道州制ウイークリー(151)~(155)
■道州制ウイークリー(151)2019年6月1日
◆大前研一「わが道州制案」②
(大前研一『世界の潮流2019―20』より)
日本の地方にはポテンシャルがあると信じている。少なくとも道州が自治権を得てお互いに競い合うようになれば、今までのように中央からの金と指示を待っているだけの自治体とは抜本的に違ってくる。そして、この道州制が機能すれば、日本はポルトガルのようにはならず、再び輝きを取り戻すことができるだろう。
今の世界はメガリージョンの競争によって、繁栄を呼び込む時代になっている。自分の税金で栄えているところはないのだ。世界へ、あるいは大きな国では他の地方からヒト、カネ、モノ、情報を呼び込んで栄えるのだ。自国民に税金をかけて繁栄しようとしたり、他国を搾取して栄える植民地支配の時代ではない、ということを改めて肝に銘じていただきたい。
■道州制ウイークリー(152)2019年6月8日
◆堺屋太一「日本の未来」
(堺屋太一『三度目の日本』より)
堺屋太一氏の絶筆。この国のあるべき未来を描いている。
一度目の日本は明治の「強い日本」。二度目は戦後の「豊かな日本」。三度目は、「楽しい日本」を創る。
「楽しい日本」を創るためには、官僚主導を止めることが第一条件である。官僚主導には5つの基本方針がある。1、東京一極集中 2、流通の無言化 3、小住宅持ち家主義 4、職場単属人間の徹底 5、全日本人の人生の規格化である。
アベノミクスでも、成長戦略の一環として「岩盤規制」を緩和し、官僚主導から政治主導へ変えようと改革を試みているが、現実にはなかなか進まない。問題は戦後の官僚主導をどこでどう断ち切るか、だ。
戦後の官僚主導がどこから崩れてゆくか。私は5つの局面があると思う。1つは少子高齢化。2番目は地方行政の破綻。3番目は大不況。4番目は国際情勢。次々と難題に直面するトランプ大統領、そのアメリカに取って代わろうとする中国、EUのさらなる分裂、ミサイル発射実験を続ける北朝鮮・・・すでにその端緒は見えている。
そして最後の5番目は、第4次産業革命である。第4次産業革命とは、分かり易く言えば、ロボットとドローン、自動運転、そしてビッグデータによる変化だ。どういう社会変化が起きるか、誰も議論していない。国際的に見ても、世界経済は伸び悩み、資源や食糧が供給過剰気味になる。全体的に経済を冷え込ませるであろう。
この時、戦後の官僚主導が築いた、「東京一極集中」をはじめとする「5つの基本方針」の弱点があらわになる可能性が高い。2020年以後の危機を乗り越え、いよいよ「三度目の日本」を目指さなければならない。
■道州制ウイークリー(153)2019年6月15日
◆分権の核心は地方税財政改革
(林宜嗣『新・地方分権の経済学』より)
地域がその特性を踏まえて創意工夫を発揮するためには、政策は多様でなければならないが、中央集権システムの下では地域政策における実験や技術革新は実現しにくい。国が意思決定を行う場合には、最終的にすべての地域が新しい試みを受けいれるという確信を持つことがなければ、特定の地域だけに新たな試みを行うにしても、どの地域がそれを望んでいるかの情報を正確に得ることは困難だし、特定の地域にのみ政策を講じることは公平性という点から躊躇しがちになる。国が新たな試みを全国的に実施すると、それを望まない地方も足並みをそろえなくてはならなくなり、その結果、財政に無駄が生じる。
新しい試みは、国が独占的に政策を担う場合よりも、多くの自治体がそれぞれの地域住民の満足を最大にしようと競争を続けて入る場合の方が実現しやすい。つまり、分権的であるほど多くの実験や革新が可能になるのだ。国と地方が協働して地域づくりを行う場合でも、政策形成プロセスは、国から地方へというトップ・ダウン方式から、地方から国へというボトム・アップ方式に転換されるべきである。
地方分権改革は機能不全をきたしている現行の意思決定システムの改革である。だが、「地方ができることは地方で」というスローガンを何度唱えても現実は変わらない。真の分権改革を実現するためには、それを担保する制度が不可欠なのである。それが地方税財政制度の改革であり、補助金や地方交付税といった国の財源移転を縮減し、税を中心とした地方の自主財源を拡充することである。
■道州制ウイークリー(154)2019年6月22日
◆真の「三位一体改革」
(林宜嗣『新・地方分権の経済学』より)
地方分権の推進と地方行政改革はいわばコインの表裏の関係にあるのであり、いずれが欠けても国民福祉の向上は望めない。
国民が負担する税金のうち自治体が自由に使える割合を大きくすることが地方分権の本来の目的ではない。このように理解するから、「地方分権が進めば、いまよりも無駄が多くなって税金が高くなるのではないか」「国に任している方がましだ」ということになる。これには、日本人の多くが「税金は召し上げられるもの」と考え、負担が小さくなることには関心を払うが、税金の使い途については無関心であることも関係している。だから、役人や議員は国、地方を151問わず、税金を自分たちが稼ぎ出したものであるかのように錯覚する。その結果が政治や行政への不信につながり、無関心をさらに助長することになる。
地方分権はこうした悪循環を断ち切る絶好のチャンスである。自治体を取り巻く大きな環境変化の中で、地方は大改革を遂げなくてはならない。そのためにも、第一に、国と地方の上下・主従の関係を対等な関係に改め、それを担保するための地方税財政制度の改革(三位一体の改革)を実現すること、第二に、これまでの国家財政に依存した地方経済を分権時代にふさわしい自立型のものに変革すること。第三に、「官から民へ」を含めて自治体の行政改革を徹底して進めることである。
これら三つの課題は相互に関連しており、連立方程式なのだ。式を解くためには、どの課題の解決も欠くことは出来ない。その意味では、地方税財政制度改革、地域経済の活性化、地方行政改革の三つをもって、真の「三位一体改革」ととらえなければならない。
■道州制ウイークリー(155)2019年6月29日
◆補助金の弊害、何が問題なのか
(林宜嗣『新・地方分権の経済学』より)
国の行政が省庁の壁によってタテ割りになりがちなことは容易に想像できる。補助金の交付に厳しい条件が付けられると、タテ割り行政がそのまま地方に持ち越されかねない。
地域づくりには総合的な視点が要求される。家やマンションが建てば、学校、道路、福祉施設、文化、交通といった様々な都市装置が必要であり、これがバランス良く整備されて初めて地域の住機能は向上する。ところが、補助金は、事業ごとにその時々の便宜と必要から生み出され、積み重ねられてきたことから、そこには、総合的に地域づくりを進めるという発想は少ない。
補助金によって地方の予算編成が歪められるという声も多い。1億円の自己財源がある時、補助金のつかない単独事業では1億円の事業しかできない。ところが二分の一の補助金率を持つ事業であれば、2億円の事業が可能になる。このような場合、たとえ住民ニーズからすれば優先順位が低くても、地方の予算は補助事業に引っ張られる傾向がある。補助金が「お墨付き」の役割を果たすのである。これに対して補助金の付かない単独事業には厳しい予算査定が加えられる。このように、補助金獲得行動を通じて、事業に関する国の優先順位に地方は従うようになる。しかも補助金の交付によって地方は事業の細部にまで干渉され、地域の特殊性が事業に反映されないとなれば、資源の浪費はますます大きくなる。