月別アーカイブ: 3月, 2022

道州制ウイークリー(294)~(297)

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(294)2022年3月5日

◆脱「地方バラマキ型補助金政策」こそ地方創生政策

(八田達夫・NIRA総研開発機構『地方創生のための構造改革』)

 第二次安倍政権は成長戦略として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」と呼ばれる地方創生政策が行ったが、これは基本的に「地方バラマキ型」の補助金政策であり、成長戦略としては極めて不備であった。成長戦略としての地方創生の基本は、地方が優位性を持つ分野で、そのポテンシャルを最大限に生かせる環境整備をすることである。そのためには、成長を妨げている規制や地方行政の仕組みを改めていく必要がある。

 例えば農業では、株式会社の農地保有を積極的に進めていくことが重要だ。ホームステイは、地方の観光産業を大きく伸ばす方策になりうるが、その振興のための規制緩和は遅々としている。一方、地方が強い優位性を持つ高齢者サービス産業は、地方自治体が国民健康保険の財源負担を強いられているため、自治体は高齢者施設の新設に許可を与えることに躊躇しており、地方における進展が妨げられている。

 地方が優位性を持つ分野でそのポテンシャルを最大限に生かせる環境を整備するこれらの規制改革や行政改革こそ、地方に真の活性化をもたらす。しかし、それは既得権を脅かす改革でもある。このため、政治的・行政的な抵抗は極めて強い。長期的な成長効果が乏しい「まち・ひと・しごと創生総合戦略」のような補助金政策が、近視眼的な政治家たちに受け入れられやすいことと対照的である。

成長戦略としてふさわしいのは、この政治的に難しい規制改革と行政改革である。

 

 

 

 

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(295)2022年3月12日

◆旧態依然の地方財政制度

(八田達夫・NIRA総研開発機構『地方創生のための構造改革』)

わが国の集権体制は変わりつつある。従前、地方自治体は国(中央政府)が企画・立案、財政調整(財源保障)した政策・事業を執行する、いわば「国の下部組織」に過ぎなかった。しかし、①機関委任事務の廃止を含む地方分権一括法の施行(2000年4月)、②全国の自治体をほぼ半減させた「平成の大合併」、③3兆円規模の税源移譲を実施した三位一体の改革、④補助金の一括交付金等の「地域主権改革」などを経て自治体の主体性や責任は高まりつつある。しかし、地方財政の「制度」は旧態依然の性格を残している。

1=地方財政(地財)計画による財源保障とそれを実現する「地財交付税制度」は、国が決めた政策(地財計画に計上した支出)を確実に自治体に実行させるという集権的分散システムを前提にした補助金である。2=一括交付金が進んだとはいえ、地方の創意工夫が十分に発揮される状況にもない。「地方創生関係交付金」は先進的な自治体の取り組みを支援するとするが、何が先進的かは国の判断によるところが大きい。自治体は自らの創意工夫ではなく、国をおもんばかった計画(地方版総合戦略)を作ることにもなりかねない。3=国の財源保障は(赤字地方債や国が同意した)地方債にも及ぶ。「暗黙裡の信用保証」は地方債の発行コスト(金利)を国債並みに下げてきた。このことは公共施設の更新・運用への民間資金・経営ノウハウの活用を狙いとする公民連携(PPP)民間主導(PI)普及の阻害要因にも挙げられる。低い地方債の金利は(リスクを含む)本来の公共事業・公共施設のコストを不明瞭にしてしまう。加えて、地方自治体が独自に担う政策にも弊害が見受けられる。

 国の財源保障にも自治体の取り組みにも欠けているのは「住民の財政責任」だ。自治体の自助努力によらない格差を埋めるのは、分権体制下での地方交付税の役割である。しかし、現行の交付税はむしろ地方の財政規律の弛緩、依存体質を助長してきた。改革努力の前に交付税をあてにする状況で本当に改革が進むかは疑問だ。

 

 

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■道州制ウイークリー(296)2022年3月19日

◆公共サービスのリストラ必至

(大庫直樹マッキンゼー共同経営者『人口急減と自治体消滅』より)

 自治体とは何か。あけすけに言ってしまえば、地域住民から税金を集め、それを財源にして地域住民に対して公益にかなうサービスを提供する団体である。税金の主たる払い手は誰か。それは生産年齢人口である。都道府県は、その税収の大半が、生産年齢人口が直接、間接的に支払うものである。個人住民税、法人2税、地方消費税、自動車税、軽油引取税などである。

 今、自治体の財源を支えている生産年齢人口の減少が始まった。これから10年。20年の間、生産年齢人口は総人口を上回る減少スピードで減少していくことになる。自治体は、減少する歳入規模に見合った公益サービスを提供できるように、業務を根本から見直さなければならない。自治体は日本という国、自治体のある地域の経済が成長を続けてきたため、事業を絞り込む経験は少ない。しかし、それをしなければいけない状況がすぐ近くまで来ていることを認識しなければいけない。事業を絞り込むことを通じて、自治体サービスの多様性が広がることが示唆される。自治体自身によるオリジナルの「自治」が目覚めるということである。

 公営企業などの事業を、自治体で行うものとそうでないものに切り分けることによって、自治体の新しい事業領域が明確になるはずでもある。日本の画一的な地方自治制度を見直す契機を、人口減少社会への進展が実はもたらすことになるかもしれない。自治体が自らをデザインする時代の到来を予感させる。

 

 

 

 

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(297)2022年3月26日

◆効率化と住民参加で財源は確保できる

(柏木恵キャノングローバル戦略研主任研究員『人口急減と自治体消滅』より)

 人口減少社会において、自治体が生き残るためには、住民サービスを効率的に提供し続ける仕組みと、そのための財源(歳入)を確実に確保し無駄なく使用する仕組みが重要である。今の日本は、国と地方を合わせた長期債務残高が1000兆円を超え、まったなしの状況である。財源確保を中心に自治体の存続を考える際に、意識すべき観点は、勤労世代が減少するということである。自治体職員数が減少するだけでなく、税金や料金を納付する勤労世代も同じく減少していくので、自治体同士の連携だけでなく、企業や住民も巻き込んだ形で、効率的で簡素な財政にする必要がある。これから先、自治体が人口減少を乗り越えるには、官民の協働化に加え、自治体内、自治体間の一元化・共同化をこれまで以上にあらゆる自治体業務に取り入れることが必要である。カギは、ITを駆使した一元化・共同化・協働化である。

 日本の国家財政は社会保障関係費が3割を占め、自治体も12兆円ほど負担している。自治体の歳入の約101兆円の内訳は、地方税が35%、地方交付税交付金が20%、国庫支出金が16.3%、地方債が12.2%である。大部分の自治体が地方交付税や国庫支出金などに頼っている。自治体財政の構造的な問題として、滞納残高が1.8兆円ある。個人住民税が9300億円、固定資産税が約5600億円である。国民健康保険や介護保険料も同時に滞納している可能性があり、これらの滞納に対応し徴取することで自主財源を増やすことができるが、そのためには徴収の一元化・共同化・協働化を進めるとよい、

 協働化とは、民間企業との協働であり、民間委託はそのひとつである。IT化、データ化も進めれば、医療や介護のデータベース化で医療保健や福祉の提供の効率化も望める。根本的に財政難から脱却するには、消費税の引き上げや、国税及び地方税の体系の見直し、年金や医療などの社会保障給付とその負担の見直しなどを引き続き検討し実行することも必要不可欠である。

道州制ウイークリー(290)~(293)

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(290)2022年2月5日

◆アイルランドの奇蹟

(野口悠紀雄『リープフロッグ・逆転勝ちの経済学』より)

かつてヨーロッパの最貧国であったアイルランドは、1980年代半ばから、だれもが予想しなかった経済成長を始め、いまではアメリカより豊かな国になっています。急成長した要因としてよく指摘されるのは、法人税引き下げです。これによって海外から外国企業を呼び寄せ、成長を実現したというのですが、法人税率を引き下げたからといって、必ず外国企業が集まるわけではありません。外国企業がアイルランドに来るようになったのは、アイルランドに欧州本部を置き、そこからヨーロッパ大陸の顧客サービスを行うようになったからです。こうなったのは、80年代になってインターネットの利用が進展し、通信コストが大幅に低下したからです。最初の形態はコールセンターです。これが成長の始まりでした。その後、コールセンター業務は安労働力を求めてインドに移動し、アイルランドでの活動は、付加価値の高いものに移行、アイルランドは地球規模でITビジネスのハブになったのです。アイルランドはそれまでの農業型経済から、高度な技術を駆使する国際的サービス型経済へと転換しました。

一方、日本経済の沈滞ぶりは、目を覆わんばかりです。OECDの統計を見ると、雇用者一人当たりGDPで、すでに韓国やトルコに抜かれています。金融緩和や財政出動などと言ってごまかすのではなく、経済構造の改革を真剣に考える必要があります。日本は中国をモデルにすることはできませんが、アイルランドをモデルにすることはできます。例えば、道州制を導入し、全国を5つの道と州にしたとすれば、一つはアイルランドと同じくらいの面積になります。これらの各々に独立国並みの自由度を与えることとすれば、新しい発展が期待できるかもしれません。

*アイルランド=面積70,273㎢、人口493万人。

*リープフロッグ=カエル飛び

 

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(291)2022年2月12日

◆IT化に対応できない「1940年体制(国家総動員体制)」

(野口悠紀雄『リープフロッグ・逆転勝ちの経済学』より)

ITではインターネットによって組織を越えたデータ交換が極めて容易に行えるようになりました。非常に低いコストで地球規模でのデータ交換が可能になったのです。組織の枠を超えた情報のやりとりが重要な意を持つようになりました。このような大きな技術革新が経済活動を大きく変え、1990年代以降の世界を一変させました。ITがもたらした巨大な変化は、産業革命のそれに匹敵します。ところが日本の組織は閉鎖的な仕組みであるために、これにうまく対応することができなかったのです。問題は、デジタル化の中身が、中央集権的なものから分散的でオープンな仕組みに転換したこと、そして、その変化に日本が対応できていないことなのです。その根底に日本型組織の問題が横たわっています。新しい情報通信技術が日本の経済社会構造、とくに大組織のそれと不適合なのです。

古いものが残っているのは、コンピューターだけではありません。さまざまな分野で既得権の残存が大きな問題です。キャッチアップ型の経済成長においては、先進国というモデルが存在するために、ビジネスモデルはすでに存在しています。そのため、政府がリードしてそれを実現するのが効率的な方法ですが、リープフロッグの場合には、そういう訳にはいきません。政府は、新しいビジネスモデルの開発は不得手です。これは、民間の組織が行うしかありまっせん。政府が新しい活動に補助金を出すべきだと言われます。しかし、そのようなことによってリープフロッグが起きるわけではありません。改革をリードするのは政府の役割であるという考え方は、キャッチアップ型の経済成長の場合です。リープフロッグは、このような思考法を変えない限り実現しません。

 

 

 

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(292)2022年2月19日

◆地方分権化進め地方衰退ストップ

(三浦 展『大下流国家・オワコン日本の現在地』より)

 東京圏からくる可能性のある移住希望者はシェアハウスに住むなどシェアリングやエコロジーンに関心が高い。それぞれの地方固有の町の歴史・文化・町並みの活かし方にも関心がある。地方に移住したら仕事をしながら、シェアリングやエコロジーに関わる活動やまちづくりができるということが、大きなインセンティブになりそうである。他方、地方では相変わらず東京をまねた都市再開発も盛んであり、駅前に高層ビルを建てれば若者が戻ってくると勘違いしているような政策がとられること少なくない。

 古いものを活用することで若者が地方にとどまるー――。福井市の場合、行政などの人たちはそれが理解できなかった。彼らは古いビルを壊して新しいビルを建てないと、福井の未来はないと思っていた。こうした中で、古い建物を生かしながらまちづくりをすることの良さが福井でも理解され始めた。新しいビルを建てて、家賃を上げて、全国同じ店が入るというモデルでは、福井市内の若い人にはチャンスがない。売り上げも県外に流失する。だから若者はチャンスを求めて大阪や京都や東京、名古屋に出て行ってしまう。

 東京郊外での若い世代の人口増加のためには「ワーカブル(働きやすさ)」「夜の娯楽」「シュア」が必要と主張してきたが、この原則は地方にも当てはまる。東京圏から地方への移住のネックになるのが仕事である。日本全体が下流化する中、地方では、中央志向の政策でない、地方による地方のための政策が求められる。地元のモノと人材を活用して地元を盛り立てるべきなのだ。巨大な国家を全国共通一律に動かすのは難しい。それぞれの地方単位で地方に即した政策を行っていった方がいいのである。そのための地方分権化がもう一度議論されたほうがいいだろう。

 

 

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(293)2022年1 2月26日

◆日本のGDPの7割はローカル経済圏が稼ぐ

(冨山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか』より)

日本のGDPと雇用のおよそ7割を占めるのは、製造業ではなくサービス産業だ。しかも、サービス産業の大半は、世界で勝負するようなグローバル企業ではなく、国内各地域内の小さなマーケットで勝負するローカル企業が大半だ。サービス産業の多くは、経済構造的にはローカル企業がローカルに活動する構造から、あまり大きくは変化しない。だとすれば、これかの日本の経済成長は、ローカル経済圏のサービス産業の労働生産性とその相関関数である賃金が大きく左右すると考えていい。もちろん、世界で勝負できる製造業やIT産業のグローバル企業には頑張ってもらえばいい。その「稼ぐ力」で、貿易収支であれ所得収支であれ、我が国の国際経常収支に貢献してくれることは極めて重要である。

しかし、それだけでは必要十分条件にならない、世界で勝負できるわずかな数のグローバル企業がどれほど頑張っても、残り大半のローカル企業が足を引っ張っていてはどうにもならない。しかも、経済のグローバル化が進展すると、ローカル経済圏で活動する非製造業への依存度が高まるのが、先進国共通の現象である。だから、世界で勝負するグローバル企業と日本国内で勝負するローカル企業の割合が大逆転するようなことも、構造的には絶対に起こりえない。

いずれにせよ、今、日本の社会と経済に起こりつつある巨大なパラダイムシフトは、グローバルな経済圏とローカルな経済圏の違いを際立たせている。

道州制ウイークリー(285)~(289)

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(285)2022年1月1日

◆地方自治を変え国を一新⑥

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

 日本では、今でも田中角栄的な「国土の均衡ある発展」というコンセプトが根付いている。中央で集めた金を地方に再配分する地方交付税がその象徴だ。ところが、東京と鹿児島の1人あたりGDPを比べると、2倍以上の開きがある。沖縄はもっと低くなる。つまり、中央集権で「国土の均衡ある発展」をやろうとすると、与えられる方は与えられることを当然と思い、自助努力の妨げになっているのだ。

一方、ドイツでは、基本法で中央から地方への援助を禁止している。それぞれの州が立法権から徴税権まで持っているからだ。さらに、国からの援助のみならず、豊かな州から貧しい州への援助も上限が厳しく決められている。これがドイツにとって、「国土の均衡ある発展」に非常にプラスになった。なぜか? 誰も助けてくれないので、自助努力を重ねるしかないからである。その結果、企業や施設の誘致なで競争が起こり、長期的にみると非常に均衡ある発展につながったのだ。

日本人が大きく勘違いしているのは、これを中央指導で行った方が効率がいいだろうと考えている点だ。だが、それは途上国だけに通用する考え方である。ある段階から先は、地方それぞれの自立を促し、世界から「カネ・人・企業」を呼び込むように仕向ける。そうやって地方に権限を渡している国の方が豊かになるのである。

 

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(286)2022年1月8日

◆地方自治を変え国を一新⑦

(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)

中央集権型の硬直化した政府では、新たな産業を興し、これまでの旧態依然とした社会を変革することは期待できない。道州制を導入し地方ごとに三権を有する真の意味での地方自治を実現すことで自立する道を模索していく必要がある。その前に大きな壁が立ちはだかっているのが、地方自治について定めた「憲法第8章」なのである。

現行の日本国憲法は、終戦直後に進駐軍が慌てて作っていったお粗末なものである(原文は英語)。最高司令官マッカーサーの指揮の下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民生局――つまり、日本という国を知らない人たちが書いた憲法だから、前のほうだけに力が入っている。前文や、明治憲法で絶対君主とされた天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とする第1章、「戦争放棄」の第2章に比べると、それ以降の文章はまったく気合が入っていないのだ。

大前版憲法改正草案の地方自治の項では、国家を形成する社会単位を「コミュニティ」としている。コミュニティは、人間生活に必要な基本財が満たされること、健康で安全な生活が営まれることが必要であるとし、道州はコミュニティの集合体とされ、産業基盤育成の単位とされる。財源は個人からの消費税、法人からの法人税及び固定資産税によって賄われる。日本の県は規模が中途半端で今のままでは地方分権が進まない。分権化に足る規模の道州を新設するとしている。

 

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(287)2022年1月15日

◆「道州制」なぜ実現しないのか

(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)

地方分権は今より進んだ方がいい。そんな考えのもと「道州制」が言われるようになって久しい。現在の日本の行政区分は都道府県だ.まず日本国があり、それが47都道府県に分かれている。しかし、国のすぐ下の単位が都道府県というのは細かすぎる。そこで都道府県より広い、中ぐらいの行政区分である「道」や「州」を新たに設けようというのが道州制である。道州には、現在の都道府県が持っている権限より強い権限を与える。そうすることで地方自治体の自立性を高め、「ニア・イズ・ベター」の地方分権の原則をより強く機能させてはどうか、というわけだ。この道州制は根強く訴えられており、多くの人が賛同している。それにもかかわらず実現していない。

足かせの1つとなっているのは、実は憲法だ。「地方のことは地方で」を「地方のルールは地方が決める」と捉えると、地方の条例制定権を自立させた方がいい。それには、憲法第94条の改正が必要だ。憲法94条では、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、および行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」とされているが、あくまで「法律の範囲内」でしかできないのだ。各地方がその条例により、国が決めた法律の上書きをできるようにすることができれば、地方の自由度は格段に増すはずだ。そこで障害になったのが、憲法94条だ。国の法律の範囲内でしか条例を作れないので、条例による国の法律の上書きは憲法を改正しないと無理なのだ。

ただ、中には道州制によって「今ある立場や権限」を損なわれたくない人々がいる。都道府県の知事の立場にある人たちでらる。道州制が導入されたら、道州の長が設けられ、都道府県知事の立場は道州長の下になる。「県知事」から「地区長」へ格下げされることになる。ただし、人情としては理解できても、正しいと言えるのかどうか。

 

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(288)2022年1月22日

◆地方分権で地域格差が広がる?

(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)

地方分権を進めるためには、現在の税制にもメスを入れる必要がある。より強く「地方のことは地方で」を機能させるには、地方財政の権限を広げなくてはいけないからだ。「地方のことは地方でやる」とは、すなわち「地方のことは地方のカネでやる」ということでもあるのだ。現在の税制はどうなっているかというと、一言でいえば「上納金分配システム」だ。簡単に説明すると、国民が納めた税金は、いったん国に納められる。そして「地方交付税」として、国から地方へと分配される。つまり地方の財政はほぼ国が握っているのだ。

「地方自治体の財政の不均衡を調整すること」、つまり「金持ち地域と貧乏地域の格差を生まないようにすること」が、地方交付税の大義名分だ。しかし、そもそも、国が地方に税金を「上納」させるというシステムがなければ、赤字になることもない自治体は多いはずだ。本来はストレートに地方の財源に入るべき税金が、いったん国に吸い上げられる。現行の「上納金分配システム」では、上納金を納めることで赤字になる自治体は、地方交付税をありがたく,おしいただくしかない。地方財政を国の方でコントロールしようという「親分・子分」的な税制が、地方分権の大きな足かせになっているのだ。

地方自治体の財源の不均衡を調整する地方交付税がなくなったら、地域の経済格差が生まれ、極端に貧しい地方自治お体が生じるのではないか、確かに一部の地域ではそういうことも起こってくるだろう。とはいえ、そもそも地方自治体とは単なる「地域の区切り」だ。その間で生じる経済格差を問題にすること自体に、実はあまり意味がない。経済成長を続け、失業率を最低限に抑える。そのために必要な、かつ適切な経済政策を行う。こうして国民一人ひとりが、あまねく文化的で豊かな生活ができるようになっていけばよい。そこで「地域間格差」を問う必要などないのだ。本当に問題にすべきは個人間の所得格差だ。

        

 

 

 

《道州制》関西州ねっとわーくの会

■道州制ウイークリー(289)2022年1月29日

◆コロナ禍で考える地方分権の是非

(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)

2020年に世界的流行となった、新型コロナウイルも地方分権を「わがこと」として考える格好の材料である。ひとたび新型ウイルスが国内に入ってしまったら、感染状況は、いわば各地方自治体の足元の問題だ。自治体によって人口も違えば人の流れも違い、したがって感染状況は自治体ごとに異なる。こういう場合は、地方自治体の首長の判断で対策を打つのが最も効果的だ。感染拡大の抑え込みは時間との勝負でもある。地域の状況を最もよく把握している人が独自の判断で、適時、瞬発的に対策を打つこととが望ましい。

現に欧米の国々を見ても、国家元首の役割は補償金の財源を準備したり、国民に向けて警戒を呼び掛けたりすることだ。地方自治体に相応の権限があり、ロックダウンなどの対策は、各都市が独自の判断で行っている。それが日本では、いちいち地方自治体から国に要請しなくてはいけない。その手間と手続きの手間が無駄なのだ。

また、補償金の問題も地方分権の話と結びついている。ほとんどの自治体には補償金の財源がないから、休業要請を出したくても出せない。そこで政府は「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」という制度を設け、地方自治体に「住民に補償金を出すための補助金」を出すようにした。しかし、そもそも地方自治が国に税金を「上納」するというシステムになっていなければ、補助金の財源も、ある程度は地方独自に確保されていたはずだ。つまり、地方分権が進んでいないために、「住民に補償金を出すための補助金」を出す制度を新たに設ける、などという面倒な措置が必要になってしまったわけである。

さらに、地域の医療が逼迫している。医療の逼迫度合いは、都道府県によってまちまちだ。県をまたいだ患者の地域間搬送波なかなかできない。もし道州制ができて入れば、医療の広域行政は県ではなく、道州単位にするだけで、医療の逼迫はもっと抑えられる。地方分権は、私たちの生活、健康や生命にもかかわる大きな問題なのである。