に取り入れることが必要である。カギは、ITを駆使した一元化・共同化・協働化である。

 日本の国家財政は社会保障関係費が3割を占め、自治体も12兆円ほど負担している。自治体の歳入の約101兆円の内訳は、地方税が35%、地方交付税交付金が20%、国庫支出金が16.3%、地方債が12.2%である。大部分の自治体が地方交付税や国庫支出金などに頼っている。自治体財政の構造的な問題として、滞納残高が1.8兆円ある。個人住民税が9300億円、固定資産税が約5600億円である。国民健康保険や介護保険料も同時に滞納している可能性があり、これらの滞納に対応し徴取することで自主財源を増やすことができるが、そのためには徴収の一元化・共同化・協働化を進めるとよい、

 協働化とは、民間企業との協働であり、民間委託はそのひとつである。IT化、データ化も進めれば、医療や介護のデータベース化で医療保健や福祉の提供の効率化も望める。根本的に財政難から脱却するには、消費税の引き上げや、国税及び地方税の体系の見直し、年金や医療などの社会保障給付とその負担の見直しなどを引き続き検討し実行することも必要不可欠である。

道州制ウイークリー(290)~(293)

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(290)2022年2月5日

◆アイルランドの奇蹟

(野口悠紀雄『リープフロッグ・逆転勝ちの経済学』より)

かつてヨーロッパの最貧国であったアイルランドは、1980年代半ばから、だれもが予想しなかった経済成長を始め、いまではアメリカより豊かな国になっています。急成長した要因としてよく指摘されるのは、法人税引き下げです。これによって海外から外国企業を呼び寄せ、成長を実現したというのですが、法人税率を引き下げたからといって、必ず外国企業が集まるわけではありません。外国企業がアイルランドに来るようになったのは、アイルランドに欧州本部を置き、そこからヨーロッパ大陸の顧客サービスを行うようになったからです。こうなったのは、80年代になってインターネットの利用が進展し、通信コストが大幅に低下したからです。最初の形態はコールセンターです。これが成長の始まりでした。その後、コールセンター業務は安労働力を求めてインドに移動し、アイルランドでの活動は、付加価値の高いものに移行、アイルランドは地球規模でITビジネスのハブになったのです。アイルランドはそれまでの農業型経済から、高度な技術を駆使する国際的サービス型経済へと転換しました。

一方、日本経済の沈滞ぶりは、目を覆わんばかりです。OECDの統計を見ると、雇用者一人当たりGDPで、すでに韓国やトルコに抜かれています。金融緩和や財政出動などと言ってごまかすのではなく、経済構造の改革を真剣に考える必要があります。日本は中国をモデルにすることはできませんが、アイルランドをモデルにすることはできます。例えば、道州制を導入し、全国を5つの道と州にしたとすれば、一つはアイルランドと同じくらいの面積になります。これらの各々に独立国並みの自由度を与えることとすれば、新しい発展が期待できるかもしれません。

*アイルランド=面積70,273㎢、人口493万人。

*リープフロッグ=カエル飛び

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(291)2022年2月12日

◆IT化に対応できない「1940年体制(国家総動員体制)」

(野口悠紀雄『リープフロッグ・逆転勝ちの経済学』より)

ITではインターネットによって組織を越えたデータ交換が極めて容易に行えるようになりました。非常に低いコストで地球規模でのデータ交換が可能になったのです。組織の枠を超えた情報のやりとりが重要な意を持つようになりました。このような大きな技術革新が経済活動を大きく変え、1990年代以降の世界を一変させました。ITがもたらした巨大な変化は、産業革命のそれに匹敵します。ところが日本の組織は閉鎖的な仕組みであるために、これにうまく対応することができなかったのです。問題は、デジタル化の中身が、中央集権的なものから分散的でオープンな仕組みに転換したこと、そして、その変化に日本が対応できていないことなのです。その根底に日本型組織の問題が横たわっています。新しい情報通信技術が日本の経済社会構造、とくに大組織のそれと不適合なのです。

古いものが残っているのは、コンピューターだけではありません。さまざまな分野で既得権の残存が大きな問題です。キャッチアップ型の経済成長においては、先進国というモデルが存在するために、ビジネスモデルはすでに存在しています。そのため、政府がリードしてそれを実現するのが効率的な方法ですが、リープフロッグの場合には、そういう訳にはいきません。政府は、新しいビジネスモデルの開発は不得手です。これは、民間の組織が行うしかありまっせん。政府が新しい活動に補助金を出すべきだと言われます。しかし、そのようなことによってリープフロッグが起きるわけではありません。改革をリードするのは政府の役割であるという考え方は、キャッチアップ型の経済成長の場合です。リープフロッグは、このような思考法を変えない限り実現しません。

 

 

 

 

 

 

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■道州制ウイークリー(292)2022年2月19日

◆地方分権化進め地方衰退ストップ

(三浦 展『大下流国家・オワコン日本の現在地』より)

 東京圏からくる可能性のある移住希望者はシェアハウスに住むなどシェアリングやエコロジーンに関心が高い。それぞれの地方固有の町の歴史・文化・町並みの活かし方にも関心がある。地方に移住したら仕事をしながら、シェアリングやエコロジーに関わる活動やまちづくりができるということが、大きなインセンティブになりそうである。他方、地方では相変わらず東京をまねた都市再開発も盛んであり、駅前に高層ビルを建てれば若者が戻ってくると勘違いしているような政策がとられること少なくない。

 古いものを活用することで若者が地方にとどまるー――。福井市の場合、行政などの人たちはそれが理解できなかった。彼らは古いビルを壊して新しいビルを建てないと、福井の未来はないと思っていた。こうした中で、古い建物を生かしながらまちづくりをすることの良さが福井でも理解され始めた。新しいビルを建てて、家賃を上げて、全国同じ店が入るというモデルでは、福井市内の若い人にはチャンスがない。売り上げも県外に流失する。だから若者はチャンスを求めて大阪や京都や東京、名古屋に出て行ってしまう。

 東京郊外での若い世代の人口増加のためには「ワーカブル(働きやすさ)」「夜の娯楽」「シュア」が必要と主張してきたが、この原則は地方にも当てはまる。東京圏から地方への移住のネックになるのが仕事である。日本全体が下流化する中、地方では、中央志向の政策でない、地方による地方のための政策が求められる。地元のモノと人材を活用して地元を盛り立てるべきなのだ。巨大な国家を全国共通一律に動かすのは難しい。それぞれの地方単位で地方に即した政策を行っていった方がいいのである。そのための地方分権化がもう一度議論されたほうがいいだろう。

 

 

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(293)2022年1 2月26日

◆日本のGDPの7割はローカル経済圏が稼ぐ

(冨山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか』より)

日本のGDPと雇用のおよそ7割を占めるのは、製造業ではなくサービス産業だ。しかも、サービス産業の大半は、世界で勝負するようなグローバル企業ではなく、国内各地域内の小さなマーケットで勝負するローカル企業が大半だ。サービス産業の多くは、経済構造的にはローカル企業がローカルに活動する構造から、あまり大きくは変化しない。だとすれば、これかの日本の経済成長は、ローカル経済圏のサービス産業の労働生産性とその相関関数である賃金が大きく左右すると考えていい。もちろん、世界で勝負できる製造業やIT産業のグローバル企業には頑張ってもらえばいい。その「稼ぐ力」で、貿易収支であれ所得収支であれ、我が国の国際経常収支に貢献してくれることは極めて重要である。

しかし、それだけでは必要十分条件にならない、世界で勝負できるわずかな数のグローバル企業がどれほど頑張っても、残り大半のローカル企業が足を引っ張っていてはどうにもならない。しかも、経済のグローバル化が進展すると、ローカル経済圏で活動する非製造業への依存度が高まるのが、先進国共通の現象である。だから、世界で勝負するグローバル企業と日本国内で勝負するローカル企業の割合が大逆転するようなことも、構造的には絶対に起こりえない。

いずれにせよ、今、日本の社会と経済に起こりつつある巨大なパラダイムシフトは、グローバルな経済圏とローカルな経済圏の違いを際立たせている。

道州制ウイークリー(285)~(289)

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(285)2022年1月1日

◆地方自治を変え国を一新⑥

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 日本では、今でも田中角栄的な「国土の均衡ある発展」というコンセプトが根付いている。中央で集めた金を地方に再配分する地方交付税がその象徴だ。ところが、東京と鹿児島の1人あたりGDPを比べると、2倍以上の開きがある。沖縄はもっと低くなる。つまり、中央集権で「国土の均衡ある発展」をやろうとすると、与えられる方は与えられることを当然と思い、自助努力の妨げになっているのだ。

一方、ドイツでは、基本法で中央から地方への援助を禁止している。それぞれの州が立法権から徴税権まで持っているからだ。さらに、国からの援助のみならず、豊かな州から貧しい州への援助も上限が厳しく決められている。これがドイツにとって、「国土の均衡ある発展」に非常にプラスになった。なぜか? 誰も助けてくれないので、自助努力を重ねるしかないからである。その結果、企業や施設の誘致なで競争が起こり、長期的にみると非常に均衡ある発展につながったのだ。

日本人が大きく勘違いしているのは、これを中央指導で行った方が効率がいいだろうと考えている点だ。だが、それは途上国だけに通用する考え方である。ある段階から先は、地方それぞれの自立を促し、世界から「カネ・人・企業」を呼び込むように仕向ける。そうやって地方に権限を渡している国の方が豊かになるのである。

 

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(286)2022年1月8日

◆地方自治を変え国を一新⑦

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

中央集権型の硬直化した政府では、新たな産業を興し、これまでの旧態依然とした社会を変革することは期待できない。道州制を導入し地方ごとに三権を有する真の意味での地方自治を実現すことで自立する道を模索していく必要がある。その前に大きな壁が立ちはだかっているのが、地方自治について定めた「憲法第8章」なのである。

現行の日本国憲法は、終戦直後に進駐軍が慌てて作っていったお粗末なものである(原文は英語)。最高司令官マッカーサーの指揮の下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民生局――つまり、日本という国を知らない人たちが書いた憲法だから、前のほうだけに力が入っている。前文や、明治憲法で絶対君主とされた天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とする第1章、「戦争放棄」の第2章に比べると、それ以降の文章はまったく気合が入っていないのだ。

大前版憲法改正草案の地方自治の項では、国家を形成する社会単位を「コミュニティ」としている。コミュニティは、人間生活に必要な基本財が満たされること、健康で安全な生活が営まれることが必要であるとし、道州はコミュニティの集合体とされ、産業基盤育成の単位とされる。財源は個人からの消費税、法人からの法人税及び固定資産税によって賄われる。日本の県は規模が中途半端で今のままでは地方分権が進まない。分権化に足る規模の道州を新設するとしている。

 

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(287)2022年1月15日

◆「道州制」なぜ実現しないのか

(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)

地方分権は今より進んだ方がいい。そんな考えのもと「道州制」が言われるようになって久しい。現在の日本の行政区分は都道府県だ.まず日本国があり、それが47都道府県に分かれている。しかし、国のすぐ下の単位が都道府県というのは細かすぎる。そこで都道府県より広い、中ぐらいの行政区分である「道」や「州」を新たに設けようというのが道州制である。道州には、現在の都道府県が持っている権限より強い権限を与える。そうすることで地方自治体の自立性を高め、「ニア・イズ・ベター」の地方分権の原則をより強く機能させてはどうか、というわけだ。この道州制は根強く訴えられており、多くの人が賛同している。それにもかかわらず実現していない。

足かせの1つとなっているのは、実は憲法だ。「地方のことは地方で」を「地方のルールは地方が決める」と捉えると、地方の条例制定権を自立させた方がいい。それには、憲法第94条の改正が必要だ。憲法94条では、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、および行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」とされているが、あくまで「法律の範囲内」でしかできないのだ。各地方がその条例により、国が決めた法律の上書きをできるようにすることができれば、地方の自由度は格段に増すはずだ。そこで障害になったのが、憲法94条だ。国の法律の範囲内でしか条例を作れないので、条例による国の法律の上書きは憲法を改正しないと無理なのだ。

ただ、中には道州制によって「今ある立場や権限」を損なわれたくない人々がいる。都道府県の知事の立場にある人たちでらる。道州制が導入されたら、道州の長が設けられ、都道府県知事の立場は道州長の下になる。「県知事」から「地区長」へ格下げされることになる。ただし、人情としては理解できても、正しいと言えるのかどうか。

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(288)2022年1月22日

◆地方分権で地域格差が広がる?

(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)

地方分権を進めるためには、現在の税制にもメスを入れる必要がある。より強く「地方のことは地方で」を機能させるには、地方財政の権限を広げなくてはいけないからだ。「地方のことは地方でやる」とは、すなわち「地方のことは地方のカネでやる」ということでもあるのだ。現在の税制はどうなっているかというと、一言でいえば「上納金分配システム」だ。簡単に説明すると、国民が納めた税金は、いったん国に納められる。そして「地方交付税」として、国から地方へと分配される。つまり地方の財政はほぼ国が握っているのだ。

「地方自治体の財政の不均衡を調整すること」、つまり「金持ち地域と貧乏地域の格差を生まないようにすること」が、地方交付税の大義名分だ。しかし、そもそも、国が地方に税金を「上納」させるというシステムがなければ、赤字になることもない自治体は多いはずだ。本来はストレートに地方の財源に入るべき税金が、いったん国に吸い上げられる。現行の「上納金分配システム」では、上納金を納めることで赤字になる自治体は、地方交付税をありがたく,おしいただくしかない。地方財政を国の方でコントロールしようという「親分・子分」的な税制が、地方分権の大きな足かせになっているのだ。

地方自治体の財源の不均衡を調整する地方交付税がなくなったら、地域の経済格差が生まれ、極端に貧しい地方自治お体が生じるのではないか、確かに一部の地域ではそういうことも起こってくるだろう。とはいえ、そもそも地方自治体とは単なる「地域の区切り」だ。その間で生じる経済格差を問題にすること自体に、実はあまり意味がない。経済成長を続け、失業率を最低限に抑える。そのために必要な、かつ適切な経済政策を行う。こうして国民一人ひとりが、あまねく文化的で豊かな生活ができるようになっていけばよい。そこで「地域間格差」を問う必要などないのだ。本当に問題にすべきは個人間の所得格差だ。

        

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(289)2022年1月29日

◆コロナ禍で考える地方分権の是非

(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)

2020年に世界的流行となった、新型コロナウイルも地方分権を「わがこと」として考える格好の材料である。ひとたび新型ウイルスが国内に入ってしまったら、感染状況は、いわば各地方自治体の足元の問題だ。自治体によって人口も違えば人の流れも違い、したがって感染状況は自治体ごとに異なる。こういう場合は、地方自治体の首長の判断で対策を打つのが最も効果的だ。感染拡大の抑え込みは時間との勝負でもある。地域の状況を最もよく把握している人が独自の判断で、適時、瞬発的に対策を打つこととが望ましい。

現に欧米の国々を見ても、国家元首の役割は補償金の財源を準備したり、国民に向けて警戒を呼び掛けたりすることだ。地方自治体に相応の権限があり、ロックダウンなどの対策は、各都市が独自の判断で行っている。それが日本では、いちいち地方自治体から国に要請しなくてはいけない。その手間と手続きの手間が無駄なのだ。

また、補償金の問題も地方分権の話と結びついている。ほとんどの自治体には補償金の財源がないから、休業要請を出したくても出せない。そこで政府は「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」という制度を設け、地方自治体に「住民に補償金を出すための補助金」を出すようにした。しかし、そもそも地方自治が国に税金を「上納」するというシステムになっていなければ、補助金の財源も、ある程度は地方独自に確保されていたはずだ。つまり、地方分権が進んでいないために、「住民に補償金を出すための補助金」を出す制度を新たに設ける、などという面倒な措置が必要になってしまったわけである。

さらに、地域の医療が逼迫している。医療の逼迫度合いは、都道府県によってまちまちだ。県をまたいだ患者の地域間搬送波なかなかできない。もし道州制ができて入れば、医療の広域行政は県ではなく、道州単位にするだけで、医療の逼迫はもっと抑えられる。地方分権は、私たちの生活、健康や生命にもかかわる大きな問題なのである。

 

道州制ウイークリー

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(281)2021年12月4日

◆地方自治を変え国を一新③

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 「地方自治」と「地方分権」は似て非なるものである。分権というのは、会社に喩えれば、社長が 最終的な意思決定の権限をすべて握っていて、一部の実務的な権限だけを分け与えることだ。自治の大前提は「(経済的)自立」である。自立なき自治はないのである。  

 憲法第8章の定めにより、日本の地方は単に「国から業務を委託された出先機関」でしかない存在となっている。日本の地方に「自治はないのである。そんな江戸時代以来の中央集権を21世紀なっても続けているからこれほどまでに地方が衰退し、いつまでたってもこの国は変われないのだ。そんな憲法こそ書き換えなくてはなならない。日本の統治機構をどう変えるべきか、これからの国と地方の関係はどうあるべきか、について世界の潮流を見据えた新しいグランドデザインというものがない。

自治の基本は「産業=雇用の創出」だ。地方自治の根本は大きく二つある。一つは「自立」だ。自立なき自治はない。もう一つは、生活圏としての「コミュニティ」だ。これは地方が自立するための人材を生み育て、磨いていく場所である。地方が自立するためには産業を興さねばならない。産業が唯一、富を生み、雇用を創出するからだ。政府は富を生まない、分配するだけである。地方が自立するために最も重要な「自治権」は産業政策についての権限なのである。ところが今の日本は産業政策はすべて国の許認可が必要でわずかな目こぼし特区を除き、地方に権限はない。これでは産業を興すことはできない。

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(282)2021年12月11日

◆地方自治を変え国を一新④

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

地方が自立するためのもう一つの基礎は「人材」だ。しかし今は、それも国が縛っている。例えば学校教育は、文部科学省が免許を与えた教師が、文科省が認可した教科書を使い、文科省の指導要領に従って教えている。そういう全国一律の教育はもうやめて、付加価値が高い産業を興すための人材を育成する権限を地方に与えるべきである。その場合、産業政策をつくって産業を興すのは道州の役割なので、それに必要な人材を育てる高等教育(大学、大学院、短期大学、高等専門学校)は道州が担うことになる。

地方自治の根本の一つは自立であり、自立のために最も重要なのは雇用を創出する産業である。産業によって求められる人材は違うわけだが、地方自治のもう一つの根本は、そうした人材を生み育て、磨いていく場所、つまり生活圏としての「コミュニティ」だ。それに必要な人材を育てる大学などの高等教育は道州が担うことになるが、個人が生まれ育って価値観を形成し、健全な社会人に成長するまでの18年間の教育はコミュニティが行うべきである、

 

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(283)2021年12月18日

◆地方自治を変え国を一新④

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

日本型の中央集権国家は、その発展性と競争力において頭打ちの状態となっているどころか、国力弱体化の一途をたどっている。それは未だ出口の見えない袋小路にあるといえるだろう。原因は、戦後の高度成長期に中央集権的計画経済で成功を収めたことで、次へのフェーズへ移行する準備を怠ってきたことにある。中央集権を体現する政治家や役人たちが、成熟期にふさわしい先を読んだ手を打ってこなかったから、旧態依然とした法律や制度が経済構造の変革や新たな産業を呼び込むネックになっているのだ。彼らは地方が創生しない原因が統治機構にある、ということに気付いていないのである。

日本が参考にすべき国として筆頭に挙げたいのは、ドイツだ。ドイツは国土面積、人口が日本と同程度の中規模成熟国家である。1人当たりGDPで見ても、似たようなポジションにいる。工業を主要産業とし、経済に占める製造業の割合が高いことも日本と同様だ。戦後ドイツは多くの点で日本と似ていたにもかかわらず、弱体化するに日本を尻目に、国家クオリティを維持している。クオリティ・オブ・ライフ、クオリティ・オブ。コミュニティ、クオリティ・オブ・インダストリー・・あらゆる点で高いクオリティを保っている。ドイツに学ぶことは多い。ブランド化などで成長を続ける大企業や、ニッチな分野に特化し世界市場を席巻する中小企業など、ドイツ企業は多くの業種において世界をリードする競争力を持っている。それは、政府の統治機構の違いや構造改革への取り組みと無関係でない。

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(284)2021年12月25日

◆地方自治を変え国を一新⑤

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

ドイツ企業の強さは、ドイツの国と経済に支えられている。一つ目は、国家の統治構造である。連邦国家であるドイツは、13の州と3つの都市州(ベルリン、ハンブルグ、ブレーメン)を合わせた16の州で構成されている。これらドイツの州は、日本の都道府県のような権限を持たない「地方公共団体」ではなく、強力な自治権を持つ「地方政府」である。ドイツ連邦共和国基本法(憲法)にも「国家的機能の行使および国家的任務の遂行は、この基本法が定めない限り州が行う」と規定されている。

各州は州議会や州憲法、州内閣を有し、立法・行政・司法の三権のみならず、徴税権も持っている。連邦政府は国籍や外交、国防に関することを決定するものであり、企業誘致をはじめとする産業政策も、基本的に州に関わることは国とは関係なく、州の権限で行っている。

ドイツの州は国家を超えてヨーロッパ全体、さらには世界中のマーケットを相手にしている。そのために州ごとに独自の産業や企業が発達し、高い競争力を有するに至った。

日本もドイツも第二次世界大戦前は同じような独裁的中央集権国家だった。アメリカの進駐軍はドイツの統治機構をバラバラにし、アメリカ型の連邦国家を基本法で担保した。ナチスを再興させないよう、徹底的に中央集権を忌避し、地方自治の憲法をつくったのである。

 

道州制ウイークリー

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(277)2021年11月6日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑯

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 この国は過疎の「地方国」と過密の「東京国」の二つに分断され、双方ともハッピーでない暮らしの状況にある。とりわけ、都市圏から外れた地方の抱える問題は次の3点に集約されよう。

 一つは、地方経済の縮小、企業倒産の増加だ。人口減に伴う労働力減、コロナ禍、後継者不在で倒産する会社が増えている。この現象は街の中心部のシャッター通りに限らず、国道沿線、郊外住宅地、農村部にまで広がっている。こうした地方経済の疲弊、衰退は過去最高の水準になっており、日本経済にとって一番の痛手となる。

 二つ目は、担い手不足など地方医療体制の崩壊の危機だ。医師、看護師、保健師、助産師など医療従事者が足りない。資格を有しながら過重労働を避け働こうとしない傾向や都市部へ流れる医師、看護師などが目立つ。

 三つめは、耕作地放棄、空き家の増加による無居住地が増大していることだ。地方から都会へ若年人口が流失し無居住化が進む。それ以上に高齢化に伴い耕作を諦め農地が荒れ放題、売却も再建能力もなく相続人すら不明の空き家が増大、20年後、人の済まない無居住地域が自治体の2割にも達するという見方すらある。隣接自治体がこの地域を見る「管理自治体」といった制度の砲声かが迫られよう。

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(278)2021年11月13日

◆一極集中から分権広域州制度へ⑰

(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)

 新しい革袋には新しい酒を、と言われるように、日本の国の人口を入れる「中身」が小さくなっていく時代に、入れ物である統治の仕組みが大きい風呂敷のままでは使い勝手が悪いし、カネもかかる。大きなパラダイム転換の舵をどう切るか、それが政治家を含め私たち国民に課せられた課題だ。膨らみすぎた「統治の仕組み」を賢くたたんでいく道しかないのではないか。国の機構は一府十二省と多くの地方分部局、県も47都道府県と多数の出先機関、20政令市と175行政区、一般市町村1716と多くの出張所という具合に、幾重にも行政の仕組みが重なっている。だがよく見ると、実際は同じような仕事をしているところが多い。この仕組みを次代に合うように簡素で効率的なものにつくり直したらどうか。

 明治期の「廃藩置県」が拡大期の政治革命だったとすれば、これから令和期の人口縮小型に備えた政治革命は「廃県置州」ではないだろうか。日本を10程度の広域圏からなる州とし、それぞれが内政の拠点として独自の政策を行う。それを可能とするよう、規制緩和も地方分権も大胆に行う必要がある。それがいま課せられた政治の基本的な役割ではないか。それが実現すると日本各地に活力が湧き出て潜在能力が顕在化してくる。結果として壮大な無駄は省かれる。大都市は三密状態から解放された快適な空間となり、地方への分散も進む。 「いまこそ脱東京」を実現しよう。

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(279)2021年11月20日

◆地方自治を変え国を一新①

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 旧態依然としたこの国の統治機構は、まったくと言っていいほど変わっていない。相変わらず永田町の政治家と霞が関の役人が様々な権ほk限を独占し、差配している。今の日本は単発エンジン(中央政府)で飛んでいるジェット機のようなものである。そのエンジンは巨大だがすでに老朽化して、飛行速度(経済)は徐々に下がりつつあり、どれほど燃料(予算)を補給しても浮揚しない。

 この危機を回避するためには単発エンジンに頼らず、小回りの利く新たなエンジンをいくつも付けて、その総合力で窮地を脱する方法を取るしかない。――それがつまり、「平成維新」が当初から提唱していた「道州制」であり、新たな地方自治の実現である。政府と霞が関がすべてを支配する中央集権体制を変えなくてはいけない。

 そこで、統治機構の大改革を実現するための憲法改正を提案したい。その核心は「憲法第8章 地方自治」の改正である。今の日本が抱えている難問の多くは、旧態依然とした統治システムに原因の一端がある。この状況をひっくり返すには、「第8章」を俎上に載せなければならない。戦後70年を過ぎた日本が直面している停滞や閉塞は、小手先の景気対策や思い付きの金融政策で解決できるものではない。

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(280)2021年11月27日

◆地方自治を変え国を一新②

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

そもそも、なぜ日本の地方は再生しないのか? 地方に対する意思も体力も構想もないからだ。その根本的な原因は、江戸時代以降連綿と続いている非常に強固な中央集権の統治機構にあると考える。ドイツ、イタリアやアメリカは州に様々な権限があり、州ごとに世界に直接アクセスしている。ところが日本は、中央政府が多くの権限を独占しているため、地方は特色ある政策を実行することができない。そして、この強い呪縛の基になっているのが「憲法第8章」である。

 憲法第8章は「地方自治」という章でありながら、条文はあまりにも短く、「地方自治体」というものについて何も定義されていない。「地方自治体」は、ここでは「地方公共団体」としか呼ばれていない。都道府県や市町村は、自治の権限を持つ地方自治体ではなく、地方における行政サービスを行うことを国から認められた団体でしかないのである。さらに、第94条には、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定することができる、と書いてある。これは、法律の範囲内でしか条例を制定できない、ということだ。