道州制ウイークリー(91)~(94)

■道州制ウイークリー(91) 2018年4月7日

◆21世紀の地方分権~道州制論議に向けて(17)

(国立国会図書館調査及び立法考査局『道州制調査報告書』から)

▽財政調整及び財源保障

我が国における地方交付税は、財政調整の機能に加えて財源保障の機能も有しており、自治体間の財源の不均衡を調整するとともに、どの地域に住む国民にも一定の行政サービスを提供できるよう財源を保障するものである。道州制の移行により自らの税収のみでは財源が不足する道州が発生することが予測され、道州制下でも何らかの財政調整や財源保障の制度が必要となることが見込まれる。

各提言で意見が分かれる点として、財政調整や財源保障の対象となる行政サービスの範囲が第一に挙げられる。行政サービスは①社会保障、義務教育、警察などナショナル・ミニマムとして求められる基礎的行政サービス②自治体ごとに独自の基準を設定し得る行政サービス(独自サービス)の2種類に分けることができる。この場合、対象として考慮すべきサービスは①の基礎的行政サービスであると考えられるが、その範囲や水準をいかに確保するか、またどの主体がどのように基礎的行政サービスを維持するのかなどを検討する必要がある。

現在の地方交付税の主たる財源は、国税5税(所得税、法人税、酒税、消費税、たばこ税)となっており、各税の一定割合が地方交付税を構成する。これら国税5税のうち、所得税、法人税は景気の影響を受けやすいことから安定性に欠け、また都市部に企業が多く立地していることなどから地域間の偏在性が高いなど、地方税の原則にそぐわない。しかし、財源保障における財源に適していることが指摘されていることから、道州間の財源保障においては、現行の所得税や法人税が、その財源として有力となることが見込まれよう。財政調整の主体について、各提言では近接性の原理、地方の自立と国の関与の限定を求めており、現行の地方交付税のように国のみが調整を行う制度を主張するものは見られない。水平的調整か、又は国と地方による調整の2種類となっている。

■道州制ウイークリー(92) 2018年4月14日

◆道州制の背景と要因(1)

(江口克彦著『地域主権型道州制の総合研究』から)

▽東京一極集中の構造

道州制導入の背景には、東京一極集中の問題と中央集権体制の制度疲労がさまざまなひずみを生みだしているという問題があり、その改革方法として地域主権型道州制への移行を論じている。

東京一極集中は、日本の機関車として明治以降、そして第二次大戦以降、日本の繁栄をもたらしたが、オランダの都市学者クラッセンが指摘する通り、都市は「都市集中」→「郊外化」→「都市空洞化」→「都心回帰」→「郊外空洞化」という構造変化を起こし、最後は都市の死滅を迎えるという構図にある。東京圏はすでに都心回帰、郊外空洞化の段階に入ったとみてよい。

こうした20世紀の大都市・東京の繁栄はいつまでも続かない。否、続けることは国家の経営として好ましくない。地震国日本を考えても、首都直下型地震の発生一つを想定しても、国全体の機能がマヒするような恐ろしい事態が思い浮かぶ。2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害状況からみて、首都直下型の場合、何十倍、否、何百倍もの被害が想定される。その影響は世界にも及ぶ。

ここは、どうしても地方分散政策を考えないと、この国は立ち行かなくなる。しからば、どうすればよいか。中央集権体制をそのままにしての高速道、高速鉄道、高速空港、高度情報網など高速社会資本を進めた結果、各地の果実と人口がストロー効果を通じて東京に一極集中してしまっている。それを食い止め、分散型に変えていくには道州制移行の議論は解決の糸口の一つを示しているのではないか。

 

 

 

■道州制ウイークリー(93) 2018年4月21日

◆道州制の背景と要因(2)

(江口克彦著『地域主権型道州制の総合研究』から)

▽中央集権システムの限界

明治維新の時、日本は列強と伍していくため、日本中の力を一つにまとめ、より強固な中央集権体制を擁立する必要があった。江戸時代までの各藩にはそれなりの自治があったが、それを版籍奉還、廃藩置県という二段階の改革を通じて廃止し、中央が地方を完全にコントロールする体制をつくりあげた。日本はさらに昭和13年(1938年)、近衛内閣時代に「国家総動員法」を制定、中央集権体制を強化した。戦後、アメリカは中央集権体制を道具として活用し、日本を統治することとした。そしてサンフランシスコ講和条約締結後、日本は再び中央集権的なシステムを使って、国の再建を進めていく。

しかし、国民のもつ価値観が「豊かさ」という一元的なものから、「個性」や「らしさ」という多様性の時代になってくると、一元的な統治システムは、むしろ社会発展の阻害要因となってしまう。もはや、中央集権は、日本を繁栄させるシステムではなく、日本を衰退させる以外のなにものでもなくなってしまっている。

霞が関の中央官庁が日本の社会・経済活動の多くを主導する東京への一極集中によりヒト・モノ・カネが東京に吸い上げられ、東京と周辺だけが発展し、地方は衰退していく仕組みが出来上がっているのが今日の日本である。官僚機構の効率低下の弊害もある。官僚制は次第に、自己目的で活動するようになり、本来の機能を果たせない硬直的なものになっていく。行政の機能が縦割りになってしまい、セクショナリズムが生まれ、能率が悪化。「省益あって国益なし」と揶揄されてきたが、多様化した国民のニーズに応じきれなくなっている。この仕組みが、地方を統制し、地方の活力を殺ぐ。地方発展の阻害要因になっている。

 

 

■道州制ウイークリー(94) 2018年4月28日

◆道州制の背景と要因(3)

(江口克彦著『地域主権型道州制の総合研究』から)

▽フルセット型行政で財政悪化

例えば、一つあれば十分なのにまた新たな橋がかけられる。客が少なくて潰れるホテルが続出しているリゾート地に公共宿泊施設が建てられる。スーパー林道といわれる立派な道が、イノシシしか通らないような山奥に作られる。このような事例が日本の各地で見られる。

府県行政の横並び主義、市町村行政の横並び意識が無駄な公共施設を林立させる結果となった。その背後には各省の補助金誘導が結びついている。もらわなければ損だ、つくらなければ損だというメカニズムが働く。各自治体が規模にかかわりなく、すべて同じものを揃えようと競う。これを「フルセット型行政」というが、それが結果として財政悪化を誘発し、行政に非効率性を招来してきた。

社会学者として有名な、米コロンビア大学教授も務めたロバート・キング・マートンは、官僚機構は、規則主義、責任回避、秘密主義、画一主義、自己保身、形式主義、前例主義、セクショナリズムに陥りやすいと指摘している。中央集権によって形成された日本の官僚機構はまさにマートンの指摘通りの弊害を内包している。

国と地方自治体の借金は公債の他に財投債、政府短期証券、借入金などを含め、合計は1200兆円を超える。政府は、プライマリーバランスの均衡を目指して努力している。しかし、中央集権的な国のかたちが変わらなければ、本質的な解決にはならない。仏の思想家、アレクシス・トクビルは著書『アメリカのデモクラシー』で、「中央権力というものはどんなに開明的で賢明に思われようとも、それだけでは大きな国の人民の生活のあらゆる細部まで配慮しうるものではない。中央権力が国民生活の細部にいたるほど、複雑多岐な機構を独力で運営しようとしても、極めて不完全な結果に甘んじるか、無益な努力の果てに疲れてしまうかのどちらかである」と言っている。

 

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