よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(294)2022年3月5日
◆脱「地方バラマキ型補助金政策」こそ地方創生政策
(八田達夫・NIRA総研開発機構『地方創生のための構造改革』)
第二次安倍政権は成長戦略として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」と呼ばれる地方創生政策が行ったが、これは基本的に「地方バラマキ型」の補助金政策であり、成長戦略としては極めて不備であった。成長戦略としての地方創生の基本は、地方が優位性を持つ分野で、そのポテンシャルを最大限に生かせる環境整備をすることである。そのためには、成長を妨げている規制や地方行政の仕組みを改めていく必要がある。
例えば農業では、株式会社の農地保有を積極的に進めていくことが重要だ。ホームステイは、地方の観光産業を大きく伸ばす方策になりうるが、その振興のための規制緩和は遅々としている。一方、地方が強い優位性を持つ高齢者サービス産業は、地方自治体が国民健康保険の財源負担を強いられているため、自治体は高齢者施設の新設に許可を与えることに躊躇しており、地方における進展が妨げられている。
地方が優位性を持つ分野でそのポテンシャルを最大限に生かせる環境を整備するこれらの規制改革や行政改革こそ、地方に真の活性化をもたらす。しかし、それは既得権を脅かす改革でもある。このため、政治的・行政的な抵抗は極めて強い。長期的な成長効果が乏しい「まち・ひと・しごと創生総合戦略」のような補助金政策が、近視眼的な政治家たちに受け入れられやすいことと対照的である。
成長戦略としてふさわしいのは、この政治的に難しい規制改革と行政改革である。
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(295)2022年3月12日
◆旧態依然の地方財政制度
(八田達夫・NIRA総研開発機構『地方創生のための構造改革』)
わが国の集権体制は変わりつつある。従前、地方自治体は国(中央政府)が企画・立案、財政調整(財源保障)した政策・事業を執行する、いわば「国の下部組織」に過ぎなかった。しかし、①機関委任事務の廃止を含む地方分権一括法の施行(2000年4月)、②全国の自治体をほぼ半減させた「平成の大合併」、③3兆円規模の税源移譲を実施した三位一体の改革、④補助金の一括交付金等の「地域主権改革」などを経て自治体の主体性や責任は高まりつつある。しかし、地方財政の「制度」は旧態依然の性格を残している。
1=地方財政(地財)計画による財源保障とそれを実現する「地財交付税制度」は、国が決めた政策(地財計画に計上した支出)を確実に自治体に実行させるという集権的分散システムを前提にした補助金である。2=一括交付金が進んだとはいえ、地方の創意工夫が十分に発揮される状況にもない。「地方創生関係交付金」は先進的な自治体の取り組みを支援するとするが、何が先進的かは国の判断によるところが大きい。自治体は自らの創意工夫ではなく、国をおもんばかった計画(地方版総合戦略)を作ることにもなりかねない。3=国の財源保障は(赤字地方債や国が同意した)地方債にも及ぶ。「暗黙裡の信用保証」は地方債の発行コスト(金利)を国債並みに下げてきた。このことは公共施設の更新・運用への民間資金・経営ノウハウの活用を狙いとする公民連携(PPP)民間主導(PFI)普及の阻害要因にも挙げられる。低い地方債の金利は(リスクを含む)本来の公共事業・公共施設のコストを不明瞭にしてしまう。加えて、地方自治体が独自に担う政策にも弊害が見受けられる。
国の財源保障にも自治体の取り組みにも欠けているのは「住民の財政責任」だ。自治体の自助努力によらない格差を埋めるのは、分権体制下での地方交付税の役割である。しかし、現行の交付税はむしろ地方の財政規律の弛緩、依存体質を助長してきた。改革努力の前に交付税をあてにする状況で本当に改革が進むかは疑問だ。
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(296)2022年3月19日
◆公共サービスのリストラ必至
(大庫直樹元マッキンゼー共同経営者『人口急減と自治体消滅』より)
自治体とは何か。あけすけに言ってしまえば、地域住民から税金を集め、それを財源にして地域住民に対して公益にかなうサービスを提供する団体である。税金の主たる払い手は誰か。それは生産年齢人口である。都道府県は、その税収の大半が、生産年齢人口が直接、間接的に支払うものである。個人住民税、法人2税、地方消費税、自動車税、軽油引取税などである。
今、自治体の財源を支えている生産年齢人口の減少が始まった。これから10年。20年の間、生産年齢人口は総人口を上回る減少スピードで減少していくことになる。自治体は、減少する歳入規模に見合った公益サービスを提供できるように、業務を根本から見直さなければならない。自治体は日本という国、自治体のある地域の経済が成長を続けてきたため、事業を絞り込む経験は少ない。しかし、それをしなければいけない状況がすぐ近くまで来ていることを認識しなければいけない。事業を絞り込むことを通じて、自治体サービスの多様性が広がることが示唆される。自治体自身によるオリジナルの「自治」が目覚めるということである。
公営企業などの事業を、自治体で行うものとそうでないものに切り分けることによって、自治体の新しい事業領域が明確になるはずでもある。日本の画一的な地方自治制度を見直す契機を、人口減少社会への進展が実はもたらすことになるかもしれない。自治体が自らをデザインする時代の到来を予感させる。
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(297)2022年3月26日
◆効率化と住民参加で財源は確保できる
(柏木恵キャノングローバル戦略研主任研究員『人口急減と自治体消滅』より)
人口減少社会において、自治体が生き残るためには、住民サービスを効率的に提供し続ける仕組みと、そのための財源(歳入)を確実に確保し無駄なく使用する仕組みが重要である。今の日本は、国と地方を合わせた長期債務残高が1000兆円を超え、まったなしの状況である。財源確保を中心に自治体の存続を考える際に、意識すべき観点は、勤労世代が減少するということである。自治体職員数が減少するだけでなく、税金や料金を納付する勤労世代も同じく減少していくので、自治体同士の連携だけでなく、企業や住民も巻き込んだ形で、効率的で簡素な財政にする必要がある。これから先、自治体が人口減少を乗り越えるには、官民の協働化に加え、自治体内、自治体間の一元化・共同化をこれまで以上にあらゆる自治体業務に取り入れることが必要である。カギは、ITを駆使した一元化・共同化・協働化である。
日本の国家財政は社会保障関係費が3割を占め、自治体も12兆円ほど負担している。自治体の歳入の約101兆円の内訳は、地方税が35%、地方交付税交付金が20%、国庫支出金が16.3%、地方債が12.2%である。大部分の自治体が地方交付税や国庫支出金などに頼っている。自治体財政の構造的な問題として、滞納残高が1.8兆円ある。個人住民税が9300億円、固定資産税が約5600億円である。国民健康保険や介護保険料も同時に滞納している可能性があり、これらの滞納に対応し徴取することで自主財源を増やすことができるが、そのためには徴収の一元化・共同化・協働化を進めるとよい、
協働化とは、民間企業との協働であり、民間委託はそのひとつである。IT化、データ化も進めれば、医療や介護のデータベース化で医療保健や福祉の提供の効率化も望める。根本的に財政難から脱却するには、消費税の引き上げや、国税及び地方税の体系の見直し、年金や医療などの社会保障給付とその負担の見直しなどを引き続き検討し実行することも必要不可欠である。
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(290)2022年2月5日
◆アイルランドの奇蹟
(野口悠紀雄『リープフロッグ・逆転勝ちの経済学』より)
かつてヨーロッパの最貧国であったアイルランドは、1980年代半ばから、だれもが予想しなかった経済成長を始め、いまではアメリカより豊かな国になっています。急成長した要因としてよく指摘されるのは、法人税引き下げです。これによって海外から外国企業を呼び寄せ、成長を実現したというのですが、法人税率を引き下げたからといって、必ず外国企業が集まるわけではありません。外国企業がアイルランドに来るようになったのは、アイルランドに欧州本部を置き、そこからヨーロッパ大陸の顧客サービスを行うようになったからです。こうなったのは、80年代になってインターネットの利用が進展し、通信コストが大幅に低下したからです。最初の形態はコールセンターです。これが成長の始まりでした。その後、コールセンター業務は安労働力を求めてインドに移動し、アイルランドでの活動は、付加価値の高いものに移行、アイルランドは地球規模でITビジネスのハブになったのです。アイルランドはそれまでの農業型経済から、高度な技術を駆使する国際的サービス型経済へと転換しました。
一方、日本経済の沈滞ぶりは、目を覆わんばかりです。OECDの統計を見ると、雇用者一人当たりGDPで、すでに韓国やトルコに抜かれています。金融緩和や財政出動などと言ってごまかすのではなく、経済構造の改革を真剣に考える必要があります。日本は中国をモデルにすることはできませんが、アイルランドをモデルにすることはできます。例えば、道州制を導入し、全国を5つの道と州にしたとすれば、一つはアイルランドと同じくらいの面積になります。これらの各々に独立国並みの自由度を与えることとすれば、新しい発展が期待できるかもしれません。
*アイルランド=面積70,273㎢、人口493万人。
*リープフロッグ=カエル飛び
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(291)2022年2月12日
◆IT化に対応できない「1940年体制(国家総動員体制)」
(野口悠紀雄『リープフロッグ・逆転勝ちの経済学』より)
ITではインターネットによって組織を越えたデータ交換が極めて容易に行えるようになりました。非常に低いコストで地球規模でのデータ交換が可能になったのです。組織の枠を超えた情報のやりとりが重要な意を持つようになりました。このような大きな技術革新が経済活動を大きく変え、1990年代以降の世界を一変させました。ITがもたらした巨大な変化は、産業革命のそれに匹敵します。ところが日本の組織は閉鎖的な仕組みであるために、これにうまく対応することができなかったのです。問題は、デジタル化の中身が、中央集権的なものから分散的でオープンな仕組みに転換したこと、そして、その変化に日本が対応できていないことなのです。その根底に日本型組織の問題が横たわっています。新しい情報通信技術が日本の経済社会構造、とくに大組織のそれと不適合なのです。
古いものが残っているのは、コンピューターだけではありません。さまざまな分野で既得権の残存が大きな問題です。キャッチアップ型の経済成長においては、先進国というモデルが存在するために、ビジネスモデルはすでに存在しています。そのため、政府がリードしてそれを実現するのが効率的な方法ですが、リープフロッグの場合には、そういう訳にはいきません。政府は、新しいビジネスモデルの開発は不得手です。これは、民間の組織が行うしかありまっせん。政府が新しい活動に補助金を出すべきだと言われます。しかし、そのようなことによってリープフロッグが起きるわけではありません。改革をリードするのは政府の役割であるという考え方は、キャッチアップ型の経済成長の場合です。リープフロッグは、このような思考法を変えない限り実現しません。
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(292)2022年2月19日
◆地方分権化進め地方衰退ストップ
(三浦 展『大下流国家・オワコン日本の現在地』より)
東京圏からくる可能性のある移住希望者はシェアハウスに住むなどシェアリングやエコロジーンに関心が高い。それぞれの地方固有の町の歴史・文化・町並みの活かし方にも関心がある。地方に移住したら仕事をしながら、シェアリングやエコロジーに関わる活動やまちづくりができるということが、大きなインセンティブになりそうである。他方、地方では相変わらず東京をまねた都市再開発も盛んであり、駅前に高層ビルを建てれば若者が戻ってくると勘違いしているような政策がとられること少なくない。
古いものを活用することで若者が地方にとどまるー――。福井市の場合、行政などの人たちはそれが理解できなかった。彼らは古いビルを壊して新しいビルを建てないと、福井の未来はないと思っていた。こうした中で、古い建物を生かしながらまちづくりをすることの良さが福井でも理解され始めた。新しいビルを建てて、家賃を上げて、全国同じ店が入るというモデルでは、福井市内の若い人にはチャンスがない。売り上げも県外に流失する。だから若者はチャンスを求めて大阪や京都や東京、名古屋に出て行ってしまう。
東京郊外での若い世代の人口増加のためには「ワーカブル(働きやすさ)」「夜の娯楽」「シュア」が必要と主張してきたが、この原則は地方にも当てはまる。東京圏から地方への移住のネックになるのが仕事である。日本全体が下流化する中、地方では、中央志向の政策でない、地方による地方のための政策が求められる。地元のモノと人材を活用して地元を盛り立てるべきなのだ。巨大な国家を全国共通一律に動かすのは難しい。それぞれの地方単位で地方に即した政策を行っていった方がいいのである。そのための地方分権化がもう一度議論されたほうがいいだろう。
よりよき社会へ国のかたち改革 《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(293)2022年1 2月26日
◆日本のGDPの7割はローカル経済圏が稼ぐ
(冨山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか』より)
日本のGDPと雇用のおよそ7割を占めるのは、製造業ではなくサービス産業だ。しかも、サービス産業の大半は、世界で勝負するようなグローバル企業ではなく、国内各地域内の小さなマーケットで勝負するローカル企業が大半だ。サービス産業の多くは、経済構造的にはローカル企業がローカルに活動する構造から、あまり大きくは変化しない。だとすれば、これかの日本の経済成長は、ローカル経済圏のサービス産業の労働生産性とその相関関数である賃金が大きく左右すると考えていい。もちろん、世界で勝負できる製造業やIT産業のグローバル企業には頑張ってもらえばいい。その「稼ぐ力」で、貿易収支であれ所得収支であれ、我が国の国際経常収支に貢献してくれることは極めて重要である。
しかし、それだけでは必要十分条件にならない、世界で勝負できるわずかな数のグローバル企業がどれほど頑張っても、残り大半のローカル企業が足を引っ張っていてはどうにもならない。しかも、経済のグローバル化が進展すると、ローカル経済圏で活動する非製造業への依存度が高まるのが、先進国共通の現象である。だから、世界で勝負するグローバル企業と日本国内で勝負するローカル企業の割合が大逆転するようなことも、構造的には絶対に起こりえない。
いずれにせよ、今、日本の社会と経済に起こりつつある巨大なパラダイムシフトは、グローバルな経済圏とローカルな経済圏の違いを際立たせている。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(285)2022年1月1日
◆地方自治を変え国を一新⑥
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
日本では、今でも田中角栄的な「国土の均衡ある発展」というコンセプトが根付いている。中央で集めた金を地方に再配分する地方交付税がその象徴だ。ところが、東京と鹿児島の1人あたりGDPを比べると、2倍以上の開きがある。沖縄はもっと低くなる。つまり、中央集権で「国土の均衡ある発展」をやろうとすると、与えられる方は与えられることを当然と思い、自助努力の妨げになっているのだ。
一方、ドイツでは、基本法で中央から地方への援助を禁止している。それぞれの州が立法権から徴税権まで持っているからだ。さらに、国からの援助のみならず、豊かな州から貧しい州への援助も上限が厳しく決められている。これがドイツにとって、「国土の均衡ある発展」に非常にプラスになった。なぜか? 誰も助けてくれないので、自助努力を重ねるしかないからである。その結果、企業や施設の誘致なで競争が起こり、長期的にみると非常に均衡ある発展につながったのだ。
日本人が大きく勘違いしているのは、これを中央指導で行った方が効率がいいだろうと考えている点だ。だが、それは途上国だけに通用する考え方である。ある段階から先は、地方それぞれの自立を促し、世界から「カネ・人・企業」を呼び込むように仕向ける。そうやって地方に権限を渡している国の方が豊かになるのである。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(286)2022年1月8日
◆地方自治を変え国を一新⑦
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
中央集権型の硬直化した政府では、新たな産業を興し、これまでの旧態依然とした社会を変革することは期待できない。道州制を導入し地方ごとに三権を有する真の意味での地方自治を実現すことで自立する道を模索していく必要がある。その前に大きな壁が立ちはだかっているのが、地方自治について定めた「憲法第8章」なのである。
現行の日本国憲法は、終戦直後に進駐軍が慌てて作っていったお粗末なものである(原文は英語)。最高司令官マッカーサーの指揮の下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民生局――つまり、日本という国を知らない人たちが書いた憲法だから、前のほうだけに力が入っている。前文や、明治憲法で絶対君主とされた天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とする第1章、「戦争放棄」の第2章に比べると、それ以降の文章はまったく気合が入っていないのだ。
大前版憲法改正草案の地方自治の項では、国家を形成する社会単位を「コミュニティ」としている。コミュニティは、人間生活に必要な基本財が満たされること、健康で安全な生活が営まれることが必要であるとし、道州はコミュニティの集合体とされ、産業基盤育成の単位とされる。財源は個人からの消費税、法人からの法人税及び固定資産税によって賄われる。日本の県は規模が中途半端で今のままでは地方分権が進まない。分権化に足る規模の道州を新設するとしている。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(287)2022年1月15日
◆「道州制」なぜ実現しないのか
(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)
地方分権は今より進んだ方がいい。そんな考えのもと「道州制」が言われるようになって久しい。現在の日本の行政区分は都道府県だ.まず日本国があり、それが47都道府県に分かれている。しかし、国のすぐ下の単位が都道府県というのは細かすぎる。そこで都道府県より広い、中ぐらいの行政区分である「道」や「州」を新たに設けようというのが道州制である。道州には、現在の都道府県が持っている権限より強い権限を与える。そうすることで地方自治体の自立性を高め、「ニア・イズ・ベター」の地方分権の原則をより強く機能させてはどうか、というわけだ。この道州制は根強く訴えられており、多くの人が賛同している。それにもかかわらず実現していない。
足かせの1つとなっているのは、実は憲法だ。「地方のことは地方で」を「地方のルールは地方が決める」と捉えると、地方の条例制定権を自立させた方がいい。それには、憲法第94条の改正が必要だ。憲法94条では、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、および行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」とされているが、あくまで「法律の範囲内」でしかできないのだ。各地方がその条例により、国が決めた法律の上書きをできるようにすることができれば、地方の自由度は格段に増すはずだ。そこで障害になったのが、憲法94条だ。国の法律の範囲内でしか条例を作れないので、条例による国の法律の上書きは憲法を改正しないと無理なのだ。
ただ、中には道州制によって「今ある立場や権限」を損なわれたくない人々がいる。都道府県の知事の立場にある人たちでらる。道州制が導入されたら、道州の長が設けられ、都道府県知事の立場は道州長の下になる。「県知事」から「地区長」へ格下げされることになる。ただし、人情としては理解できても、正しいと言えるのかどうか。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(288)2022年1月22日
◆地方分権で地域格差が広がる?
(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)
地方分権を進めるためには、現在の税制にもメスを入れる必要がある。より強く「地方のことは地方で」を機能させるには、地方財政の権限を広げなくてはいけないからだ。「地方のことは地方でやる」とは、すなわち「地方のことは地方のカネでやる」ということでもあるのだ。現在の税制はどうなっているかというと、一言でいえば「上納金分配システム」だ。簡単に説明すると、国民が納めた税金は、いったん国に納められる。そして「地方交付税」として、国から地方へと分配される。つまり地方の財政はほぼ国が握っているのだ。
「地方自治体の財政の不均衡を調整すること」、つまり「金持ち地域と貧乏地域の格差を生まないようにすること」が、地方交付税の大義名分だ。しかし、そもそも、国が地方に税金を「上納」させるというシステムがなければ、赤字になることもない自治体は多いはずだ。本来はストレートに地方の財源に入るべき税金が、いったん国に吸い上げられる。現行の「上納金分配システム」では、上納金を納めることで赤字になる自治体は、地方交付税をありがたく,おしいただくしかない。地方財政を国の方でコントロールしようという「親分・子分」的な税制が、地方分権の大きな足かせになっているのだ。
地方自治体の財源の不均衡を調整する地方交付税がなくなったら、地域の経済格差が生まれ、極端に貧しい地方自治お体が生じるのではないか、確かに一部の地域ではそういうことも起こってくるだろう。とはいえ、そもそも地方自治体とは単なる「地域の区切り」だ。その間で生じる経済格差を問題にすること自体に、実はあまり意味がない。経済成長を続け、失業率を最低限に抑える。そのために必要な、かつ適切な経済政策を行う。こうして国民一人ひとりが、あまねく文化的で豊かな生活ができるようになっていけばよい。そこで「地域間格差」を問う必要などないのだ。本当に問題にすべきは個人間の所得格差だ。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(289)2022年1月29日
◆コロナ禍で考える地方分権の是非
(高橋洋一『日本国民のための政治学入門』より)
2020年に世界的流行となった、新型コロナウイルも地方分権を「わがこと」として考える格好の材料である。ひとたび新型ウイルスが国内に入ってしまったら、感染状況は、いわば各地方自治体の足元の問題だ。自治体によって人口も違えば人の流れも違い、したがって感染状況は自治体ごとに異なる。こういう場合は、地方自治体の首長の判断で対策を打つのが最も効果的だ。感染拡大の抑え込みは時間との勝負でもある。地域の状況を最もよく把握している人が独自の判断で、適時、瞬発的に対策を打つこととが望ましい。
現に欧米の国々を見ても、国家元首の役割は補償金の財源を準備したり、国民に向けて警戒を呼び掛けたりすることだ。地方自治体に相応の権限があり、ロックダウンなどの対策は、各都市が独自の判断で行っている。それが日本では、いちいち地方自治体から国に要請しなくてはいけない。その手間と手続きの手間が無駄なのだ。
また、補償金の問題も地方分権の話と結びついている。ほとんどの自治体には補償金の財源がないから、休業要請を出したくても出せない。そこで政府は「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」という制度を設け、地方自治体に「住民に補償金を出すための補助金」を出すようにした。しかし、そもそも地方自治が国に税金を「上納」するというシステムになっていなければ、補助金の財源も、ある程度は地方独自に確保されていたはずだ。つまり、地方分権が進んでいないために、「住民に補償金を出すための補助金」を出す制度を新たに設ける、などという面倒な措置が必要になってしまったわけである。
さらに、地域の医療が逼迫している。医療の逼迫度合いは、都道府県によってまちまちだ。県をまたいだ患者の地域間搬送波なかなかできない。もし道州制ができて入れば、医療の広域行政は県ではなく、道州単位にするだけで、医療の逼迫はもっと抑えられる。地方分権は、私たちの生活、健康や生命にもかかわる大きな問題なのである。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(281)2021年12月4日
◆地方自治を変え国を一新③
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
「地方自治」と「地方分権」は似て非なるものである。分権というのは、会社に喩えれば、社長が 最終的な意思決定の権限をすべて握っていて、一部の実務的な権限だけを分け与えることだ。自治の大前提は「(経済的)自立」である。自立なき自治はないのである。
憲法第8章の定めにより、日本の地方は単に「国から業務を委託された出先機関」でしかない存在となっている。日本の地方に「自治はないのである。そんな江戸時代以来の中央集権を21世紀なっても続けているからこれほどまでに地方が衰退し、いつまでたってもこの国は変われないのだ。そんな憲法こそ書き換えなくてはなならない。日本の統治機構をどう変えるべきか、これからの国と地方の関係はどうあるべきか、について世界の潮流を見据えた新しいグランドデザインというものがない。
自治の基本は「産業=雇用の創出」だ。地方自治の根本は大きく二つある。一つは「自立」だ。自立なき自治はない。もう一つは、生活圏としての「コミュニティ」だ。これは地方が自立するための人材を生み育て、磨いていく場所である。地方が自立するためには産業を興さねばならない。産業が唯一、富を生み、雇用を創出するからだ。政府は富を生まない、分配するだけである。地方が自立するために最も重要な「自治権」は産業政策についての権限なのである。ところが今の日本は産業政策はすべて国の許認可が必要でわずかな目こぼし特区を除き、地方に権限はない。これでは産業を興すことはできない。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(282)2021年12月11日
◆地方自治を変え国を一新④
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
地方が自立するためのもう一つの基礎は「人材」だ。しかし今は、それも国が縛っている。例えば学校教育は、文部科学省が免許を与えた教師が、文科省が認可した教科書を使い、文科省の指導要領に従って教えている。そういう全国一律の教育はもうやめて、付加価値が高い産業を興すための人材を育成する権限を地方に与えるべきである。その場合、産業政策をつくって産業を興すのは道州の役割なので、それに必要な人材を育てる高等教育(大学、大学院、短期大学、高等専門学校)は道州が担うことになる。
地方自治の根本の一つは自立であり、自立のために最も重要なのは雇用を創出する産業である。産業によって求められる人材は違うわけだが、地方自治のもう一つの根本は、そうした人材を生み育て、磨いていく場所、つまり生活圏としての「コミュニティ」だ。それに必要な人材を育てる大学などの高等教育は道州が担うことになるが、個人が生まれ育って価値観を形成し、健全な社会人に成長するまでの18年間の教育はコミュニティが行うべきである、
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(283)2021年12月18日
◆地方自治を変え国を一新④
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
日本型の中央集権国家は、その発展性と競争力において頭打ちの状態となっているどころか、国力弱体化の一途をたどっている。それは未だ出口の見えない袋小路にあるといえるだろう。原因は、戦後の高度成長期に中央集権的計画経済で成功を収めたことで、次へのフェーズへ移行する準備を怠ってきたことにある。中央集権を体現する政治家や役人たちが、成熟期にふさわしい先を読んだ手を打ってこなかったから、旧態依然とした法律や制度が経済構造の変革や新たな産業を呼び込むネックになっているのだ。彼らは地方が創生しない原因が統治機構にある、ということに気付いていないのである。
日本が参考にすべき国として筆頭に挙げたいのは、ドイツだ。ドイツは国土面積、人口が日本と同程度の中規模成熟国家である。1人当たりGDPで見ても、似たようなポジションにいる。工業を主要産業とし、経済に占める製造業の割合が高いことも日本と同様だ。戦後ドイツは多くの点で日本と似ていたにもかかわらず、弱体化するに日本を尻目に、国家クオリティを維持している。クオリティ・オブ・ライフ、クオリティ・オブ。コミュニティ、クオリティ・オブ・インダストリー・・あらゆる点で高いクオリティを保っている。ドイツに学ぶことは多い。ブランド化などで成長を続ける大企業や、ニッチな分野に特化し世界市場を席巻する中小企業など、ドイツ企業は多くの業種において世界をリードする競争力を持っている。それは、政府の統治機構の違いや構造改革への取り組みと無関係でない。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(284)2021年12月25日
◆地方自治を変え国を一新⑤
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
ドイツ企業の強さは、ドイツの国と経済に支えられている。一つ目は、国家の統治構造である。連邦国家であるドイツは、13の州と3つの都市州(ベルリン、ハンブルグ、ブレーメン)を合わせた16の州で構成されている。これらドイツの州は、日本の都道府県のような権限を持たない「地方公共団体」ではなく、強力な自治権を持つ「地方政府」である。ドイツ連邦共和国基本法(憲法)にも「国家的機能の行使および国家的任務の遂行は、この基本法が定めない限り州が行う」と規定されている。
各州は州議会や州憲法、州内閣を有し、立法・行政・司法の三権のみならず、徴税権も持っている。連邦政府は国籍や外交、国防に関することを決定するものであり、企業誘致をはじめとする産業政策も、基本的に州に関わることは国とは関係なく、州の権限で行っている。
ドイツの州は国家を超えてヨーロッパ全体、さらには世界中のマーケットを相手にしている。そのために州ごとに独自の産業や企業が発達し、高い競争力を有するに至った。
日本もドイツも第二次世界大戦前は同じような独裁的中央集権国家だった。アメリカの進駐軍はドイツの統治機構をバラバラにし、アメリカ型の連邦国家を基本法で担保した。ナチスを再興させないよう、徹底的に中央集権を忌避し、地方自治の憲法をつくったのである。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(277)2021年11月6日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑯
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
この国は過疎の「地方国」と過密の「東京国」の二つに分断され、双方ともハッピーでない暮らしの状況にある。とりわけ、都市圏から外れた地方の抱える問題は次の3点に集約されよう。
一つは、地方経済の縮小、企業倒産の増加だ。人口減に伴う労働力減、コロナ禍、後継者不在で倒産する会社が増えている。この現象は街の中心部のシャッター通りに限らず、国道沿線、郊外住宅地、農村部にまで広がっている。こうした地方経済の疲弊、衰退は過去最高の水準になっており、日本経済にとって一番の痛手となる。
二つ目は、担い手不足など地方医療体制の崩壊の危機だ。医師、看護師、保健師、助産師など医療従事者が足りない。資格を有しながら過重労働を避け働こうとしない傾向や都市部へ流れる医師、看護師などが目立つ。
三つめは、耕作地放棄、空き家の増加による無居住地が増大していることだ。地方から都会へ若年人口が流失し無居住化が進む。それ以上に高齢化に伴い耕作を諦め農地が荒れ放題、売却も再建能力もなく相続人すら不明の空き家が増大、20年後、人の済まない無居住地域が自治体の2割にも達するという見方すらある。隣接自治体がこの地域を見る「管理自治体」といった制度の砲声かが迫られよう。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(278)2021年11月13日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑰
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
新しい革袋には新しい酒を、と言われるように、日本の国の人口を入れる「中身」が小さくなっていく時代に、入れ物である統治の仕組みが大きい風呂敷のままでは使い勝手が悪いし、カネもかかる。大きなパラダイム転換の舵をどう切るか、それが政治家を含め私たち国民に課せられた課題だ。膨らみすぎた「統治の仕組み」を賢くたたんでいく道しかないのではないか。国の機構は一府十二省と多くの地方分部局、県も47都道府県と多数の出先機関、20政令市と175行政区、一般市町村1716と多くの出張所という具合に、幾重にも行政の仕組みが重なっている。だがよく見ると、実際は同じような仕事をしているところが多い。この仕組みを次代に合うように簡素で効率的なものにつくり直したらどうか。
明治期の「廃藩置県」が拡大期の政治革命だったとすれば、これから令和期の人口縮小型に備えた政治革命は「廃県置州」ではないだろうか。日本を10程度の広域圏からなる州とし、それぞれが内政の拠点として独自の政策を行う。それを可能とするよう、規制緩和も地方分権も大胆に行う必要がある。それがいま課せられた政治の基本的な役割ではないか。それが実現すると日本各地に活力が湧き出て潜在能力が顕在化してくる。結果として壮大な無駄は省かれる。大都市は三密状態から解放された快適な空間となり、地方への分散も進む。 「いまこそ脱東京」を実現しよう。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(279)2021年11月20日
◆地方自治を変え国を一新①
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
旧態依然としたこの国の統治機構は、まったくと言っていいほど変わっていない。相変わらず永田町の政治家と霞が関の役人が様々な権ほk限を独占し、差配している。今の日本は単発エンジン(中央政府)で飛んでいるジェット機のようなものである。そのエンジンは巨大だがすでに老朽化して、飛行速度(経済)は徐々に下がりつつあり、どれほど燃料(予算)を補給しても浮揚しない。
この危機を回避するためには単発エンジンに頼らず、小回りの利く新たなエンジンをいくつも付けて、その総合力で窮地を脱する方法を取るしかない。――それがつまり、「平成維新」が当初から提唱していた「道州制」であり、新たな地方自治の実現である。政府と霞が関がすべてを支配する中央集権体制を変えなくてはいけない。
そこで、統治機構の大改革を実現するための憲法改正を提案したい。その核心は「憲法第8章 地方自治」の改正である。今の日本が抱えている難問の多くは、旧態依然とした統治システムに原因の一端がある。この状況をひっくり返すには、「第8章」を俎上に載せなければならない。戦後70年を過ぎた日本が直面している停滞や閉塞は、小手先の景気対策や思い付きの金融政策で解決できるものではない。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(280)2021年11月27日
◆地方自治を変え国を一新②
(大前健一『君は憲法第8章を読んだか』より)
そもそも、なぜ日本の地方は再生しないのか? 地方に対する意思も体力も構想もないからだ。その根本的な原因は、江戸時代以降連綿と続いている非常に強固な中央集権の統治機構にあると考える。ドイツ、イタリアやアメリカは州に様々な権限があり、州ごとに世界に直接アクセスしている。ところが日本は、中央政府が多くの権限を独占しているため、地方は特色ある政策を実行することができない。そして、この強い呪縛の基になっているのが「憲法第8章」である。
憲法第8章は「地方自治」という章でありながら、条文はあまりにも短く、「地方自治体」というものについて何も定義されていない。「地方自治体」は、ここでは「地方公共団体」としか呼ばれていない。都道府県や市町村は、自治の権限を持つ地方自治体ではなく、地方における行政サービスを行うことを国から認められた団体でしかないのである。さらに、第94条には、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定することができる、と書いてある。これは、法律の範囲内でしか条例を制定できない、ということだ。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(273)2021年10月9日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑫
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
州の性格付けとしては、憲法改正をせず、府県に代えて、都道府県の統合と国の出先機関を包括し、国から行政権限を委譲することで、権限の大きな広域自治体としての「州」を内政の拠点ととする地方主権型州制度が望ましい。
国の役割と州の役割については、国の各省庁の地方出先機関の大半と都道府県の事務の一部を移管する方法で、国の本省から権限移譲される事務として、国道・一級河川の管理、保安林の指定、大気汚染防止対策、地域産業政策、自動車登録検査、職業紹介、危険物規制なども加えなければならない。
事務権限の委譲もさることながら、より重要なことは州への立法権の移譲である。立法権の移譲は政策・制度の企画立案権の移譲といってもよい。その方法として、国庫補助負担金とこれに付随する補助要綱・補助金要領等をできる限り廃止する。法令を大綱化・大枠化し細目は州または市町村の条例に委ねることが大事である。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(274)2021年10月16日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑬
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
州制度設計上の論点として、地域間格差是正の方式をどうするかについては、税源配分は国税、州税、市町村税と仕事量に応じて集める仕組みを大原則とする。ただ、州間格差を是正する方式として共有税(ないし共同財源)をつくる。これは現行の地方交付税の役割に似たものだが、それぞれの州の持ち合い財源という性格のもので、国が配るという仕組みを意味しない。
それぞれの州には「州都」ができる。日本を州制度に代えると「州都一極集中」が起こると反対する人がいる。国全体が「東京一極集中」でまさにモノセンリックなのに対して、10州程度の州ごとの中心都市ができることの方が、大きくは多数の都市が一定の機能、能力を持ち、それがネットワークで結ばれるポリセントリックだ。すでにある政令市、中核市、特別区など100近い都市制度適用地域がそれぞれ中心性をもっており、仮にそのどこが州都に定めたから直ちに州都一極集中になるとは考えにくい。日本が人口規模も拡大し新たな都市がどんどんできていく高度成長期ならともかく、その逆の動きにある。これからはむしろ既存の大都市を州都とし、その機能を活かしながらそれと各州の中小都市をうまくネットワーク化する方がよいのではないか。州制度になると、役所が遠くなるという批判がある。物理的に遠くなる可能性は否定できないが、州になったからと言って、行政サービスに関し州役所が遠くなるということはあるまい。必要なサービスは州の出先機関を通じて行われることになる。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(275)2021年10月23日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑭
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
州制度の実現可能な移行シナリオについて、堺屋太一氏は独自のシナリオを提示している。(『団塊の後――三度目の日本』)
まず、直ちに都道府県を廃止して州制度に移行するのではなく、3~5年は各都道府県を従来通りに存続させ、議会も存続させながら移行する考え方だ。当面、「州」ごとに、「知事会」を結成し、州で行うべき広域行政はその「知事会」で共通条例の制定や州重点産業、州共通事業を決め、予算・金融財政上の調整を行う。「州議会」には常設の事務局を置き、国と所属府県の職員の一部を移籍させる。知事会の会長は当面、所属知事の互選とするが、一定期間(たとえば5年)を過ぎたら、各州の有権者が直接選挙で「州知事」を選ぶようにする。
また都道府県議会についても当分の間、従来通り残す。ただ、早期(例えば3年以内)に住民の直接選挙で「州議員」を選び、州議会を設けるようにする。それまでの間は、各府県議会が概ね人口10万人に1人程度の「臨時州議員」を選出し、臨時州議会において州の予算や決算、州条例、主要なプロジェクトなどの業務を行うようにする。これらのルールをあらかじめ法律(州制度移行基本法)で決めておく。まずバーチャルで大くくりの広域州をつくり州政府の体制を固める。5年経ったら全面的に州制度への移行を完了するシナリオである。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(276)2021年10月30日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑮
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
日本では自治体の7割近くが人口5万人以下の自治体が占めている。居住人口は2割にとどまるが、面積では圧倒的に広範囲を占める。こうした人口比のねじれ現象が、我が国の地域づくりを考える際の難しさである。かつて州構想を進めると小規模市町村には不利だと反対運動があった。しかしそれは大きな誤解ではなかろうか。こま切れの府県制度の下では、確かにこまごまと支援は行われているが、地域全体の稼ぐ力が出ない。州構想の実現で稼ぐ力を強め、その果実が多くの市町村に行き渡る仕組み、それが州構想であって決して小規模市町村を切り捨てる話ではない。
我が国では地方創生、地方の活性化が叫ばれて久しい。しかし、なかなかか過疎化が止まらず限界集落が増え続ける実態がある。安倍政権での地方創生は集権的な地方創生の考えが強く、補助金、交付金の割り増しで国が地方を引っ張り上げるかのような施策が並んだ。そうではなく、地方の内発力をどう高めるか、分権型の地方創生でなければならない。国の地方創生本部はあの手この手で地方を引っ張り上げようと躍起だが、地域の内発的な力を引き出す発想に乏しい集権型地方創生ではうまくいくまい。肝心の自治体にも地方創生は「自ら稼げるまちを創り上げること」だという発想への切り替えまでいっていない。
■道州制ウイークリー(264)2021年8月7日
◆一極集中から分権広域州制度へ④
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
2000年に分権改革が行われた。しかし「未完のまま」放置されている。このところ、改革のエネルギーは萎え、地方創生も集権化のなかにある。枕詞として地方分権を唱えるが、それは総論として言っているだけ。各論となると官僚と手を組んで抵抗勢力に回る与党議員も少なくない。しかし世界で、高度産業国家、民主化の進んだ先進国で中央集権の国はない。もっとも地方分権を進めても、地方にできない領域はある。外交や防衛、危機管理、司法、金融、通貨管理、景気対策、国土形成、さらに福祉や医療、教育、文化、農政、インフラ整備など政策の骨格をつくる役割がそれであり、国家経営の観点から国が主導することが望ましい。ただ、国が地方に仕事を義務付け、すべての政策領域に微に入り細に入り関与するやり方は、自治体の政策能力が乏しかった時代の産物だ。
日本の自治体は、裁量的な政策環境が整えば自立可能なところが多い。この先の主な改革課題を挙げると、①地方税財源の充実・確保、新たな地方財政秩序の再構築、②法令による義務付け、枠づけの縮減・廃止、法令による規律密度の緩和、③事務権限の移譲.④広域化をにらんだ地方自治制度の再編成、⑤住民自治の拡充、⑥地方自治法の廃止、地方自治基本法の制定などだ。地方自治を営む基盤は大きく変わっている。府県制度の大胆な見直しを含め、令和の時代は地方主権を目指す改革を進めるべきだ。究極の分権国家の姿、ゴールは、約10州の地方政府(州政府)がそれぞれ内政の拠点として自己決定、自己責任、自己負担の原則で地方自治を営む姿であろう。
■道州制ウイークリー(265)2021年8月14日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑤
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
東京一極集中を解消し分散化を図る、地域のことは地域で決める地方分権国家の究極の姿、大きく膨らんだ国・地方の財政の無駄排除、130年前からの狭域化した都道府県を広域政策のできる広域自治体に変える―――これらを総合的、俯瞰的に実現するには日本を「州制度」の国に変える。それが切り札だ。
いまや生活圏、経済圏は交通・情報・通信手段の飛躍的発達で大きく広がっているにも関わらず、新型コロナウイルスの大流行においては、あたかも各県が鎖国のように県内目線で、「わが県に来ないでください」「わが県を出ないでください」と叫ばざるを得なかった。国は都道府県制度を足場に知事を手足のように使った。また「国の指示待ち」知事の姿もあった。
その時代にふさわしい「国のかたち」を設計する。それが政治の基本的な役割だ。時代は大きく変わった。本格的な人口減少時代を迎えた日本をどうするか、「新たな国づくり」を本格的に議論すべき時期に来ている。いまの統治機構「国―都道府県―市町村」の三層制とそれに連なる膨大な出先機関等をそのままにする限り、この先、何度増税を繰り返しても1300兆円を超える財政赤字は消えない。日本の国・地方の歳出合計は170兆円を超える方向にある。歳出の約半分は交際費、人件費、管理費など統治機構を維持するための間接経費に消えている。明治23年以来ほとんど無傷できた47都道府県体制は抜本から見直さなければならない。
■道州制ウイークリー(266)2021年8月21日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑥
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
この先、人口が減り、都道府県の中でも人口が100万人に届かない県が続出する。国立社会保障・人口問題研究所の2045年予測によると、現在100万人以下の件は、香川、和歌山、佐賀、福井、山梨、徳島、島根、高知、鳥取の9県だが、25年後はこれに奈良、長崎、石川、大分、岩手、宮崎、青森、富山、山形、秋田の10件が加わるという。この予想より人口減少が進むと、47都道府県の半数近くが100万人以下になるかもしれない。一方、100万人規模の政令市などの大都市が20近く存在する。こうした広域自治体と基礎自治体が逆転する現象の続出は地方制度を根幹から揺るがす。130年前につくられた47の府県割りは、広域化した現代に合っていない。
47都道府県は狭域化しているにもかかわらず、行政の活動はあたかもそれぞれが一つの国であるかのようなフルセット行政にいそしむ。横並び意識のフルセット行政の蔓延が、日本全体の財政を悪化させ、不要なハコモノを増やし、行政を非効率化している。今回のコロナ対策で、一度目の緊急事態宣言解除の場面になって、ようやく国は「京阪神」「首都圏」という言い方で広域圏を対象にした判断を求めた。もはや県単位では対応しても限界に近い。広域圏連携を強める制度措置が不可欠との認識からだ。
そう遠くない将来、10州程度にくくり直し、そこを内政の拠点にする「州制度」への移行は不可欠だろう。まず広域圏で連合議会をつくり、連合代表を知事から選んでグレーター広域連合を特別地方公共団体として法制化し、徐々に国の出先機関も権限も吸収し、広域圏がバーチャル州のような動きになる制度措置がいるかもしれない。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(267)2021年8月28日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑦
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
県内に政令市を抱える県庁は、その政令市と張り合い、人口減で行政需要が大幅に減るにもかかわらず、同じモノ、同じようなサービスを創り続ける。統治の仕組みが二重、三重行政の無駄を生んでいる。都道府県は2000年の分権改革で各省の機関委任事務を大量に処理する役割もなくなり空洞化している。私たちの日常は、経済も生活も県境にかかわりなく広いフィールドで行われている。地方自治のエリアは実際都市と行政都市が一致していることが原則、だが、現在の47都道府県体制はそこから大きくズレ、社会の広域化が進む一方で各府県域は狭域化している。47都道府県という旧体制を解体再編し、広域圏を単位に約10の州をつくり、日常生活に合った広域圏行政の仕組みを作るべきだ。それが道州制だ.。ただ、筆者は、それを大都市・中都市をベースとする新たな「州構想」と呼ぶ。
州構想移行に積極的な論者は次のようなメリットを挙げる。①行財政基盤を強化する(県庁職員、国の出先機関職員の大幅削減ができる)②行政サービスが向上する(フルセット行政の回避、スケールメリットが働く)③魅力ある地域圏、都市圏が形成できる(特色ある地域圏による都市間競争が成立)④経済生活圏と行政圏を一致させる(府県廃止、地方政府の一元化で広域戦略が可能)⑤大都市圏の一体的運営で経済活力も向上できる(首都圏はイギリス並みの力)。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(268)2021年9月4日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑦
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
州構想のメリットとされる、①地域圏の一体的整備、②魅力ある広域圏の形成、③行財政基盤の強化、という話は地方自治でいう「団体自治」を重視する立場からの主張だ。他方、デメリットとされる、①住民の声が届かなくなる、②府県で育まれた文化を喪失、③勝ち組、負け組がはっきりし、州内でも州都から遠い地域は地盤沈下する、という話は、「住民自治」を重視する立場からの主張といえよう。間違いなく、広域化に伴いスケールメリットは働く。広域政策、広域業務を州政府に任せる一方で、旧府県や一定規模の市を生かしながら「住民自治」を充実させる方策を講じたらどうか。州制度問題は新たな行政制度をどう創設するかという制度設計の問題であるが、同時に地方が抱える構造的な集権体制をどう解体するかという改革手段の問題でもある。「州構想」は日本再構築の切り札である。
この州構想改革で、これまで47都道府県制度で巣食ってきた無駄な財政だけでも20兆円近く排除できる。消費税10%分カットできるとみる。日本はこの十数年、中央集権に代え地方分権体制が望ましいとし、様々な制度改革を進めてきた。2000年に47本の法律を一括改正した「地方分権一括法」の施行は、その意思の表れだ。分権国家の究極の姿は「道州制」だとし、それに向けた改革構想も練ってきた。15年前の第一次安倍政権は道州制担当大臣を置き、道州制ビジョン懇談会は2018年までに道州制へ完全移行すべきと提言し、法整備を求めた。自民党は「道州制推進基本法」をまとめたが、国会提出を見送った。その後は、鳴かず飛ばずとなっている。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(269)2021年9月11日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑧
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
世の中の事態はより深刻な方向に進んでいる。人口減少は加速し、累積債務は1300兆円に達し、市町村の半数以上が人口半減などの危機にある。現在の細切れンフルセット体制と、国民から遠い中央政府がセンターとして仕切る中央集権体制はどう見ても時代に合わない。その改革方向は州構想への移行にある。日本全体を約10の広域州とし、各州政府が内政の拠点となるよう大胆に分権化する。身近なところで税が集められ、使われていく。結果としてムダは省かれ人口・企業の地方分散は進み、日本全体の元気を取り戻すことになる。
日本は既に州制度移行の素地は相当できている。20政令市、60中核市をそれぞれ政令市⇒特別視、中核市⇒政令市に格上げし、この都市自治体にほとんどの府県業務を移管する。そのうえで内政(厚労省、国交省、文科省など)に関わる国の本省業務、ブロック機関の業務、残存する都道府県の業務を融合するかたちで「州」政府を創設し、内政の拠点とするなら州構想は実現できる。
よく都道府県がなくなるのは心配だという。しかし、それは行政区分上の話であって地域がなくなる訳ではない。州構想が実現しても、日常生活に定着している都道府県名は地名として残るし、甲子園の都道府県対抗高校野球も残る。生活上なんの支障もない。日本はこれ以上の東京一極集中も地方過疎の進行も望まない。次代を見据えた賢い統治システムを生み、人口減少時代でも元気な日本を目指す時だ。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(270)2021年9月18日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑨
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
日本を広域圏に見合った州制度に変える理由は大きく三点ある。一つ目は、人口減少の右肩下がり時代に応じて国、地方の政府機構を賢くたたむためだ。二つ目は、地方分権を進め地方主権の国を創るためだ。都道府県を廃止し、市町村も必要なところは再編する。政令市、中核市、特別区などの都市制度を強化充実し、そこへの権限、財源を府県から移したうえで、国からは内政の権限、財源を各州に移し、内政の拠点とするのである。三つ目は、財政再建、健全化のためだ。幾重にも重なる国、地方の行政機関を賢くシンプルにたたみ、国民の税負担をこれ以上増やさない前提で行財政の仕組みを再構築する。
「州構想」の実現で、各州は国から移された財源を立法権、行政圏、一部司法権をフルに使い地域的に自立を始める。内政の拠点となる各州は広域政策の主体として、道路・空港・港湾など広域インフラの整備、科学技術の振興、州立大学などの高等教育、域内経済や産業の振興、海外都市との交易、文化交流・雇用政策、州内の治安、危機管理、環境保全、医療保険など社会保障サービスを担当する。政策減税で企業を呼び込むことも可能になる。日本が一極ではなく、10極の多極分散型の国に変わる。
道州制(州構想)は30年前の国鉄改革に似ているとみてもよい。日本の中に自らの意思と知恵による地域間競争が起こる。海外との交易も窓口は国(外務省等)ではなく、各州に移る。そのことでグローバリゼーションへの対応も十分可能となる。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(271)2021年9月25日
◆一極集中から分権広域州制度へ⑩
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
州制度移行のメリットはどのようなものか。州制度移行を単に行政改革の面だけでとらえるのは間違いである。民間活動を府県単位に縛り付けているくびきを外し、より経済活動にダイナミズムを生み出す。日本を東京一極集中ではなく多極分散の国にかえていこというものだ。日本を元気にすることだ。具体的に州制度のメリットを示すと大きく次の三点となろう。
第一は、政治システムを変えること。多元化、多様化したニーズに応えるには、遠い政府の判断を待つまでもなく、身近な政府が意思決定する時代だ。身近な市町村を第一の政府に据え、補完性の原理および近接性の原理に基づいて行政を行う。政治や行政が身近なものになり、公共サービスの受益と負担が明確になる。住民参加による政策決定が可能となり、政策決定の透明性が増す。
第二は、日本全体の経済の活性化につながること。各州圏域が自立的で活力ある競争的発展の可能な国土構造に変え、国際競争力を高めていく。国と地方の事務配分を抜本的に見直し、税財政の仕組みを変える。一定規模と権限を持つ州による広域圏経済で、広域の経済文化圏が形成され、相互に切磋琢磨によるダイナミズムが生まれる。
第三は、無駄の排除だ。国と地方を通じ簡素で効率的な統治システムに変えていくこと。州政府が企画立案から管理執行まで一貫してその役割を果たせる。日本再生はこうした統治機構の大改革からしか生まれない。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(259)2021年7月3日
◆日本再生のカギは30万都市経済圏④
(冨山和彦・田原総一郎『新L型経済』より)
◇東京から地方への分配が地方を衰退させる
第二次安倍政権で地方創生を掲げたときに地方の首長たち、あるいは県知事たちは、国からもっとお金がほしいということを言っていたようだ。地方には金がないから結局、地方交付税という形で実質的には東京の税収を取るということになる。地方から人材が東京に集中していることのバランスを税の配分という形でバランスを取っているとも言える。だが、こうした構造がいいものとは言えない。
首長だけでなく、今の古い世代の経営者は大半そうした発想で、いかにして行政からお金をもらうしか考えていません。田中角栄的な政策がその象徴ですが、基本的に日本の地方政治というのは、直接、間接と様々な形で中央から地方に事業なりお金をばらまく仕組みがたくさんあることでしょう。旧来のL型経済はいかに外の人にお金をもらうかという点に目が向けられていました。これは国全体でもそうで、外部から収入を得ないと経済は成長しないという、かつての加工貿易立国モデル、いわば重商主義的な発想から抜け出られない人が多い。
国内においては、まだ東京にはお金があるので、そこから吸い上げて地方にばらまくという仕組みになってしまって、地方経済は維持できているわけですが 、東京の経済力を支えるグローバル企業がピンチになっている以上、このモデルは持続可能とは言えません。そして最大の問題は、地方に分配を続けることで地方で生産性を上げる努力をしなくなってしまうことにあります。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(260)2021年7月10日
◆日本再生のカギは30万都市経済圏⑤
(冨山和彦・田原総一郎『新L型経済』より)
◇地銀ネットワークなしに地方再生はない
地銀は多くの場合、融資先の企業と先代、先々代からつきあっていて、信頼関係を構築して内側に入っていますから、相手方の会社の何が問題かがよく分かっているケースが多い。彼らは何十回、何百回と顔を合わせているので、書類上でわかることの何百倍、何千倍という情報を得ている。地域の事情にも詳しいですから、どのような手続きを行えばプロジェクトが円滑に進むかを教えてくれます。
地銀は債権者だから、地方で地銀から借りていない企業はほとんどない。むしろ、幹部を欲しがっている企業の多くは地銀がメインバンクだから、地銀と組んでしまえば、新しいニーズが生まれるし、地銀にとってもよいことが起きる。地銀の役割はすごく大事で、地方の個別の企業再生でカギを握っているのは、地銀です。地方の再生事業を地銀以外にやれるところはありません。行政はそんなことはわからないですから。行政は一つひとつの企業に足を運んでチェックなんかできないし、それこそ書類で見ているに過ぎない。
本当に地域企業を救おう、地域を活性化したいというなら、地域にもともといる人たちのネットワークを使うしかないのです。地銀にもやはり課題を抱えています。一時期に比べ、明らかにお金も人もいなくなっています。東京でも地方でも曲がり角に来ており、地銀自身も自らの会社と事業のカタチの大改造を行うことで、競争力と持続性を確かなものにしていく必要があります。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(261)2021年7月17日
◆一極集中から分権広域州制度へ①
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
社会は大きく変わりつつある。この1年、世の中を席巻したコロナ禍で大きく傷んでしまった日本、そして世界。その立て直しが大きな課題である。ここは底力を発揮して新しい国づくりをめざさなければならない。コロナ禍に翻弄された日本だが、それを契機に学んだこともある。一つは三密都市「東京」に依存しなくても仕事や生活が成り立つということだ。いま地方移住への関心が高まっている。在宅勤務やテレワークなどを経験し、ゆとりある暮らし、新しい働き方への意識変化が高まっている。脱東京の動きだ。
これまでは、この国の発展を中央集権による一極集中と、大都市一極集中による効率北に求めてきたが、そのやり方はもう限界にきている。いまこそ脱東京、脱中央集権の国づくりだ。筆者は次の三つを柱に、この国のあり方をリセットすべきだと考える。一つ目は、道路、鉄道、航空の三大高速網の移動を実質タダにするフリーパス構想を実現すること。二つ目は、大胆な規制緩和と地方主権改革を進め、各地における地域づくりの主体性を確立することだ。三つめは、47都道府県を廃止し10州程度の広域州にくくり直すことだ。州政府が内政の地域づくりの拠点として国づくりを競う。
日本はこれから歴史上経験のない本格的な人口減少期に向かう。日本創生会議(2014年)の予測ではおおむね8000万人となっている。問題は、20世紀に膨れるだけ膨れた国と地方の政府機構、行財政の仕組みをどこまで賢くたためるかだ。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(262)2021年7月24日
◆一極集中から分権広域州制度へ②
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
米国カリフォルニア州一州の面積しかない日本。その7割が山林地であり、可住地は3割程度に過ぎない。可住地の2割に満たない東京圏、名古屋圏、大阪圏に人口の半数が集まる。人口の地域的偏在で一番大きな問題が東京一極集中だ。東京圏は国土の0.6%だが、ここに国民の1割以上が集まっている。政治、行政、経済、情報、教育、文化など日本のあらゆる分野の高次中枢機能が集中している。GDPの2割、国税収入の4割、株式取引高の9割、本社7割、外国企業の5割、情報サービス業の5割、銀行貸出残高の4割、商業販売額の3割を占有、大学生全体の4割が東京圏に学ぶ。主要テレビのキー局、大手新聞、出版社もみな東京。この集中は世界でも突出している。
その果実は東京に一極集中し、地方は疲弊するだけの状況にある。大ぶりの改革に挑む必要がある。分権改革を進め地方主権体制を目指す、広域圏を州として内政の拠点にする、すでにある三大高速交通網の移動コストを公共管理で下げ、動きを流動化することだ。
時代は大きく変わった。人口大減少期に入った日本の行政はどうあるべきか、1府12省庁体制、47都道府県体制、1718市町村体制、そして何層にもわたる類似の出先機関があり、重複行政、重複機構があまりにも多い。この国を「賢くたたむ」改革に挑む時ではないのか。ここは第三者機関である「第三次臨調」を設置するタイミングとみるがどうか。
《道州制》関西州ねっとわーくの会
■道州制ウイークリー(263)2021年7月31日
◆一極集中から分権広域州制度へ③
(佐々木信夫『いまこそ脱東京!』より)
国と地方の関係を改めて見直す時期にある。民間にできることは民間で、地方のことは地方で――これは自由主義体制の国では常識。よく<自助><共助><公助>といわれるが、日本はいつの間にか<公助>が肥大化し、その<公助>も身近な自治体より遠い中央政府が仕切りるかたちに戻っている。地方分権が後退している。今回のコロナ禍対策は各知事が現場責任者である。だが、国が「特措法」のガイドラインとする「基本的対処方針」で箸の上げ下ろしまで指示する動きとなり、結果として国と地方の役割分担が不明確になった。全国一律、一つのモノサシでしか法制やその制度運営ができない。
分権化には多様化した地域、多元化した住民のニーズに合うような多様なモノサシで迅速に対応できる、そこに価値がある。2000年改革で、税財源の集権構造の解体はできなかった。税金は国が6割、地方が4割集め、使う方は地方が6,国が4という「ねじれ」の仕組みが残存した。このねじれギャップを国が補助金、地方交付税で埋め合わせるという仕組みだ。その際、国はそのカネで地方の施策や事業内容、人件費などをコントロールする。その税財政の集権構造がいまも変わらず残っている。本来なら、地方は歳出6にあわせ6の税を集め、国は歳出4に合わせ税も4詰める。そのかたちが望ましい。ただ極端に地方と都市部の間に格差がある。財政調整はいる。地方交付金のかたちでその使い方は地方の自由に任せる。そうした北欧型の「分権・融合型」へのシステム転換が日本に合うはずだ。
■道州制ウイークリー(255)2021年6月5日
◆地域衰退をどう食い止めるか③(宮崎雅人『地域衰退』より)
◇分権・分散型国家をつくる
地域衰退を食い止める手段として、改めて、東京一極集中の是正を挙げておきたい。かつて「国土の均衡ある発展」が目指され、全総をはじめとして多くの政策が展開されてきたが、その間も東京一極集中は是正されなかった。近年では小泉政権以降進められるようになった都市再生策によって都心回帰が進み、東京一極集中はむしろ加速した。「東京は日本経済の成長エンジン」という言説がまかり通った。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって、東京一極集中はリスクが高いことが明らかになった。今後、このような未知の感染症の流行が繰り返される限り、東京の雇用吸収力は以前ほど大きくならないと考えられる。日本全体として東京の経済を拡大することによって雇用を拡大するというやり方は今や持続不可能になったといえる。
こうした変化を踏まえれば、国から地方への地方分権と、人々の地方分散を推し進め、東京一極集中を是正することは、各自治体の実情を踏まえた形で未知の感染症の拡大を防ぎ、地域衰退を食い止めるだけでなく、日本経済の持続的成長のためにも必要不可欠であることがわかる。地域、さらには日本の衰退を食い止めるためにも、東京などの大都市以外の地域に雇用を生み出す多様な産業を一刻も早く興す必要がある。地方に新たな産業を興し、仕事を作り出すことは、中小都市や農山村の人々のためにだけに必要なのではない。東京などの大都市に存在する人や企業にも選択肢を与えることになるのである。終わりの見えない「コロナ禍」によって、大都市にこだわる理由がなくなりつつあるのではないか。
■道州制ウイークリー(256)2021年6月12日
◆日本再生のカギは30万都市経済圏①
(冨山和彦・田原総一郎『新L型経済』より)
◇日本経済を支えるL型(地域密着)企業
多くの先進国もそして日本も、GDPのうちグローバル企業(G)
が稼いでいるのは、3割程度で、残りの7割を占める諸々の産業群こそが現代の基幹産業であり、その多くは地域密着型(L=ローカル)
の中堅、中小企業、ローカルサービス群が生み出しているものです。日本の労働人口の8割は中小企業の従業員、もしくは非正規であり、グローバルに名を轟かせる大企業の正社員は2割程度しかいません。ローカル中小企業の多くは、都市部の同業種に比べて生産性が低いところも少なくありません。グローバルで商売をしている大企業の収益を現在の状況から大きく積み上げていくのはそう簡単ではありませんが、ローカル経済を担う中小企業の経済力を高めることは決して難しいことではなく、かつ大きな伸び代が見込めます。そこに東京一極集中という問題を解決する鍵もあります。
コロナ後の未来像を先取りして考えるのであれば、まずもって日本の産業社会構造をどう描くかということです。日本社会のIT化はかなり遅れをとっていたことが明らかになりました。その改革は進めないといけないのは間違いありませんが、今の日本のGDPには直接寄与しません。日本の大企業の競争力強化には多少恩恵があるかもしれませんが、日本全体の経済成長にはあまりつながらないでしょう。
問題はデジタル化の良い部分をどう中小企業や中堅企業に還元して、産業構造を組み換え、生産性を上げていくかにあって、単にITシステムを組み上げればいいという問題ではない。
■道州制ウイークリー(257)2021年6月19日
◆日本再生のカギは30万都市経済圏②
(冨山和彦・田原総一郎『新L型経済』より)
◇復興を妨げる補助金漬け、過剰債務
緊急事態宣言下で日本政府が打ち出した経済政策というのは当面のキャッシュを確保させるために中小企業向けに緊急融資枠の拡大、それに雇用調整助成金の補助率の変更、補助金要件の緩和、108兆円規模の緊急経済対策の策定と矢継ぎ早に対策を打ちました。これは非常に良かった。
当初想定されていた最悪のシナリオ、すなわち緊急事態宣言下で連続的に倒産が続くというケースは何とか避けることはできましたが、大事なのは、ここからです。緊急避難的な政策は緊急時にしか効果はなく、次のポイントは本格復興のスキームをどう描くかにあります。パンデミックが収まった後に、今度は復興モードにスイッチを切り替えないといけないのですが、いま出している融資や補助金の副作用で復興を妨げる危険性がある。
これには二つの妨げがあって、一つは補助金頼みで延命した企業は常に補助金がないと食えないビジネスモデルを作ってしまいがちになることです。補助金が経営の前提になってしまい、補助金がないと続けられない状態になってしまう。もう一つ、最も深刻なのは多くの企業がお金を借り増していることです。中には過剰債務になる企業も出てきます。借金が多い企業に対し銀行が新しい融資をするメリットはなく、融資がなければイノベーションも起きない、結果的には経済は停滞し、バブル崩壊後に起きた問題が新しい形で再生産されます。。
■道州制ウイークリー(258)2021年6月26日
◆日本再生のカギは30万都市経済圏③
(冨山和彦・田原総一郎『新L型経済』より)
◇まず30万人都市を再生させよ
国内で大きなGDPや大量の中産階級雇用を生むという意味では、G型(グローバル)企業が今後大きな成長をすることは難しいでしょう。目を向けるべきは、GDPの7割の世界、L型(ローカル)企業群と呼んでいる小売、卸売り、飲食、宿泊、エンターテイメント、地域金融、物流、運輸、建設、医療や介護、農林水産業です。L型の特徴は地域密着で、その地域にいる人たちとフェイス-ツウ・フェイスでサービスをしている産業が多いことです。
なぜか日本で地方創生、地域活性というと、限界集落の話になりですが、そうした場所にバスを通す、介護サービスや買い物の宅配という事業を行き届くようにするためにも、最も大事なのは地方の中核都市の再生です。L型産業群の経済を活性化しないと、日本の経済の未来はない。問題は地方から出てきた若者にあるのではなく、地方にある仕事に人材が回らず、彼らの力を活用できていない構造にあります。
人口30万人規模の自治体が地方再生のカギを握っている。中核都市にはシャッター街も増えてきて、空き家になりかかっている。みんな共倒れしかねないという問題を抱えている。そのために人口をもう一度、中核都市に集めてくるという都市政策を、今度は地方でやらないといけない。最初は行政がとにかくお金を使ってかまわないから、中核都市部の再開発を行わないといけない。L型産業の多くはサービス業で、人口が集まれば自然と生まれてくる。
■道州制ウイークリー(250)2021年5月1日
◆地方分散型の国土づくり②(小磯修二『地方の論理』より)
◇首都直下型地震の危機
政府の地震調査研究推進本部によると、今後30年以内におけるマグニチュード7,8クラスの地震発生率は、首都直下が70%、東海沖が88%、東南海・南海沖が60-70%と、非常に高い数値が示されている。これらの大都市圏地域には、国内のGDPの70%を超える生産機能があり、とりわけ首都東京には、国会や政府機関、大企業の本社・本店など行政、経済の中枢機能や大学等の高等教育機関が集中している。ミュンヘン再保険会社の世界大都市の自然災害リスク指数によれば、東京・横浜は世界主要50都市の中で最もリスクの高い都市となっている。
首都を襲った大地震として、歴史的には1755年11月に発生したリスボン大地震が知られている。激震と津波でリスボンは壊滅し、大航海時代をリードしていた大国ポルトガルは首都機能が奪われ、それ以降は凋落の一途をたどっていった。
今の日本社会には、目先の効率性を重視する政策がはびこり、それが首都に過度な機能集中を招いている。リスク分散の計画が進まないのは、集中させることが効率的であるという発想があるからだ。しかし、大規模災害のような非常時を経験すると、分散することで被害を低減する長期的な視点と効率性のバランスを考えざるを得ない。国づくりにおいても、平時と非常時を想定した、集中と分散のバランス感覚が大切であり、そのような視点で国のあり方を探る議論が必要であろう。
■道州制ウイークリー(251)2021年5月8日
◆地方分散型の国土づくり③(小磯修二『地方の論理』より)
◇分権型の国づくり
地方の持つ多様な力を活かす国づくりのためには、大都市から地方への分散とともに、地方が主体的に政策をつくり、それを実施できる分権社会の仕組みをつくりあげていく必要がある。わが国では、90年代に地方分権改革が進められた。形の上では国と地方は、それまでの上下・主従の関係から対等・協力の関係に変わっていったが、実質的な権限の多くは中央に残されたままである。わが国が目指さす分散型、分権型の国づくりについては、欧州の経験の中に多くのヒントがある。フランスとイタリアはともにわが国と同じような中央集権型の国家であったが、1980年代以降は着実に産業政策分野を含めて大胆な地方分権を進め、それが経済発展を支えている。
フランスの地方分権の取り組みで特に関心を引くのは、国の国土開発政策の管轄区域であった州(region)に時間をかけて権限移譲を進めて完全な地方自治体としたことだ。日本でいえば、九州、四国、東北のようなブロック単位で、完全な地方自治体をつくりあげたのだ。背景には、EU内での産業競争力を高めていくためには、機能的な広がりの単位で、地域の実態に合わせた要因に、分散型、分権型の国づくりに向けた政治の強いリーダーシップがあった。特にミッテラン大統領下では、思い切った州への権限移譲が進められた。そこにはパリに頼るだけでなく各地域の強みを活かしながら国全体で競争力を高めていかなければ欧州のなかで存在感を発揮できないという強い危機感が感じられる。
■道州制ウイークリー(252)2021年5月15日
◆地方分散型の国土づくり④(小磯修二『地方の論理』より)
◇地方の発想を活かす社会へ
地方で活動していると、中央がすべを決めるという社会の仕組みが、人々のモチベーションを阻害しているのではないかと感じることがある。「いくら頑張っても国のルールに合わなければ、ダメだ」というあきらめが潜在的なエネルギーを封印してしまっているようだ。地方の発想や思考を活かす社会に変革すれば、多くの人々のやる気を高め、その多様な力を国の活力につなげていくことができるだろう。
右肩上がりで成長を続けている時代は、中央が主導する画一的なルールに従っていれば、多少のほころびはつくろうことができた。しかし、本格的な人口減少の時代においては、限られた市場でより価値を高めていかなければいけない。また現場や地域の実態に柔軟に対応しながら解決していく多様な発想と思考の力が求められる。しかし、その挑戦は内外の各地域で実践されてきており、実はそこから多くのヒントを得ることができると感じている。「地方の論理」とは何かを考えると、それは抽象的な理論の構築ではなく、実践的な活動や挑戦の積み重ねから得られる多様な思想、発送、戦略を体系的に示していくことではないだろうか。
■道州制ウイークリー(253)2021年5月22日
◆地域衰退をどう食い止めるか①(宮崎雅人『地域衰退』より)
◇国による政策誘導をやめる
地域衰退を食い止める方法としては、国による政策誘導をやめることである。「地方創生」も地域振興のための政策誘導の一つである。内閣府総合サイト「地方創生」によると、この政策は、人口急減・高齢化に対し、政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指しているとし、人口減少を克服し、将来にわたって成長力を確保し、「活力ある日本社会」を維持するため、「働く地域をつくるとともに、安心して働けるようにする」「地方のつながりを築き、地方への新しい人の流れをつくる」「結婚・出産・子育ての希望を叶える」「人が集う、安心して暮らすことができる魅力的な地域を作る」という4つの基本目標と「多様な人材の活躍を維持する」「新しい時代の流れを力にする」という2つの横断的な目標に向けた政策を進めている。
この政策の問題点は、第一に人口減少と地域経済縮小の克服を目指すという目標の達成の可能性とその結果の評価についてである。地方創生の取り組みにおいては現時点でも地域衰退は食い止められていない。自治体の人口を増加・維持、減少スピードを緩やかにすることは容易ではない。自治体の「自助努力」には限界がある。
第二に、地域特性を考慮しない表面的な施策に終わる可能性がある。以前の地域活性化策について、大半の自治体が地方版総合戦略策定にあたり東京に本社がある業者に外部委託していた。国が行う地域活性化のための政策誘導は、地域特性を考慮しない「全国一律」の手法や、地域に浸透しない「表面的」な施策が用いられており、逆に地域を衰退させる可能性を秘めている。
■道州制ウイークリー(254)2021年5月29日
◆地域衰退をどう食い止めるか②(宮崎雅人『地域衰退』より)
◇地域に産業を興す
地域衰退は基盤産業の衰退によって生じてきた。これを食い止めるには、地域に産業を興すことが必要である。地域における基盤産業の衰退は、その地域内部の問題によって生じたというよりも、外的要因によって生じてきた。大企業のリストラにtよって引き起こされた企業城下町の衰退、スキー客の減少によって危機に陥った村営スキー場、木材価格の低下や輸入生糸の台頭などによって衰退した養蚕や林業の村などである。観光開発や歴史的景観を保存することによる町づくりが必ずしも地域衰退を食い止めるとは限らない。成功しているように見えても小手先のことで、地域の屋台骨を支えるような雇用を生み出しはしない。新型コロナウイルスの感染拡大によって観光客が激減したことからも明らかなように、観光による地域活性化が、これまでのような形で地域経済に貢献するかどうかは不透明である。
そうした中でも、筆者は農山村では小水力発電が地域経済にプラスの影響を与えることができるのではないかと考えている。小水力発電は①昼夜、年間を通じて安定した発電が可能②経済性が高い③太陽光発電と比較して設置面積が小さいなどの特徴がある。また、地元の土建業者との相性の良さが指摘されている。小水力発電建設の半分から7割が土木工事である、小水力発電は土建業者に安定収入をもたらし、農業や建設業のような産業を維持する重要な手段の一つになると考えられ、地域の基盤産業となりうる可能性を秘めている。すでに都市部への再生化のエネルギー供給も始まっている。地方から都市に電力を移出する新たな基盤産業の創出は地域の衰退を食い止めることにつながるかもしれない。