ウイークリー「国のかたち改革」24年1月
より良き社会へ「国のかたち改革」2024年元日号
≪12州構想≫関西州ねっとわーくの会
「停滞脱出の転機に」 (日経新聞元日特集から)
2024年、日本は停滞から抜け出す好機にある。昭和のシステムは時代に合わなくなった。日本を作り変える。(昭和99年 日本反転)
「製造業優先、デジタル化遅れ」
(元経済産業省次官 北畑 隆生氏)
06年発足の第1次安倍晋三政権は小泉政権の構造改革路線を引き継いだ。行政の見直しを進めても高齢化などで歳出が膨らむ傾向にあり、自民党内でも消費税が必要との見方が広まっていた。「増税の議論に入るつもりだった」。07年に財務次官となった津田氏は明かす。
暗転は早かった。07年夏の参院選で自民党は大敗。衆参の多数派が逆転する「ねじれ国会」となり、国会は空転する。
都道府県に代わる広域の道州制の導入や電子政府構想。経団連の提起に政府も呼応し、痛みの先に待つ果実がようやく議論され始めた時期だった。安倍氏、福田康夫氏と首相が相次いで退陣し、将来に向けた種まきは宙に浮いた。
当時の経団連会長で、経済財政諮問会議の民間議員も務めたキャノンの御手洗富士夫会長兼最高経営責任者は、「州に徴税権を持たせ、県ごとの国立大学を合併して特色ある学部ごとに再編するなど、地域の自立を促して日本を復活させるはずだったのに」と悔やむ。
米グーグルなど00年ごろの米ITバブル崩壊を乗り越えた巨大テック企業が台頭していた。日本企業はデジタル産業に乗り遅れた。06年に経産時次官となった北畑氏は、日本はバブル経済崩壊後の90年代に「製造業を再起させようと躍起になりデジタル投資が遅れた」と話す。
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日本刷新へ、国のかたちを変え、停滞脱出の転機すべき時が来ています。
よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会
★今回からは「国のかたち改革・選」を掲載します。
■ウイークリー「国のかたち改革・選」(1)2024年1月13日
地方分散型の国土づくり(小磯修二『地方の論理』より)
◇地方の多様な発想と力を生かす
地方の持っている多様な発想と力を活かしていくことこそが、これからの日本社会の成長、発展にとって欠かせないのではないか。しかし、現実には、政治、行政、教育、民間活動すべての分野で東京一極集中が進み、また大都市で醸成される。画一的で効率性を重視した「中央の発想」が支配的になり、それによって国全体が硬直的な思考に陥りつつあるのではないかという危機感が募ってきている。
新型コロナウイルスは世界を震撼させた。過密を排した分散の仕組みを社会に取り入れることが求められており、この機会に地方分散型の国土づくりに向けた思い切った議論を進めていくことが必要だろう。非常時の危機管理は中央主導が原則だが、日本では国のタテ割り、組織防御による硬直的な姿勢が目についた。地方自治体の方が多様な状況に柔軟に対応しており、政策対応の力が高まってきているという印象を受けた。この機会に地方のことは地方の権限で推し進めることができる分権の仕組みに向けた議論をすることも大切であろう。
わが国は元来さまざまな地域で成り立っており、それらの地域が相互に結び付いて安定的な発展を遂げてきた。地域の多様な伝統・慣習や文化が積み重ねられて魅力のある国を作り上げてきたが、いつの間にか経済効率を追い求める中で、すべてが中央に集積する中央の論理が蔓延しているように感じられる。あらためて、地方の持つ多様で柔軟な力を見つめ直して、その力を活かした健全な国づくりを進めていくことが必要ではないか。
よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会
■ウイークリー「国のかたち改革・選」(2)2024年1月20日
◆「多極分散」ではなく「多極集中」で商圏を維持する
(河合雅司著『未来の年表・業界大変化』から)
過疎地が広がり続ける人口減少社会の国土の在り方について、集住を進めるのか、分散して住む現状を維持するのか。結論から言えば、「多極分散」ではなく「多極集中」であるべきだ。人口減少社会において拡散居住が広がると、生活に密着したビジネスなどが極めて非効率になり、労働生産性が著しく低下するからである。人々がばらばらに住むことで商圏人口が著しく縮小したならば、企業や店舗は経営が成り立たなくなり、撤退や廃業が進む。民間サービスが届かなくなれば、さらに人口流失が早まり、ますます企業や店舗の撤退、廃業が加速するという悪循環になる。
「多極分散」では行政サービスや公的サービスもコストパフォーマンスが悪くなり、国家財政や地方財政が悪化する。やがて増税や社会保険料の引き上げにつながり、国民の可処分所得が低下する。国交省の資料によれば全国の居住地域の51%で2050年までに人口が半減し、18.7%では無人となる。社会インフラや行政サービスを維持するには、ある程度の人口密度が必要なのである。企業や行政機関の経営の安定と地域住民の生活水準の向上とは表裏の関係にあるが、人口減少社会においてそれを両立させるにはある程度集住を図って、何とか商圏人口を維持するしかない。縮小していく日本においては「多極分散」は命取りである。
「多極集中」を進めていったら展望はどう開けるのか。具体的には全国各地に「極」となる都市をたくさん作ろうという考え方である。現行の地方自治体とは関係なく、周辺地域の人口を集約して商圏を築き、「極」となる都市の中心街として歩行者中心のコミュニティと賑わいをつくるイメージである。ドイツなどヨーロッパ諸国には、こうしたイメージとかなり近い形の都市が存在している。人口規模でいうと、周辺自治体も含め10万人程度が想定される。国交省の資料によれば、人口10万人であれば大半の業種が存続可能となるためだ。国内マーケットが縮小する中で、企業や行政機関は経営モデルを変更せざるを得ないが、「戦略的に縮む」ことによる成長を達成するためには個々の組織の変化だけではなく、社会の在り方にも根本から変えることが求められる。
よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会
■ウイークリー「国のかたち改革・選」(3)2024年1月27日
<どのような経済社会、地域にするのか②>
(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)
◆「地域分散型ネットワーク社会」へ
20世紀は、重化学工業を軸にした大量生産・大量消費の「集中メインフレーム型」の時代でした。それは、市町村や都道府県などの地方自治体を国の出先機関とする中央集権的な行財政システムと適合してもいました。この集中メインフレーム型のシステムは、人口が増加傾向にあり、内需も拡大し続け、輸出額も増加していくような社会でないと、集中メインフレーム型のシステムはうまく機能しません。しかし、すでに日本企業の国際競争力は衰えており、少子高齢化も進み、実質賃金が停滞もしくは低下し続けていますから、とてもこのシステムが持たないのは明らかです。
目指すべきは、「集中型メインフレーム型」ではなく、「地域分散ネットワーク型」の社会なのです。クラウド・コンピューターやIOT、ICTの発達によって、それぞれは小規模で分散していても、瞬時にニーズを把握し、きめ細かく供給することが可能です。しかもそれを効率的に行うことができるのです。各国でこうした動きが始まっています。これが21世紀の新たな産業革命なのです。
医療や福祉、介護の世界は、今後どうあるべきでしょうか。高齢化が進む現在、単身世帯が増加しています。これに対応して、医療や福祉、介護の分野も、地域分散ネットワーク型に変革していく必要があります。具体的には、中核病院、診療所、介護施設、訪問介護・看護・介護などをネットワークで結びつけ、地域医療・介護のシステムを構築するのです。
このように地域分散ネットワーク型へと転換することは、中央集権的な意思決定システムから、分権・自治型の合意形成システムへの転換を伴うものでもあります。重要なのは、中央集権的な「上から下へ」のガバナンスではなく、それぞれの地域を基本とし、地域では対応できないものを上位の行政機関に委ねる「補完性の原理」に立脚するということです。その上で、地域同士でネットワーク形成し、中央政府からの独立性を確保するのです。地域住民が主権者であることを前提とした民主主義の実践といえるでしょう。