ウイークリー「国のかたち改革」(27)~(30)

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(26)2023年7月1日

<国・地域の再生に向けて⑨>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリア・フランス・ドイツの州制度比較(2)

 いずれの国の州も直接公選・一院制の州議会を持っている。執行機関はフランスでは、州議会により選出される州議会議長が執行機関となる。イタリアの執行機関は、州知事を長とする理事会である。従来、理事会を構成する州知事および理事は州議会の互選で選出されていたが、1999年の憲法改正により、州知事は直接公選となり、それに伴い理事も州知事が任命するようになった。ドイツの州の執行機関は、州首相と各省大臣で構成される州政府である。州首相は州議会が選出し、各大臣は州首相が任命する。

 州の財政は、フランスの州歳出は地方団体の歳出全体に占める割合が8.5%と小さい。イタリアの州は60.5%と大きい。ドイツの州はさらに大きく62.5%となっている。フランスでは、県4.2%、市町村47.8%、広域行政組織19.5%。イタリアでは、県4.2%、市町村35.3%、ドイツでは市町村36.3%、目的組合1.3%となっている。

 歳出構造は、個人への生活保護費、年金や企業への補助金などの移転支出が、イタリアでは82.5%を占め、人件費は3.9%と少ない。フランスの州も移転支出が33.7%と最も大きい。ドイツの州は移転支出が40%と大きいが、人件費も37%と大きい。これはドイツの州が教育・警察を中心に直接的な行政サービスを提供しているのに対し、イタリアやフランスの州は、主として事業計画や資金交付の主体であるため。

 歳入構造では、ドイツの州は地方税が70%を占め、交付金・補助金は18%となっている。フランスの州では地方税が53.8%で、交付金が30.2%である。イタリアでは、地方税が33%であるのに対し、移転収入が61.7%を占めている。ドイツの地方税収の大部分は共同税で、単独の州税はない。財政的自立性はドイツの州が一番で、フランス、イタリアの順になっている。

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■ウイークリー「国のかたち改革」(27)2023年7月8日

<国・地域の再生に向けて⑩>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリア・フランス・ドイツの州制度比較(3)

 州間の財政調整については、ドイツの州は三段階の財政調整が行われる。まず共同税である売上税の州取り分の最大25%が、財政力弱体州に対し優先的に配分される。つぎに財政力富裕州から財政力弱体州に対して調整交付金が交付される州間財政調整が行われる。さらに財政力弱体州には連邦から連邦補充交付金が交付される。さらに財政力弱体州に対しては、連邦から連邦補充交付金が交付される。

 フランスの州は、従来、財政力富裕州から財政力弱体州に対して交付する州間不均衡是正基金という水平的財政調整の制度があったが、2004年度から、国の経常費総合交付金に州分が創設されたことに伴い、廃止され、同交付金の平衡化部分(平衡化交付金)に移行した。すなわち、水平的財政調整から垂直的財政調整へと変化した。

 イタリアの州については、まず特別州では、当該州の区域において国税として徴収された税の一部の一定率が州の財源とされている。また経済的社会的不均衡の除去等のために国に追加的財源の配当を求める憲法119条第5項の規定があり、国からの交付金において州間の財政力格差が考慮されている。

 州内自治体の財政調整については、フランスでは州と同様に国が行っている。経常費総合交付金の県分の中に平衡化交付金と最低経常交付金があり、市町村分の中に平衡化分がある。イタリアでは州も自治体を財政的に支援しているが、国が普通交付税・総合交付金等とともに地方財政平衡化交付金を支出している。ドイツにおいては、国ではなく、州内自治体の財政調整(垂直的財政調整)を行っており。その中心は市町村の財政調整を目的とした基準交付金である。

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(28)2023年7月15日

<国・地域の再生に向けて⑪>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリア・フランス・ドイツの州制度比較(4)

 州に対する国の監督では、ドイツの州は連邦法の執行を州の固有行政として行う。連邦の監督を受けるが、その監督は合法性の監督に限定されている。フランスでは自治体としての州とは別に、国の機関である州地方長官が置かれ、州の重要な行為について合法性の監督(事後の監督)を行っている。イタリアでは州単位に国の政府監察官が置かれており、州の立法に対する審査を行っていたが、2001年の憲法改正で国は州の立法の憲法上の適法性について憲法裁判所へ提起できるだけとなった。

 州の国政への参加については、ドイツでは各州の首相及び大臣等で構成される連邦参議院が州の意向を国政に反映させるための強力な機関となっている。イタリアでは1997年から常設となった国家・州会議が国と州の調整機関として中心的な存在となっている。また、州議会は国会に国の法律案を提出することができる(憲法第121条第2項)。フランスでは国会議員と地方議員の兼職が認められており、上下両院とも地方議員とその兼職者が大半を占めている。州議会議員と兼職している国会議員も当然おり、彼らが州の意向を国会に反映させるルートとなっている。

 他の自治体との関係では、ドイツは州が自治体の監督を行っている。郡も州の下級行政官庁の立場で管内市町村の監督を行う。自治事務については合法性の監督に限定され、連邦及び州の委託事務については合法目的性の監督も行われる。イタリアでも各州に地方行政監督州委員会が設けられ州が自治体の監督を行っている。フランスでは州は県・市町村と対等の自治体であり、県や市町村の監督を行うことはできないとされ、県及び市町村の監督は国の機関である県地方長官により行われている。

 

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(29)2023年7月22日

<国・地域の再生に向けて⑫>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*わが国の道州制への視点(1)

 わが国に道州制の導入を検討するにあたり、イタリア、フランス、ドイツの例みると,2層制だけではなく、3層制の地方制度も選択肢としてはあり得る。しかし、ドイツ及びイタリアでは、州は強力で大きな存在であり市町村も大きな役割を果たしている。中間団体の郡や県は影が薄い存在である。これに対し、フランスでは市町村が一番大きな存在であり、その次は県であり、州は一番軽い存在となっている。基礎自治体である市町村を重視する点では3か国とも共通している。

 わが国の市町村の規模は、これら3か国と比べて大きく、平成大合併によって1741であるのに対し、フランスは約37,000、ドイツは約14,000,イタリアは約8,000。このため、都道府県事務の多くは合併後の新市町村によって処理することが可能となり、都道府県の役割が縮小していくことが見込まれる。この状況を踏まえると、都道府県を残した3層制を導入するとしても、国から事務・権限を移譲された道州と大きくなった市町村の間にあって、限定された役割を果たす都道府県という姿が構想されるのではないか。

 州の区域については、イタリアでは現在の20州を経済収支においてより均衡する12州程度に再編し、ヨーロッパ市場において競争力を持った地域をつくるという考え方があることや、フランスの州が経済発展や地域整備のための区域として出発したことを踏まえると,道州の区域は、経済的合理性にも配慮したものであることが求められる。フランスやイタリアの例をみると、経済のグローバル化に対応した地域的競争力の向上、そのための経済開発や地域整備が道州の重要な事務となる。

 

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(30)2023年7月29日

<国・地域の再生に向けて⑬>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*わが国の道州制への視点(2)

 ドイツ、フランス、イタリアの3か国とも直接公選の議員からなる議会を持っているが、いずれも一院制である。わが国で道州制を導入するにあたっても、一院制の議会を設ければよい。問題は執行機関である。

 州の執行機関(その長)はフランスおよびドイツでは州議会の間接選挙によって選ばれる。また、イタリアでは直接選挙により選出されるが、その選挙は州議会議員選挙と一緒にかつ州議会議員の候補者名簿と結びついた形で行われる。この3か国では、いずれの州の執行機関の長と議会の多数派が一致する議院内閣制的な仕組みが採用されている。州の執行機関の長は、現在の都道府県の知事よりもはるかに大きな政治的権力を持つ可能性がある。したがって、州の執行機関の長の直接公選は当然の事柄ではなく、州に付与する権限の程度や州議会との権限配分(長の議案提出権の有無等)なども考慮しながら慎重に検討する必要がある。

 歳入に占める地方税の割合は、ドイツが70%、フランス54%、イタリア33%である。ドイツについては、水平的財政調整制度と垂直的財政調整制度の両者がある。わが国に道州制を導入するにあたっては、まず州への十分な地方税源の付与が必要である。ドイツの州のように地方税が確保されると、豊かな州では余裕が出てくるため、州間の水平的財政調整が可能となってくる。経済開発や地域整備が州の重要な事務となるとすれば、それに対応して企業関係税が州の主要な税目の1つとなり、州の経済開発の成功。不成功によってその税収が大きく左右されることになる。その努力の成果は各道州に帰属させるべきものであるが、一方で、当初からある経済格差等から生じる道州間の不均衡を是正するために何らかの財政調整制度(国による垂直財政調整、州間の水平的財政調整、あるいはその両者)を導入することも必要になると思われる。なお、州内の自治体に対する財政調整はドイツでは州が行い、フランスやイタリアでは一部を除いて国により行われている。

ウイークリー国のかたち改革(22)~(25)

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(22)2023年6月3日

<国・地域の再生に向けて⑤>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリアの地方制度(1)

地方自治の構造は、州(regione)、県(provincia)、

コムーネ(comune)による三層制からなる。この他、大都市、大都市圏、地区、山岳共同体などが地方行政を支援する。イタリア憲法は、いくつかの条文に地方自治を規定している。憲法第5条で、地方自治の認知と推進をうたっており、「一にして不可分の共和国は、地方自治を承認しかつ促進する。共和国は国の事務において、最も広範な行政上の分権を行い、その立法の原則及び方法を、自治及び分権の要請に適合させる」と規定する。

 州は、15の普通州と5の特別州からなる。第二次大戦後に制定された共和国憲法に規定されたものの、実際には1970年代になって本格的に始動した州は、比較的新しい自治の単位であるが、その地域的な広がりについては、1861年の国家統一以前にあった諸公国、王国のそれを基本的に踏襲しており、歴史的、伝統的な背景がまったくないというわけではない。緩やかな連邦制の導入、地方分権化にあたって、州を強化することは現実的かつ妥当なアイデアであったと考えられている。

 州政府は、かつては国の政府と同様の議院内閣制モデルに基づいていたが、州代表が市民による直接選挙によって選出されるようになり、現在は大統領制モデルといえる。市民から選挙によって選出される州代表及び議会、議会によって任命される執行機関である評議会からなる。州のトップであるプレジデンテは、評議会の議長を務めるが、議会の議長は別に議会の中から選出される。

 州の機能としては、第一に社会サービスの提供があり、医療、社会保障事業、保育、学校保健、文化事業、職業訓練などが含まれる。第二は、都市計画、特に土地利用計画に関する機能である。州は公共事業や都市基盤整備の計画、市の策定する都市計画の認可を行う。第三は、経済の統治。観光、商業、農業、水産業、手工業,鉱業などに関与する。

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(23)2023年6月10日

<国・地域の再生に向けて⑥>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリアの地方制度(2)

 州税は、州生産活動税、州個人所得付加税、州自動車税、州許認可税、メタンガス国家消費税に対する州付加税、固形廃棄物処理料、自動車登録税に対する州税、国家許認可に対する付加税、州有地その他の州産業の占有料、州の行政事務手数料、委託事務手数料なども自主財源となる。

 1998年導入の州生産活動税は、外形標準課税の地方法人課税で、第一に、州を課税団体とする科目の創設による財政の分権化の促進という意味を持つと同時にこれまでの複雑多岐にわたる税を統廃合し合理化する必要に迫られたものであった。第二の意義は、全国保険基金及び州ごとに徴収されているにもかかわらず中央集権的に運営されていた保険分担金によって営まれていた医療保険行政の改革、分権化である。第三の背景は、家族経営の中小、零細企業の多いイタリアにおいて、借入金に依存する従来の経営形態を変え、自己資本を高める必要性であった。99年、国からの財源移転が一部廃止され、替わって2000年より個人所得税の州付加税の税率が増加された。また、付加価値税の一部を州が得ることを認められた。特別州の財政は、一種の地方交付税に依存している。

 県は、廃止論に晒されながらも現在102あり、適正規模の政策単位として注目されている。県政府は、議会、評議会、県代表からなる。県代表(プレジデンテ)は議会と同日に直接選挙によって選出される。評議会の議長、議会の議長を兼任する。県の機能は、学校の運営、教員以外の人材管理、剣道の管理、環境保護、地域計画、運輸などに関する市政の調整機能であるが、自治の実態は千差万別で、大規模な市が存在する大都市圏において有名無実という県も少なくない。

 県の主要な機能は、土地の保全、環境の保護、災害の予防、水源やエネルギー減の確保、文化財の評価、道路行政と公共交通、動植物・公園・自然の保護、狩猟や農業、保健医療事業、中等教育、芸術教育、職業訓練、学校関連の営繕、地方自治体の技術的・行政的な補助、州計画作成への参画、県の全体計画・地域調整計画の作成と実施などである。          

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(24)2023年6月17日

<国・地域の再生に向けて⑦>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリアの地方制度(3)

 県の財政規模は州、市と比べて著しく小さく、活動が限定される。税収は、県自動車登録税、県自動車保険税、環境保護おとび環境衛生行政のための県税、県有地の占有料及び地下通路建設に関わる料金、個人所得税付加税などである。歳出において大きなウエイトを占めているのは、教育・文化、科学研究、運輸・通信などの行政分野である。

 コムーネは現在8000を数え、人口、面積、地域性にかかわらず同一の法的主体である。住民が100人に満たない小さな市から、300万人のローマ市までが、同一の基準によって規定されている。人口が3000人に満たない市が全体のおよそ6割を占めている。コムーネは、イタリアの地方意識を規定する共同体や基礎自治体を強く擁護する地域主義の伝統を体現している行政単位であり、地域共同体のアイデンティティは極めて高い。政府は、議会、評議会、首長からなる。首長は直接選挙によってえらばれる。議会は首長会派にプレミアムのついた比例代表性によって選出される。評議会は首長の任命する評議員から構成される。人口1万5千人以下の市の場合、首長が議会の議長を兼任するが、1万5千人を超える場合は議会内から選出される。

 コムーネの主要な機能は、都市警察、学校教育と保育、文化行政、見本市や市場を中心とする商業や事業の推進と監督、観光行政、手工業、農業、都市計画、公共交通と道路行政、水の供給、電気供給、ごみ収集、下水処理、都市基盤整備、公共事業、公園、住宅政策、環境保護など。州と国家が、社会サービス、社会福祉事業、教育、保健医療の分野に関与するようになった後、コムーネはこれらに対する権限の一部を失った。

 コムーネの財政基盤は、独自の税収及び国庫支出金からなるが、90年代の地方財政改革に先駆けて市不動産税ガ導入されたことによって、独自財源が国家ゕらの補助を上回るに至った。

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(25)2023年6月24日

<国・地域の再生に向けて⑧>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*イタリア・フランス・ドイツの州制度比較(1)

イタリア、フランス、ドイツの3か国は、3層制の地方制度を採用している。イタリアは、州、県、市町村、フランスは州(地域圏)、県、市町村、ドイツは州、郡、市町村である。州の位置づけは3か国で異なっている。イタリアとフランスは単一国家であるのに対し、ドイツは連邦国家である。ドイツの州は主権を持つ国家であり、立法権をはじめ強力な権限を有している。イタリアの州は、単一国家の中の自治体であるが、立法権まで有する相当強力な自治体である。フランスの州は、同じ単一国家の自治体であるが、立法権もなくそれほど強力な自治体ではない。

州の数は、フランスが18(本国13、海外5)、イタリアが20(普通州15・特別州5)、ドイツが16(うち都市州3)。州の平均面積はフランスが2万5000平方キロ、イタリアが1万5000平方キロ、ドイツが2万2000平方キロ。平均人口はフランスが364万人、イタリアが294万人、ドイツが523万人となっている。

州の権限は、フランスの州は行政権のみを有し、イタリアの州は行政権と立法権を有し、ドイツの州は行政権・立法権に加えて司法権まで有している。フランスでは憲法で「法律は国会によって議決される」と規定している。

州の主な事務は、フランスの州は①経済開発・地域整備、②高等学校の設置・管理、職業教育、③産業廃棄物処理など環境行政や文化行政に課すること。イタリアの州は①保険医療、②都市計画、③観光・漁業・農業などの経済行政、④運輸・職業訓練などである。ドイツの州は、外交、国防及び航空交通など連邦固有行政として連邦が実施するものを除き、幅広い分野の事務を処理している。

ウイークリー「国のかたち改革」(20)~(21)

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(20)2023年5月20日

<国・地域の再生に向けて③>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*国民に身近な政府システムの実現

 近年における民主主義の成熟化は、従来にも増して政治・行政プロセスの透明性確保や説明責任の履行を求めている。しかしながら、現在の政治システムのように、中央政府・国会レベルに地域的課題も含めた政策意思決定権が一局集中している状況では、国民の目の届かないところで、地域住民の声の届かない状況で地域的影響の大きい政策形成が行われる一方、逆に真に地方が必要とする政策決定がなされないといった不満・懸念が高まっている。国の出先機関である地方支分部局についても、中央政府の組織であるがゆえに、地方自治体のようにきめ細かい住民とのコミュニケーションが確保されておらず、一般国民からは遠い存在となっている。こうした状況をもたらしている基本的な要因のひとつは、明治政府以来現在まで続く中央一極集中体制にあると考えられる。

 わが国において、国民がよく見える形で政策の形成・実施を担保していこうとすれば、従来の中央政府・国会をさらにスリム化して基本的な国策マターに特化支え、地域マターについては、それぞれ適正な管轄区域をもった広域的地方自治体に委譲し、思い切った地方分権国家体制に移行する以外に方法はない。こうして移管された従来の国の事務が、広域自治体によって民主的に決定される仕組みに組み入れられ、国・自治体及び自治体相互間の権限の重複関係を整理することで、複雑な行政関係が簡素化され、また従来の国の仕事の多くの部分が国民に近いところで処理されるため透明性も高まるものと考えられる。地方自治体も、国の地方機関という意味合いが強い「地方公共団体」という存在から、真に「地方政府」と呼ぶに値する権能と政治・社会的意義を初めて獲得することになるだろう。

このような分権型地方政府システムの究極の形は、連邦制であるが、わが国の現状及び国民意識から判断すると、その時期ではない。イタリアなどが志向している「限りなく連邦制に近い分権型地方政府システム」というイメージが、本研究において想定している到達点のイメージである。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(21)2023年5月27日

<国・地域の再生に向けて④>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*究極の単一国家型地方分権システム

 単一国家体制を維持しながらも、極力、補完性の原理に基づき中央政府の権能を選択的に重点化し、中間政府(メゾ・ガバメント)及び基礎的自治体に分権した状況を想定してわが国の地方政府システムをデザインしていくと、近年、急ピッチで分権化を進めている、イタリア・フランス型の地方政府システムの考え方に近似していくことがわかる。EU諸国は多少のバラツキはみられるものの、総じて中間政府の創設・強化や基礎的自治体等の整備など自治権の強化に努め、同時に国家としてのパフォーマンス強化も実現してきた。

 その典型例が、イタリア及びフランス、スペインであろう。EUにおいても、3層制を採用するこれら3国は、地方分権制度という意味では連邦制に次ぐ位置づけを与えており、いわば、限りなく連邦制に近い単一国家型地方政府システムを採用した国といえるかもしれない。 

 イタリア・フランス型というタイプが、現時点では単一国家形態の中で、地域の主体性を反映し、国民・市民の政府に対する民主的統制を担保するための最も現実的な政治システムと考えられ、わが国の地方政府システム改革案の参考とすべき原型としても相応しい姿ではないだろうか。

 

ウイークリー国のかたち改革(18)~(19)

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(18)2023年5月6日

<国・地域の再生に向けて>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

◆国・地方の活力再生を可能とする最適マネジメント・システムの構築

 各分野における急速なグローバル化が進展する中で、国際社会は流動的、不安定の度を深めている。今後の中央政府の役割は、従来にもまして、国家安全保障・外交・通商等の各分野における国際関係に重点を置くことが求められている。特に中央政府については、徹底的なリエンジニアリング(再設計)を行い、そのタスクを重点化して、国際関係とともに、こうした国内的基本問題に「選択と集中」の視点から取り組み、早急に適切な解決策を国民に提示しうるスリムで効率的な体制づくりを実現する必要がある。そのためにも、地域的な課題への対応やルーティン的な事務事業の執行については、より適正な管理主体、すなわち地方政府、エージェンシー、民間団体などに移管すべきであろう。

*長期人口減少時代を乗り切る社会システムとしての分散・分権体制

 わが国では、少子化の進行により、人口が長期にわたり現象することが予測されている。多くのと際においては、中心市街地の空洞化、地域経済の長期的衰退と相まって、地域全体の活力恢復が内政上の大きな課題となっている。

その解決策の一つが、思い切った分散・分権システムの導入である。経済・社会の長期的衰退傾向からの国・地域の再生が緊急の政策課題となっているわが国であるが、依然として経済・産業活性化の政策形成は、中央政府の縦割り的体制の中で、全国的ニューを送り出し、それを地域が多少のバリエーションをつけて実施するという集権構造の修正システムにより行われている。近年、構造改革特区のように地方の地域的主体性が反映される政策プログラムも用意されるようには改善されてきたが、この制度では必要とされる法制度の改変そのものは行われず、また、自治体制に主体的な制度改善権も与えられていない。財源についても、税・財政制度に関する自主財政権は依然として弱い状態に置かれている。

あらゆる分野の東京への一極集中を是正するため、その第一歩は、首都東京に集中した政治・行政権能の分散・分権である。自立的地方政府システムの導入により、各地方ブロックが、その地域特性を生かした地域経営を展開し、地域間競争を現出させることにより、東京への集中傾向に歯止めをかけることにつながるのではないだろうか。

 

 

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《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(19)2023年5月13日

<国・地域の再生に向けて②>

(総合研究開発機構『広域地方政府システムの提言』より)

*活力ある経済活動の支援システムとしての広域地方政府システム

第二次大戦後のわが国は、中央政府の強力なリーダーシップの下で,産学官及び国・地方の緊密な連携プレーにより、国全体が一丸となって敗戦直後の困難な時代を乗り切り、先進諸国へのキャッチアップを果たすことができた。しかしながら、バブル経済崩壊以降、護送船団的な戦後体制の限界が露呈し、もはや現在の国際的大競争時代には不適合であることが明らかとなった。

この間の欧米の動向をみると、グローバリゼーションと高度情報化が進展する中で、政治・経済・社会のイノベーションが促進され、政治システムについても、EU諸国にみられるように、集権型の国家主義が後退し、分権・分散型の政治システムへの転換、すなわち地方分権国家への衣替えが急ピッチで進んだ。そうした体制の中で、各地域ごとに、地方政府、地域経済、市民セクターが連携しあい、積極的な地域経済活動を展開し、国民経済全体の活力向上に貢献している事例が多い。イタリアなどが国が専管していた産業・経済政策の権限の多くを、州に委譲した背景には、地域経済の経済競争力の話があった。国の単位では利害が複雑に絡み、一つのまとまった戦う主体となりえず、府県では小さいという理屈である。

一方、経済界が従来から指摘してきたように、現行の広域自治体である都道府県では経済・産業活動や広域インフラ整備の基礎単位として狭すぎるという実態がある。国の地域政策が、地方ブロックごとの国の地方支分部局単位に実施されていることを考慮すれば,概ね、国の出先機関単位の空間的広がりを対象として、中央政府の画一的視点ではなく、地域の観点から経済・社会の活性化のための政策企画および実施が可能な地方政府が存在し、地域の活力向上のための総合的な政策を公民連携の仕組みの中で展開することができれば、EU諸国なみに強力な地域経済の創出が可能となろう。

 

 

ウイークリー国のかたち改革(13)~(17)

よりよき社会へ国のかたち改革 

《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(13)2023年4月1日

<北欧モデル 強さの秘密①>

翁百合他『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』から

「北欧モデル」には、高福祉・高負担という従来の人々が持つ印象とは異なる、絶え間ない政策イノベーションへのチャレンジがあります。最近の北欧諸国のダイナミックで柔軟な政策イノベーションを紹介し、その本質は何か、政策イノベーションを生み出す背景には何があるのか、を示していきます。

わが国では1990年代に入って以降、経済の低迷が続き、様々な構造問題が噴出している。対外的にはアジア新興国の本格的台頭、体内的には少子高齢化の進展と、取り巻く基礎環境の長期トレンドに大きな変化が生じてきている。にもかかわらず、政治・経済・社会の仕組みが右肩上がりのキャッチアップ時代のもののまま維持され、この結果、経済成長率の低下、社会保障の機能低下、財政赤字の累積など、まさに先進国病の典型的な現象に悩まされてきた。

こうした日本の状況とは対照的に、スウェーデンをはじめとする北欧諸国は総じてリーマン・ショック以降の立ち直りは早く、財政も健全性を保っている。産業協刷力も国際的にみて上位に位置してきた。とりわけ、北欧諸国はIT先進国として知られている。

北欧で政策イノベーションを促してきた発想法・行動様式の特徴は3点。第一は、異なる制度間の「有機的なリンケージ」を図る姿勢である。この結果として、政策の無駄がなくなり、政策効果が上がり、二者択一ではなく、「二兎を追う」ことが可能になっている。例えば、産業政策面では経済不振に陥った企業を救済することはしない。一方、積極的労働市場政策と呼ばれる就業支援策には十分な予算をつけることで、リストラによって職を失った労働者が新し職を得ることを強力に支援している。こうして北欧諸国は、効率と公平という、通常トレードオフとみなされる二つのことを同時に追求、経済成長と社会保障の両立を実現してきている。税制を例とれば、個人からは多くの税を徴収する一方、法人実効税率は思い切って引き下げることで、充実した政府機能の財源を確保したうえで、経済活力に配慮するという、複眼的・実践的な政策が実施されている。

 

 

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《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(14)2023年4月8日

<北欧モデル 強さの秘密②>

翁百合他『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』から

 北欧で政策イノベーションを促してきた発想法・行動様式の第二の特徴は、「合理性・透明性」を重んじて制度・政策を構築していくスタンスである。例えば、勤労所得と資本所得に異なる税制を適用する「二元的所得課税」が北欧4国で導入されている。これは、税制理論としては、ダブルスタンダードといえようが、金融取引のグローバル化という現実を踏まえ、徹底して合理的・現実的に考えることで、足の速い金融資産とそうでない勤労所得を分けるという画期的な税制が考案された。

 そのほか、政策策定に当たってバックキャスティングという手法を重視している。バックキャスティングとは、想定される課税の解決のために、目標となるビジョンを描いたうえで、それに到達するために、いつまでに何かをやらなければならないかを決め、実行していくことをいう、わが国のように、過去の延長線上に「予測」するため、政策の前提が時間とともにズレ、パッチワークの政策変更により、いつまでも制度と現実のズレが残るのとは対照的である

第三は、「試行錯誤」によって進歩するというスタンスである。バックキャスティングの手法をとるからといって、必ずしも政策の全てが成功しているわけではない。むしろ多くの失敗がある。例えば、近年注目される積極的労働市場政策をいち早く導入する一方、その内容は時代によってさまざまに失敗と改善を繰り返してきた。それでも時代に先駆けて、とにかくやってみるという精神がある。金融政策面では早くからインフレターゲティングを採用し、環境分野では炭素税や固定価格買い取り制度を世界に先んじて導入している。「実験国家」と呼ばれるゆえんである。これに対し、日本では、政策は海外の模倣が多く、検証されないために進歩がない。

*積極的労働市場政策=労働者に職業訓練や職業紹介を行い、雇用主には労働者雇用に関する助成金を支給するなど、労働市場に積極的な働きかけを行う政策。労働者の能力開発を促進し、失業の長期化を防ぐことを目的としている。

 

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《12州構想》関西州ねっとわーくの会

■ウイークリー「国のかたち改革」(15)2023年4月15日

<北欧モデル 強さの秘密③>

翁百合他『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』から

*教育の重視

北欧の政策イノベーションの土壌としては、社会観・行動規範の特徴に加え、教育を重視してきたことも見逃せない。公的教育費のGDPを国際比較すると、スウェデン6.1%、デンマーク6.5%、フィンランドは5.5%、ノルウェー7.3と、わが国(3.3%)を大きく上回る。(文部科学省「教育指標の国際比較」2008年)この主因は、高等教育への公的支出が充実していることにあるが、これは北欧諸国では大学授業料が原則無料になっているためである。さらに、幼児教育にも力が入れらており、わが国では保育所は幼稚園と異なって教育は行われないことが原則であるが、北欧では幼保一元化がなされ、幼児に対する教育が重視されている。(2020年の幼稚園数9698、保育所37642。2021年の認定こども園 9220)

こうした教育の重視によって北欧諸国が目指してきたのは、「自立した強い個人」の育成である。北欧諸国は世界で最も民主主義の発達した国々であり、民主主義の基本は住民による自治である。自治はコミュニティの個々の構成員が自立し、主体性を持つことが大前提となる。そうした自立した個人を育むことが教育の役割であり、それゆえに北欧では教育を重視してきた。こうして育まれた自立した強い個人が、各々の個性を発揮し、各分野での政策イノベーションを担ってきた。

日本もかつては教育の面では、世界の称賛を浴びてきた。特に人材の底上げで貢献してきた初等中等教育の在り方や、OJT中心の企業内教育では優れたパフォーマンスを示してきた。しかし、近年その優位性は急速に薄れつつあり、かつての「人材大国」の影は薄れつつある。資源のないわが国が経済的な繁栄を維持するには、人材を強化していく以外に方策はない。

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(16)2023年4月22日

<北欧モデル 強さの秘密④>

翁百合他『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』から

 北欧型経済モデルの特徴を一言で言うならば、高福祉・高負担でありながら、高い経済成長と財政健全化の両立を実現しているということであろう。税や社会保険料など重い負担は、個人の勤労意欲や企業の投資意欲を阻害し、経済成長にマイナスに作用するというのが、一般的な見方である。しかし、スウェーデンをはじめ北欧諸国では、企業の高い国際競争力、高い経済成長率、健全な財政、平等な所得分配、手厚い社会保障がバランスのとれたかたちで実現している。

北欧型経済システムの最大の特徴は、各国とも高い社会保障水準や福祉水準を維持するために、税負担や社会保険料負担を合わせた国民負担が極めて高水準にあることだ。北欧4か国の社会保障費の対GDP比はスウェーデンの27.3%を筆頭にいずれの国も20%以上の高水準をキープしている。日本は18%台。これは、当然のことながら、社会保障の財源を賄うために、税・社会保険料などの国民所負担率も高水準にある。デンマークが69%、スウェーデンが62%、ノルウェーが56%で、税負担率はデンマークが66%、スウェーデンが50%となっている。これに対し日本の国民負担率は40%低程度で、税負担は22%に過ぎない。社会保障費のかなりの部分が国債発行で賄われているためだ。

北欧諸国の所得課税のもう一つの特徴は、社会保障の財源の大部分が地方所得税(日本の住民税に相当)で賄われていることである。逆に国税の所得税の最高税率はフィンランドの30%が最も高く、スウェーデンが25%、デンマークは18%と全般的にかなり低い水準である。住民税は個別自治体により税率が異なるのが大きな特徴だ。その理由は。これらの国々では、地方分権が進んでおり、国によって多少の差異はあるものの、年金を除く医療・介護・福祉など社会保障の実施主体は地方自治体で、国と地方の役割分担が明確である。また、地方が社会保障を賄う自主財源を住民税というかたちで、住民から徴収しているという点で共通している。住民にとっては「受益と負担の関係」がわかりやすい制度だといえる。サービスに不満があれば、税率引き下げを求めることもできるし、サービス向上のために引き上げを求めることもできる。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(17)2023年4月29日

<北欧モデル 強さの秘密⑤>

翁百合他『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』から

北欧諸国に共通する税・財政システムのもう一つの特徴は、国家としての高い国際競争力を維持すべく、法人税、R&D(研究開発)支出、ITインフラ、教育、積極的労働市場政策など税制、歳出の両面でビジネスや競争力の基盤を強化し、同時に人材能力を高めることを明確に意識した制度設計になっている点がある。いずれの国も人口規模が400~900万人台で、国民が望む高い社会保障・福祉水準を維持するには、内需が小さい中で、国際競争力を強化し、絶えず産業構造を高度化し続け、外需主導で高い経済成長を維持しなければならないからである。各国の輸出比率はスウェーデンが48%、デンマークが47%、ノルウェーが42%、フィンランドが37%と、いずれも極めて高い比率にある。

国際競争力を強化するために、各国が共通で取り組んでいる課題は、①法人税率の引き下げ、②R&Dに対する支出拡大でイノベーションを促進する、③IT基盤の整備・強化である。北欧諸国の法人税率は、段階的に引き下げれてきており、デンマーク25%、フィンランド、スウェーデンが26%、ノルウェー28%といずれも30%を下回る低水準にある。

R&D支出の対名目GDP比率をみると、フィンランド、スウェーデンが3.7%、デンマークが2.9%と、いずれも高水準にある。さらにITインフラの整備状況も高水準で、世界経済フォーラムのIT競争力リポートによれば、スウェーデンが1位、フィンランドが3位、デンマーク7位、ノルウェー9位と、いずれもトップ10にランクインしている。日本は19位にとどまっている。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(9)2023年3月4日

地域政策再構築の視点①>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 東京や三大都市圏に集中が進むことは、経済的には集積のメリットを高めるのも事実であるが。しかし、極度の集中は、日本の各地域の固有性を弱め、多様性を失わせることで、日本全体をシステムとしてみた場合、むしろ脆弱性を高めてしまうのではないか。連邦国家であるアメリカやドイツだけでなく、同じ単一型国家であるイタリアも、企業や人口は各地域に分散し、それぞれ地域に固有の文化が息づきながら、それぞれ企業の成長とも密接に結びつく好循環をつくり出している。この多様性が、彼らの創造力の源ではないだろうか。

グローバル化の波に洗われてますます変化が激しくなっていく時代に、このような地域の多様性を維持、発展させていくことが、日本というシステムの強靭性につながる。なぜなら、多様性の中から出てくる個性が、相互に接触することで創造性が生まれていくからだ。この多様性を失い、同じ価値観に染まって同調性が高まり、同一決定されて同一の方向に一斉に走っていくようになれば、日本の将来は危ういといえよう。今後、東京を中心とする首都圏や、三大都市圏ですべてが決定されるようになると、そこに住む人々はどうして同じものを見、話しを聞くために、同一の価値観に染まりやすく、多様性を失いがちである。しかし、放っておくと、グローバル化の圧力で首都圏や三大都市圏への集中・集積はいっそう進む。したがって、ある程度の分散性を維持するための積極的な政策が今後求められるのではないだろうか。

グロ^バル化に抗することは難しくても、それにうまく順応しながら、あるいはそれを巧みに利用しつつ、地域の固有性を発揮するような基盤を今後、地域政策を通じて育成していくいことが重要になると思われる。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(10)2023年3月11日

地域政策再構築の視点②>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 日本ではこれまで、全国総合開発計画にみられるように、地域の経済発展を促すために公共投資を行って産業基盤を整備し、工場を誘致するという開発手法を全国的に採用してきた。しかし、公共投資による開発手法は、多くの批判を受けてきた。最も初期の批判は、高度成長期における公共投資の重点が、道路や港湾などの「生産関連資本」に傾き、下水道や廃棄物処理などの「生活関連資本」が後回しにされることで都市問題が激化したことである。

また、拠点開発方式は、地域に持続的な発展をさせることにつながらないのではないかとの批判も行われた。なぜなら、コンビナートにやってきた企業は当初の期待とは異なって、地元企業と産業的なつながりはほとんど持たなかったのである。地域を発展させるうえで地元の企業や産業ではなく、外部からやってきた企業や政府の公共投資に頼る開発方式を「外来型開発」と呼ぶ。それは必ずしもその地域の産業発展に結びつかず、所得も域外に流失するために所得上昇に結びつかない。反対に、公害問題など負の影響がもたらされる可能性が大きい。これと対置される開発概念が「内発的発展」である。これは、その地域の産業が相互に連関をもって有機的に結びつき、さらにそのことが所得の域内循環を生み出し、そこから上がる税収がその地域の自治体に入るような好循環が生み出される状況を指す。このような「内発的発展」の在り方は、「地域の持続可能な発展」の在り方を考える上での出発点となっている。

 小泉内閣によって公共投資が本格的に削減されるまで高水準で継続された背景には、いくつかの要因がある。第一の要因は、景気対策としての活用である。不況になれば公共投資を増やすことで景気を反転させるケインズ主義的な財政政策が採用されてきた。欧米がそこから脱却していったのと対照的で、巨大な国家債務が残された。第二の要因は、地域の側が公共投資を求めたためである。公共投資でインフラを整備しさえすれば企業の誘致が可能ななり、それによ型モデルに対する信奉は依然として根強い。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(11)2023年3月18日

地域政策再構築の視点③>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 客観的にみて、公共投資に頼る地域発展の将来は決して明るいものではない。というのは、経済のグローバル化と産業構造の転換が進んだ現代では、公共投資の経済効果がかつてとは比較にならないほど低下してしまったからである。

第一に、公共投資の「乗数効果」(公共投資が波及効果を生み、投資額の何倍もの経済効果をもつこと)は長期的に低下傾向にあることが知られており、もはや公共投資に大きな経済効果は期待できない。

第二に、経済のグローバル化が進展したことで、産業連関が国境を越えた結びつきを持つようになった。したがって、仮に日本で公共投資を拡大したとしてもその波及効果は必ずしも日本にとどまらず、海外に漏出することになる、このことも、公共投資の乗数効果を低下させている一因だと思われる。

第三に、産業構造が転換し、日本の産業の中心がかつての重化学工業から情報通信産業やサービス産業に移っていくにつれて、コンビナートや工業団地のように、ハード面の生産基盤を公共投資で整備することは、必ずしも日本のリーディング産業にとっての基盤整備にはつながらなくなっている。したがって、従来通りの公共投資を続けることは、かえって衰退産業を温存し、日本がグローバル時代に適応した産業構造を形成していくことを妨げる恐れすらある。

 公共投資の雇用効果ということになると、地域の建設業よりも環境、医療・福祉、教育といった政策領域に投下した方が、その雇用効果は大きいことが定量的に示されている。仮に雇用の維持が公共投資の根拠だとしても、同じその貴重な資金を環境、医療・福祉、教育に振り向けて行く方が、いっそう大きな雇用が生み出される。

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(12)2023年3月25日

地域政策再構築の視点④>

諸富 徹『地域再生の新戦略』から

 公共事業による発展モデルからの転換の必要性は明らかである。これまでの国土政策の地域政策における最大の問題は、それらが中央集権的な手法に依存していたために、地域が自ら発展する能力を阻害してしまった点にある。全国総合開発計画(全総)以来、発展のグランドデザインは中央政府によって描かれ、それを牽引するリーディング産業もいわば上から指定された形で決定されていた。この開発計画に沿って全国で地域指定を行い、それらの地域に対して補助金等の政策優遇を与える医という手法は、五全総(1998年)に至るまで共通していた。

従って自治体は、開発計画が策定されると、それに沿う形で地域発展計画を策定し、地域指定を受けることで政策優遇を受けようとした。このような手法は、日本全体を一定の方向に引っ張っていくときには有効かもしれないが、一定の所得水準を実現し、地域の個性が尊重されなければならない時代には、むしろその弊害のほうが大きくなる。しかも、このように手法が一貫してトップダウンで決定されるため、地域が自らの頭を使って、その地域にとって最適な発展方法は何かを考える意欲を失わせてしまう。各地域で金太郎飴のように同じような内容の計画策定が行われた点にもよく表れている。

先進国の産業構造転換が進むにつれて、1980年代以降、経済発展の在り方も変わりつつある。発展の軸になるのは、もはや公共投資による鉄やコンクリートを使ったハードな基盤整備でなく、知識、デザイン、創造性などへの「非物質的なもの」へと移っている。日本の政策担当者はこれまで、高度成長期と同じ発展観に基づいて同じ開発方式を踏襲し、失敗を繰りかえしてきた。

 

ウイークリー「国のかたち改革」(5)~(8)

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(5)2023年2月4日

どのような経済社会、地域にするのか④>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

◆産業構造転換のために国家がなすべきこと

 アメリカや中国での先端技術の研究・開発では、軍事利用を前提とするものが少なくありません。無人航空機(ドローン)、自動車の無人運転、コンピューターによる地形認証システムなどの基盤技術は、いずれも軍用目的でも利用されています。国防総省高等研究計画局が先端技術開発に重要な役割を果たしています。中国のファーウェイやZTEといった先端技術を担う民間企業も、軍事部門からスピンアウトしてきたもので、似たような流れがあります。こうした基盤技術の上に、シリコンバレーや中国の深圳や雄安は、市場調査を行うことで消費者のニーズをつかみ、IT関連企業が集中するようになったのです。こうした事例からも分かるように、国家によるサポートをテコにして、先端技術が集積するような拠点が生まれてこなければ、新しい産業はそう簡単には生まれてこないのです。

 日本では、大学は依然として情報通信機器の基盤技術の開発から遅れた上に、予算が恒常的に削られています。こうした閉塞状況を打破するには情報公開と民主主義を大原則にして国家戦略を立てる必要があります。

 昨今のイノベーションの特徴は、プラットフォームとなるスタンダードが変わると、市場が一変するという点にあります。このような大転換に際して、政府は、国有企業か、民間企業か、政府か、市場かといった、旧来的な二分法に囚われてはなりません。新しい産業のためのインフラ整備、研究開発投資を含む初期投資の赤字分をカバーするための制度設計、国際的なデファクト・スタンダードに育てるためのOSの選択と、これに関連するルールの標準化と外交交渉、関連産業の支援、知識産業化の推進、創造性を重視した教育の拡充などにおいて、国家戦略が重要になってくるのです。今の日本は、まるで倒産企業のように、未来を考えずに金を湯水のように使っているだけです。もはや日本は先進国とはいえなくなっています。だからこそ、オールジャパンで新しい産業を創り出す必要があるのです。

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■ウイークリー「国のかたち改革」(6)2023年2月11日

どのような経済社会、地域にするのか⑤>

        (八幡和郎『日本の政治:解体新書』から

 ◆首都機能移転と地方分権

 東京一極集中の排除のために、大阪・関西副都は有効であろうが、東京と大阪だけが栄えるのでは支持されない。他の地方の発展法方向も保障する必要がある。地方自治の仕組みにしても、明治維新の成功は、地方制度を統一整理したことにある。明治、あるいは戦後に始まった地方制度が老朽化しているので、国家的に再構築すべきことと、各地の自主性に任すことを使い分けることが正しい。

 東京一極集中を解消するためには、道州制を含めた地方分権とか、首都機能の部分移転の方が現実的だという人もいるが、それだけでは首都にいる人や企業本位の社会システムのままになる構造的問題を解消できない。やはり、本命は国会、政府の移転である。

試案としては、①東京が災害やテロ、システム障害に大阪を官民の西日本センターとして機能させる。「NHK大阪からの全国放送」「東海道新幹線の管制」などはすでに準備されている。②東京で緊急事態が起こったら民間は大阪、国会や官公庁は京都を活用すべきだ。ホテルを臨時の各省庁として使える。大学・寺社の施設も同様。③「国立京都国際会館」を国会議事堂として、京都御所は臨時の皇居として使えるように機能を向上させておくべきである。④中央省庁の組織を見直し、職員の半数は道州に移行させる。都道府県と市町村は300~400の基礎自治体に再編して財政基盤を保証し、生活基盤の整備は任せる。

 

 

 

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(7)2023年2月18日

どのような経済社会、地域にするのか⓺>

        (八幡和郎『日本の政治:解体新書』から

地方制度については、自民党が道州制を主張し、旧民主党が道州も都道府県も廃止して、全国を300ほどの基礎自治体に分けることを主張していたが、私は、両方同時にするという考えだ。ただし、それを地方分散につなげるためには、公務員をどこから持ってくるかが大事である。道州は基本的には霞が関から片道切符での移籍であるべきと思う。あくまで東京から広島や仙台に雇用を移すべきで、都道府県からの吸い上げは最小限でよい。政策立案は霞が関に残し、実施は道州に、全国統一政策は各道州の話し合いで決める方法もある。

ドイツは「地方分権の国」といわれるが、政策は全国一律が多く、むしろ「地方主義の国」である。教育も各州の文部省の話し合いで立案・実施している。ドイツの中央銀行のドイツ連邦銀行の理事にしても、過半数は各州代表である。また、EUも各国代表が相談して決めることが多いし、持ち回りの「議長国」という制度もある。日本でも、水道行政は主要な大都市の水道局の話し合いが重要な役割を演じてきた。

道州制を採用した場合、国土交通省や厚生労働省、農水省などは、プロパー職員はなくして道州からの出向者で構成してもいい。道州庁の最初の職員は中央省庁からの移籍者、出向者を中心にして、一部は地元で募集すればいいが、新規採用は道州がするので徐々に入れ替わるだろう。

現行の都道府県の枠組みをなくすことは、地域経済維持のためにも現実的でないので、基礎自治体の協議体としての道府県はあってもいい。都道府県議会議員は基礎自治体議員からの間接選挙でいい。職員は基礎自治体からの出向者で構成する。道州や基礎自治体の地域割りは、地元に任すのではなく、地元の意向を早朝しつつも、国会で決めるべきである。明治維新の時のように全国的なリシャッフルが必要だ。

 

 

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(8)2023年2月25日

道州制の議論をしていこう>

三木谷弘史『未来力』から

自動運転という「未来」が確実に来るとすれば、それが実現したときに国際社会に後れを取らないため、あらかじめ様々な規制を緩和しておかなければならない。そして民間が生み出していくイノベーションを、時には「失敗」も許容しながら支えることは、今の時代における政治や行政の重要な役割だろう。

その点、州ごとに法律や規制が決められるアメリカでは、イノベーションの進展が段違いに早い。ネバダ州では自動運転のテストを公道で積極的に進められるが、別の州ではできない――といった州による競争原理が働くからである。各自治体間での競争を促すという意味で、日本でも道州制の議論をするべきだというテーマも自ずとでてくるはずだ。

最近、アメリカのシリコンバレーで興味深い事態が起きている。そのイノベーションの「聖地」から企業や人材が離れ始めているというのだ。「頭脳」が流失しているという意味の「ブレイン・ドレイン」が起きている。なぜ、そうなったのか。背景にあるのは、新型コロナウイルスの流行に伴う働き方の大きな変化だ。リモート化による「ワーク。フロム・ホーム」だ。アメリカで一つのスタンダードになりつつあるのが「ノー・オフィス・カンパニー」という働き方である。そして快適な住環境を求め引っ越し先を探す。行き先は、シリコンバレーから、税金の低いテキサス州やネバダ州、あるいはフロリダ州だ。

日本国内では自治体同士の競争というものは起きえない。アメリカでは国が徴収する連邦所得税とともに、各州がそれぞれ所得税を徴収している。州によって税率は異なる。企業も同じで、テスラもカリフォルニア州からテキサス州に移転する計画を発表した。日本でも道州制の導入を抜本的に議論した方がいい。例えば、九州州は関東州よりもIT化が進んでいる。関西州は」税金の安さでは一番――。そうした選択があれば企業は様々な経営戦略を、人々は様々な働き方を検討することができる。それぞれの州が「未来」を見据えて多様な施策を打つような競争があった方が、地域の活力は結果的に増していくに違いない。現在のように全国一律の制度を「中央」が決めるのではなく、地域間競争を起こしていくべきだ

ウィークリー「国のかたち改革」(1)~(4)

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■ウイークリー「国のかたち改革」(1)2023年1月7日

◆「多極分散」ではなく「多極集中」で商圏を維持する

(河合雅司著『未来の年表・業界大変化』から)

過疎地が広がり続ける人口減少社会の国土の在り方について、集住を進めるのか、分散して住む現状を維持するのか。結論から言えば、「多極分散」ではなく「多極集中」であるべきだ。人口減少社会において拡散居住が広がると、生活に密着したビジネスなどが極めて非効率になり、労働生産性が著しく低下するからである。人々がばらばらに住むことで商圏人口が著しく縮小したならば、企業や店舗は経営が成り立たなくなり、撤退や廃業が進む。民間サービスが届かなくなれば、さらに人口流失が早まり、ますます企業や店舗の撤退、廃業が加速するという悪循環になる。

「多極分散」では行政サービスや公的サービスもコストパフォーマンスが悪くなり、国家財政や地方財政が悪化する。やがて増税や社会保険料の引き上げにつながり、国民の可処分所得が低下する。国交省の資料によれば全国の居住地域の51%で2050年までに人口が半減し、18.7%では無人となる。社会インフラや行政サービスを維持するには、ある程度の人口密度が必要なのである。企業や行政機関の経営の安定と地域住民の生活水準の向上とは表裏の関係にあるが、人口減少社会においてそれを両立させるにはある程度集住を図って、何とか商圏人口を維持するしかない。縮小していく日本においては「多極分散」は命取りである。

「多極集中」を進めていったら展望はどう開けるのか。具体的には全国各地に「極」となる都市をたくさん作ろうという考え方である。現行の地方自治体とは関係なく、周辺地域の人口を集約して商圏を築き、「極」となる都市の中心街として歩行者中心のコミュニティと賑わいをつくるイメージである。ドイツなどヨーロッパ諸国には、こうしたイメージとかなり近い形の都市が存在している。人口規模でいうと、周辺自治体も含め10万人程度が想定される。国交省の資料によれば、人口10万人であれば大半の業種が存続可能となるためだ。国内マーケットが縮小する中で、企業や行政機関は経営モデルを変更せざるを得ないが、「戦略的に縮む」ことによる成長を達成するためには個々の組織の変化だけではなく、社会の在り方にも根本から変えることが求められる。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(2)2023年1月14日

どのような経済社会、地域にするのか①>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

「失われた30年」は、人々の暮らしを直撃し、大都市への集中が進む一方で、地域は衰退するという、地域間格差が拡大していった。この危機から脱するには、再生エネルギーを軸にした産業構造の転換が必要であり、目指すべきは、分散革命ニューディールによる地域分散ネットワーク型の社会であることを示しています。

 日本の経済成長がストップし、長期停滞から抜け出せずにいる最大の原因は、バブル崩壊後の産業構造にあります。その背景には。無責任体制から生み出された「失われた30年」の間に研究開発のための投資額が減少し、アメリカや中国から大きく引き離されてしまったということがあります。産業の競争力がどんどん低下していったのです。

 1991年の日米半導体協定の後、先端産業について政府が本格的な産業政策を展開することはタブー化し、「規制緩和」を掲げる「市場原理主義」が採用されるようになった。しかし、規制を撤廃し、価格メカニズムに任せれば新しい産業が生まれていくなどというのは、根拠のないイデオロギーです。90年代にバブルが崩壊し、金融危機に見舞われたスウェーデンやフィンランドでは、巨額の公的資金を投入して不良債権を一気に処理しています。さらに、先端産業化を進めるための国家戦略を立てて、イノベーションに対する研究開発投資と教育投資を増加させ、知的集約産業への移行が図られた結果、フィンランドにはノキアができ、スウェーデンにもエリクソンなどのIT企業が生まれ、デンマークには世界的な風力発電メーカーであるヴェスタス社が誕生します。ここで重要なのは、これらの国が産業政策を立てて、新しい産業への投資や技術開発を国が支援する政策を打ち出したということです。

 イノベーションが新たに生まれ、産業構造が変化するような時期には、明らかに一定の政府の役割なしに産業はうまれません。

 

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■ウイークリー「国のかたち改革」(3)2023年1月21日

どのような経済社会、地域にするのか②>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

◆「地域分散型ネットワーク社会」へ

20世紀は、重化学工業を軸にした大量生産・大量消費の「集中メインフレーム型」の時代でした。それは、市町村や都道府県などの地方自治体を国の出先機関とする中央集権的な行財政システムと適合してもいました。この集中メインフレーム型のシステムは、人口が増加傾向にあり、内需も拡大し続け、輸出額も増加していくような社会でないと、集中メインフレーム型のシステムはうまく機能しません。しかし、すでに日本企業の国際競争力は衰えており、少子高齢化も進み、実質賃金が停滞もしくは低下し続けていますから、とてもこのシステムが持たないのは明らかです。 

目指すべきは、「集中型メインフレーム型」ではなく、「地域分散ネットワーク型」の社会なのです。クラウド・コンピューターやIOT、ICTの発達によって、それぞれは小規模で分散していても、瞬時にニーズを把握し、きめ細かく供給することが可能です。しかもそれを効率的に行うことができるのです。各国でこうした動きが始まっています。これが21世紀の新たな産業革命なのです。

医療や福祉、介護の世界は、今後どうあるべきでしょうか。高齢化が進む現在、単身世帯が増加しています。これに対応して、医療や福祉、介護の分野も、地域分散ネットワーク型に変革していく必要があります。具体的には、中核病院、診療所、介護施設、訪問介護・看護・介護などをネットワークで結びつけ、地域医療・介護のシステムを構築するのです。

このように地域分散ネットワーク型へと転換することは、中央集権的な意思決定システムから、分権・自治型の合意形成システムへの転換を伴うものでもあります。重要なのは、中央集権的な「上から下へ」のガバナンスではなく、それぞれの地域を基本とし、地域では対応できないものを上位の行政機関に委ねる「補完性の原理」に立脚するということです。その上で、地域同士でネットワーク形成し、中央政府からの独立性を確保するのです。地域住民が主権者であることを前提とした民主主義の実践といえるでしょう。

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■ウイークリー「国のかたち改革」(4)2023年1月28日

どのような経済社会、地域にするのか③>

(飯田哲也・金子勝『メガリスク時代の日本再生戦略』より)

 地域分散ネットワーク型への転換は、実は食と農の分野でも進んでいます。大規模専業農家をモデルとする農業基本法以来の経営モデルは、これまで一度として主流になったこともないし、これからもありえないと思われます。農業でも兼業が現実的で、かつ小規模分散ネットワークの仕組みが必要となっています。それを象徴するのが、農産物直配所へのPOSシステムの導入です。販売所で農産品が売れるたびに、バーコードでその情報が読み取られ、どこで何が売れたのかガ瞬時に分かるようになります。大量仕入れ、大量販売でなく、きめ細かな販売が可能になるのです。それに加えて、ネットワーク化を進めることで、より付加価値の高い農産品を各地で提供することができるようになります。

 現在、農産物直配所は全国に1万数千か所(季節営業店も含めると2万余)あり、年間総売上高は約1兆324億円にも上ります(2018年)。ここにPOSシステムを導入し、ITCの活用によりネットワーク化を進めて相互に結びつくようになれば、さらなる発展が期待できるのです。そのポイントとなるのが「営農ソーラー」です。ドイツやデンマークでは、地域エネルギーの担い手の中心は農家です。「農産物もエネルギーも、太陽と土地から生まれる」という基本原理から考えても、農業と再生可能エネルギーはとても相性がよい組み合わせです。農業を営むのに加え、再生可能エネルギー発電事業にも取り組むという、「エネルギー兼業農家」となることで収入も安定します。

 「6次産業化」+「エネルギー兼業農家」という農家経営モデルは、地域経済のあり方も大きく変える可能性を秘めています。これまでは地域経済の活性化を図るために、外部から工場を誘致し、兼業農家のために雇用を作り出すということをしていました。しかし、その場合、収益の大半は地域外へ流失してしまっていました。「6次産業化」+「エネルギー兼業農家」というモデルは、地域の資源を多角的に活用し、雇用を創出し、収益をもたらし、それが地域を循環するという、自律的な経済圏を生み出します。

12州制ウイークリー(333)~(337)

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(333)2022年12月3日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑧

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

「地方は国の下請け」といわれる理由

◆地方の仕事は国がつくった計画を実施するだけ

2000年4月に「地方分権一括違法」が施行されたことで、国と自治体の仕事の関係は新たなものになったが、現実的にはそれほど大きな変化はない。一括法依然の長期間にわたって維持されてきた国と自治体の関係は以下の通りだ。

一括法依然の自治体の仕事は、「機関委任事務」「団体委任事務」「行政事務」「固有事務」の4つに分類されていた。

「機関委任事務」は、国から自治体の長に委任された事務のことで、計画は完全に国によって立てられ、自治体はその実施だけを行うというもの。「団体委任事務」とは、国の事務のうち、ある一部を国からの委任を受けて自治体が実施する事務で、計画については国と自治体双方で行い、実施は自治体が行う。「行政事務」は、公権力を背景とする規制的な事務のこと。行政事務を計画するのは国と自治体双方だが、規制の基準などは国が決め、計画を実施するのは自治体となっている。「固有事務」とは、自治体の運営に関する事務や地域住民の生活・福祉などを向上させるための各種事務のことで、計画も実施もともに自治体が行う。

◆国の制度が自治体の活動を縛っている

これまで自治体が自分の裁量でできる仕事は「固有事務」だけで、その他の仕事は、国の関与があった。これら4つの仕事以外にも、国が自治体の独自の活動を縛る制度として「必置規制」というものがある。これは、国が自治体に対して設置しなければならない行政機関や施設、特別の資格を持つ職などを法令によって定め、その設置を義務付けるものである。この必置規制も、一括法によって一部緩和されたが、例えば、児童相談所や病害虫防除所、検定所、あるいは食品衛生監視員、児童福祉司、建築主事などを設置することが義務付けらてきた。自治体によっては、必要も余裕もないものを置くことにもなるわけで、この「必置規制」も長年にわたって自治体の自主的な組織運営を規制していた。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(334)2022年12月10日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑨

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

財政を自前でまかなえない自治体

◆地方は使うお金を自由に集められない

 国と自治体の財政を量的に比較すると、日本の自治体の歳出規模は非常に大きい。例えば令和元年度においては、国の歳出が73兆4200億円(全体の42.6%)で、地方が98兆8467億円(同57.4%)となっている。これはイギリスやフランスはもちろん、アメリカやドイツといった連邦制の国に比べても、日本は圧倒的に自治体の方が多い。歳出の量、執行の側面だけで見ると、日本はかなり「分権的」な国といえるのかもしれない。

もう一つの特徴は、自治体の歳出規模が大きいのにもかかわらず、自前の税収の割合は他国と比べて非常に少ないこと。つまり、自治体の仕事は多く、そのために使うおカネも多いが、自治体が自前で集めるおカネは少ない。そのギャップは、国からの財政移転で埋められている。これは地域的なサービスの供給が自己負担の原則からかけ離れていることを意味している。

なぜそうなっているかといえば、自治体には歳入に関する自治が制約されているからだ。自治体は、自分たちの歳入の規模と内容を自己決定できないのである。

◆自前で集められるのは地方税だけ

自治体の歳入項目は多岐にわたるが、主要なものは、「地方税」、国からの補助金と捉えられる。「地方交付税」と「国庫支出金」、そして借金である「地方債」である。この4項目によって、8割から9割の歳入がまかなわれている。

この4項目を自主財源と国への依存財源に分けると、地方税だけが自主財源で、残りはいずれも依存財源だ。それだけでも自治体は国に対して大きく依存していることがわかる。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(335)2022年12月17日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑩

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

国が地方税を決めている

◆地方税の種類も税率も自由に決められない

地方税は自主財源だから、本来、税目(税金の種類)や税率はそれぞれの自治体が自由に決めるべきなのだが、現実は、国会で決められた地方税法によって細部まで定められており、自治体による自主裁量権はほとんどない。税目については、法定普通税が定められており、自治体はこれを義務として課税しなければならない。つまり、自治体が独自に税金を集めようというときには、国の許可が必要で、自治体が自由に税目を設定することはできなかった。

税率については、国が標準税率を設定している。自治体がそれ以上の税率を設定する(増税)のは問題ないが、税率を低く設定すると、地方債の発行が制限されたり、地方交付税・補助金の算定で不利益を受けたりするなど、「ペナルティ」が制度的に課される仕組みになっている。

◆国が地方税に関与する理由は税源の「偏在」と「重複」

国が地方税に関して自治体を制約する背景として、「税源の偏在」と「税源の重複」が指摘されている。

「税源の偏在」は、地域によって税収に大きな格差が生じていることで、例えば地方税の一人当たりの税収額をみると、東京と沖縄では3倍以上の開きがある。

「税源の重複」には、税源の分離という原則があるが、日本では所得、消費、資産、流通といったように、いくつかに分類できる税源に対して、それぞれ国、都道府県、市町村が重複して課税している。

このように税源に偏在と重複があることで、自治体の課税自主権を拡大すれば、地域によって受益と負担に大きな差が生じ、「均衡の原則」が破られる。それを理由に、国は自治体への制約を行ってきた。

 

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(336)2022年12月24日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑪

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

財源不足の自治体に配られる「地方交付税」

地方交付税は、広い意味での補助金であり、国と自治体及び自治体間の「財政調整」、そして自治体に対する「財源保障」という二つの機能を担っている。

◆国が集めたおカネを「財源難」の自治体に分配するシステム

地方交付税の基本的な仕組みは国が国税としておカネを集め、各自治体の財源不足額に応じて交付するというもの。この地方交付税の制度に関して問題点は、まず一つに、国が地方交付税に充てられる額と、地方が必要な額が合致しない点がある。地方交付税の財源には国税の一定割合があてられるために、全体の交付税額は国の予算で決定される。一方で、1800ほどある自治体それぞれで不足している額を合計すると、国の予算と一致する場合がほとんどない。そこで、調整が必要になる。

景気の明暗により、交付税額は変動する。昭和50年代以降、法定交付税率は30数%だったが、財政が厳しい時には、実質的には40数%が交付された。国が借金をして地方交付税の穴埋めを行ったのだが、これが財政を逼迫させる原因の一つになった。

◆金額は国が一方的に決定し、自治体の意思は反映されない

それぞれの自治体で必要な額をどう決めるかについては、三つの問題がある。一つ目に、実際に足りない額を支給するか、客観的な方法で不足額を計算するかという問題がある。実際の不足分を支給するようにすれば、自治体は税を集めるのを怠ったり、ムダ遣いをするようになる。二つ目は、人口や面積など一つのモノサシを使うのか、各自治体の条件を踏まえて額を算定するのかという問題。気象条件の違いなどを加味すると、余分の費用が加えられることや、政治家や官僚の介入の余地が大きくなる。三つ目は、意思決定の在り方の問題。自治体に交付される金額は国が一方的に決定し、自治体の意思がほとんど反映されない。自治体は国の言いなりにならざるを得ない。

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(337)2022年12月31日

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑫

「国庫支出金」がムダと利益誘導を招いている

国庫支出金も地方交付税と同様に広い意味での補助金といえる。ただし、国庫支出金は、国と自治体が協力して事務や事業を行うときに使われるおカネで、地方交付税とは性格が異なる。国庫支出金には3種類ある。「国庫負担金」がその約70%、「国庫委託金」が約1%、「国庫補助金」が約30%ある。

「国庫負担金」は,国が自治体の活動の一部を負担するために交付する補助金である。例えば小中学校の先生の給料は自治体が支払っているが、義務教育に関しては国にも責任があるため、3分の1を負担している。「国庫委託金」とは、国が自治体の経費全部を事務の代行経費として自治体に交付するもの。例えば、国会議員選挙や外国人登録などは、本来は国の仕事だが、国の移管が行うにはコスト的にも事務的にも不合理なので、自治体に行ってもらっている。こうした仕事にかかる経費の負担分が国庫委託金である。「国庫補助金」は、国が特定の事業や事務の奨励や財政維持に交付するもので、廃棄物処理施設施設の整備、福祉事業の促進、道路整備などに対するものなどとなっている。

国庫支出金に関しては5つの基本的な問題がある。1点目は、責任の所在が不明確であること。2点目は、交付を通じて国が関与することで、自治体の自主的な運営を阻害すること。国庫支出金は交付に際して、使い方が細かく条件づけられているからである。3点目は、交付に当たっての細かな条件や煩雑な交付手続きなどが、行政の簡素化、効率化を妨げていること。100万円の補助金をもらうのに何度も上京しなければならず、その経費が100万円以上かかってしまうといった指摘がしばしばなされる。4点目はタテ割り行政の弊害を招くこと。国庫支出金は、各省庁から自治体に回ってくるため、国レベルでヨコの調整がほとんど行われない。その結果、同じような施設が重複して出来上がり、ムダが生じることになる。5点目は、どの自治体にどれだけ配分するのかという基準が曖昧なため、「陳情」の対象となってしまう。

12州構想ウイークリー(329)~(332)

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(329)2022年11月5日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」④

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

「富士山型から日本アルプス型へ」

『地域主権型道州制』は、イメージでいえば、一つの圧倒的に大きな山が麓まですべてを支配するような「富士山型」ではなく、山々がお互いに高さを競い合うような、いわば「日本アルプス型」の統治構造である。

◆地域の政府が地域のあり方を自己決定する

一つの大きな拠点があるのではなく、力のある拠点がいくつも存在する「ポリセントリシティ(多中心)国家」、これこそが『地域主権型道州制』の統治構造である。政治学に「デバイディッド・サバランティ(分割主義)という考え方がある。これは、「市民にとって、最も危険なものは中央集権であり、これが市民の自由と独立を損ねてしまう。市民の自由と独立を守るためには、市民の自主独立を基盤とした地域社会をもとに国全体をつくっていくことこそが重要である」という考え方だ。

 中央集権のもとで生み出された「国の支配、自治体の依存」の関係を清算する。そして、自己責任と自由意思を持つ地域の政府が、その特性と住民のニーズを背景にしながら、その地域のありようを「自己責任」をもって「自己決定」する。さらには他の地域と「善政競争」をしていく。これが「地域主権」である。これを実現するには、中央集権化された統治構造ではなく、自治体同士がお互いに競い合えるよようなフラット型の構造でなければならない。

◆国・道州・市の三層制で新しい国のかたちをつくる

国と地域とでその役割を明確に区分けし、地域がその役割を果たすために、独自の財源を確保できるような課税自主権、税率決定権、徴税権を持つ必要がある。また、拡大された条例制定権、法律修正要請権を持ち、住民の積極的な参画と自立した財政基盤の確立を前提に、地域が主体的に取り組む。お互いに競争を行いながらに日本という一つの国を「共同経営」していくという統治形態である。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(330)2022年11月12日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑤

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

「中央集権システムには限界が来ている」

なぜ東京やその隣接県だけが繁栄するのか。その根本的原因は、現在の日本が中央集権体制という統治形態をとっているからだ。

◆軍国主義国家が作った中央が地方を支配する体制

明治維新、日本は列強と伍していくために、日本の力を一つにまとめ、強固な中央集権体制を確立する必要があった。乏しい人やカネを一か所に集めて活用するために、政府は中央集権体制を敷いて、すべてのものを東京に集中させた。その極めつけは1938年に制定された「国家総動員法」だった。この軍国主義国家によって組み立てられた中央集権体制は、亡霊となっていまなお生き続け、今日の日本のあらゆる分野を徘徊し混乱、混迷、低迷を引き起こし、人々の生きがいと夢と楽しさを奪い取っている。

◆中央集権が日本を衰退させていく

敗戦、そして日本が独立を取り戻してからは、再び日本政府がその中央集権的なシステムを使って、国の再建を進めていく。政府が基幹産業や企業を育て、貿易の振興をはかり、生産物を海外に積極的に輸出する。それによって得られた富を政府が国民や各地方に分配する税財政システムをつくって、個人の所得や各地方の社会資本が平均化する社会を築いてきた。

中央集権システムは、日本の発展医貢献したと評価すべきだが、すでに国民生活を豊かにするという目的は実現された。国民の価値観が「豊かさ」という一元的なものから、多様化の時代になってくると、日本が一つの大企業のようになった一元的な統治システムは、次の社会的発展の障害となってしまう。もはや、中央集権は日本を繫栄発展させる「システムではなく、日本を衰退させる以外のなにものでもなくなった。

 

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州構想ウイークリー(331)2022年11月19日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⓺

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

「官僚機構は時代の変化についていけない」

◆官僚機構の効率の悪さがほうちされたまま

中央集権システムでは、霞が関にある中央官庁が、日本の社会・経済活動の多くを主導するから、その「司令塔」に近いところに、全国各地から情報を求めて企業や人が集まる。また、中央からコントロールがしやすいように、各産業に企業団体などを東京に集約させる政策をとることで、企業や人が集まり、仕事もカネも人も集中していった。交通インフラを整備すればするほど東京の情報だけが地方に流れていき、逆にストロー効果やスポンジ現象といわれるように、人、モノ、カネが東京に吸い取られていく。中央集権システムには、様々な弊害がある。例えば、官僚機構の効率低下だ。次代の変化についていけず、効率性を失っている。

◆規制と保護が競争を阻害している

政府による必要以上の「規制」や「保護」も中央集権のマイナス面だ。現在のようにボーダーレス化した経済社会では、規制や保護は企業の独創性を阻害するばかりではなく、市場における自由な競争と発展を抑制する。自由な競争がないことで、日本の企業や産業は競争力を弱め、同時に、消費者は競争によって生まれる優れた商品やサービスを享受できなくなっている。

◆既得権益を守ろうとする人たちが規制や保護にしがみつく

なぜ不要になった規制や保護が存在するのだろうか。それは官僚たちが、権威や権限はもちろん、それによって獲得した既得権益を守ろうとしているからだ。また、規制や保護によって利益を得てきた事業者や従業員も、それらを廃止することに抵抗する。そうした人々を支持者に持つ政治家も自分の政治基盤を維持することを優先し、規制緩和や保護廃止を断行できない。タテ割り行政、無駄な社会資本整備、規制や保護といった問題については歴代政権が取り組んできた。しかしながら、効果が上がらない。現在の国の中央集権的な統治制度そのものが継続される限り、改革の効果はおのずと限度が生じる。

 

よりよき社会へ国のかたち改革 《12州制》関西州ねっとわーくの会

■12州制構想ウイークリー(332)2022年11月26日

◆日本を衰退させない「新しい国のかたち」⑦

(江口克彦著『地域主権型道州制がよくわかる本』より)

中央集権システムが日本を破滅に向かわせる二つの理由

◆複雑・高速のグローバル時代に対応できない

中央集権的な体制では、複雑かつ高速化し、統合されつつある国際社会、とくに経済活動に対応できなくなっている。現在の国際社会は、国と国という関係だけではなく、異なった国の地域、国民同士が国境を越えて直接的に相互活動を行っており、中央集権的な制約はそうした活動の障害になっている。EUが経済発展を遂げたのは、加盟国内の経済的障壁をなくし、さらには通貨を統合するなど、域内に共通の産業・経済インフラを整備しながら、各国がそれぞれの特性を生かして、独自の経済戦略や経済政策を展開したからだ。アメリカは各州が独自な政策を展開し、それが民間企業の活動にダイナミズムをもたらした。

もし、日本の各地域が独自にそれぞれの特性を活かしながら、国際的な視野に立って独創的な政策や経済環境づくりができるようになれば、新たな経済活動のフロンティアが広がっていくのは間違いないであろう。

◆中央政府が肥大化し、財政を逼迫させている

日本を破滅に向かわせているもう一つの理由は、現在の中央集権的な体制によって、中央政府が肥大化し、財政を逼迫させていること。国が自治体をコントロールする制度は、国の仕事とそのための資金需要を増やすと同時に、負担と受益の関係を曖昧にする。国民は、納めた税金がどのように使われ、どんな行政サービスが行われているかわからなくなる。結果的に、効率の悪い公共料金や公共サービスを生み、国民の負担を増やす一方になってしまう。財政赤字は、これ以上増やすことはできない。そのためには「ニア・イズ・ベター」といわれるように、決定者と実行者、そして受益者と負担者の距離を近くすることが重要だ。